2009.11.05

コンプレックスをバネに・・・?

よく、「コンプレックスをバネにして何かに打ち込んだら成功した」という話を聞く。有名な例はいじめられっ子だったボクサー(名前失念)。
コンプレックスから抜け出すために、特定の分野で他者より優れた結果を出そうとするわけだ。「コンプレックスから抜け出したい」という強い思いがモチベーションやがんばろうという意志を生んでいる。いわば動力源(バネ)がコンプレックスということ。

ただ、コンプレックスを前提にしたモチベーションを維持するには、コンプレックスを手放さずに持ち続けなければならない気がする。動力源がコンプレックスなんだから、動力源を手放すわけにはいかない。
それ、コンプレックス抜け出せなくなるんじゃ・・・?
もしコンプレックス抜け出しちゃったら、それ以上続ける理由なくなるかもしれない。そこで自分がコンプレックスから抜け出さないためにアレコレ手を尽くしてコンプレックスを維持しようとすることをお勧めはしない。続ける理由が無くなったら、たぶんそれでいいのかもしれない。
ごくまれに、コンプレックスがきっかけではじめたことが、コンプレックスを前提にしなくてもその分野に適性があったことに気付き、コンプレックス脱出後は別の動力源を探してその分野を続ける人もいるかもしれない。

学業、芸能、音楽、格闘技、スポーツ・・・コンプレックスを抜け出すために便宜的に始めた物事は、あくまでコンプレックスを抜け出すためのものであり、あくまで「抜け出すための道具で」しかないとしたら、コンプレックスを抜け出した時点で、それは役目を失い、続ける理由も必要もなくなり、その人は今まで打ち込んでいたことから「卒業」する場合もあるのだろうか・・・
コンプレックスをバネにしてがんばって大成功を収めた人が、「せっかく成功したのに」と惜しまれつつその分野から引退する理由の一部はそこらへんにあるんだろうか?

それと、「何かの分野で他者より優れた結果を出すことで自尊心を劣等感から回復させる」という発想のやり方は、その分野で成功を収めた一握りの人間しか自尊心を回復できないことになる。
人並みの能力の人間は自尊心を持つ資格が無いのだろうか?
他者より優れることでコンプレックスから抜け出す手段は、他者を見下すことでコンプレックスを誤魔化す手段と紙一重(時に表裏一体?)か。自尊心のために他者を見下しているうちは、その人はコンプレックスから抜け出していない・・・優越感は劣等感の裏返し?・・・劣等感が無くなれば、他人を見下す理由が無くなる?

コンプレックスをバネにするための手段を見つけた人は、その手段がよほど自分に向いていない限りは、やがてコンプレックスからもそれを抜け出すための手段からも卒業して行った方がいい場合があるのかもしれない。コンプレックスを脱出しても(目的を達成しても)まだ手段にしがみつき、無理やり続けていたら、かえってストレスになるかもしれない。
「何のためにやってるのかわからなくなった!」「モチベーションが無いことを無理にやっててしんどい」・・・なんてことにもなりそうだ。

コンプレックス脱出の手段に何を選ぶかも重要。最初から自分に向いていない(大して好きじゃない)分野をコンプレックス脱出のためだけに無理やり自分を奮い立たせてがんばっていたら精神に過負荷がかかって鬱のようになってしまうこともあるだろう(酷ければ本当に鬱病になるケースだってあるかもしれない)。
コンプレックス脱出の手段に選んだ分野自体がコンプレックスに基づいて選ばれたものなので、その分野にエネルギーを注ぐとコンプレックスにもエネルギーを与えてしまうこともありそうだ。
「このコンプレックスが無ければこんなことしなくてよかったのに・・・」「本当はこんなことしたくなかった!」みたいな感じ。

親が自分のコンプレックスに基づいて子供に特定の分野に打ち込むことを強いてしまうとさらに複雑だろう。子供にとっても負担だし、子供にそれを打ち込ませるためにエネルギーを使うこと自体も負担が大きい。
子供が何かのプロになることを目指してがんばっている親子がそろって精神科に通うケースもあるとのこと。
それでも彼らはがんばり続けることをやめないのだろう。

「コンプレックス」とは何か・・・それをコンプレックス(またはその裏返しの優越感)であると設定した原因や背景は何か・・・そこに何か秘密があるような気がする今日このごろ。
その秘密が分かれば、その人が自分で自分を尊ぶ(自尊心を持つ)ための何かにつながるかもしれない。

人間が体だけの生き物ではなく、体と心の両方で出来た生き物だとすれば、体を守り育て健康を維持しようとする本能同様に、心を守り育て健康を維持しようとする高次の本能があってもいいように思う。心・・・あれも「生命」なわけだから。
人間は己の生命のうち、「体」についての理解はそこそこ進んでいるけれど、「心」については自分のことながらあまり分かってない。
もしも人間が「心」について深く高度な理解をするようになったら・・・その時代にはまだ占い師は存在するだろうか?


容姿・劣等感・個性

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2009.10.15

復讐心の裏側は・・・

※以下は占い師の個人的・独善的な考えです。

占いで人様の相談にのっていると、恋人に騙された、手酷くフラれた、恋人を奪われたなど様々な理由で復讐心を抱えた方とお会いするケースも結構ある。復讐のために相手を不幸にする方法や、相手が不幸になる時期を占ってくれと頼まれることもある。無論、そういうご要望はお断りさせていただいている。それに、そんな占いはちっとも本人の救いに役立たない。その占いで本人が救いに気付くこともない。

とりあえず、「復讐心」というものは、何かへの執着的な憎しみ(許せない気持ち)が無ければ発生しない気分ではないかと思う。別の感情、例えば悲しみや驚きや恐怖が原因で 「復讐」という行動につながるという話は聞いたことが無い。
「憎しみ」という感情は長引けばストレスになりうるとても苦しい感情の一つだろう。この苦痛を我慢し続けることが難しく耐え難い。この苦しみからなんとか解放されたい。この苦しみがまぎれるなら、「復讐」をしてみたい。この苦しみを解決する唯一の方法が「復讐」しかないのなら、ためらわない・・・
憎しみゆえに「復讐したい気分」が生まれるのなら、復讐心は「憎しみ」からの救いを求めている証。自分を救う明確な手段が思いつかないから仕方なく「復讐(相手の不幸)」にすがっている状態かも。 これ以上憎しみに己を蝕まれたくないからわき起こる発想の一つな気がする。これ以上憎しみを持ち続けたくないのかも。

「復讐」すれば憎しみを手放せる、憎しみ続ける苦しい状態から解放されると信じ、願い、思い込み、すがる・・・
「復讐心」が「憎しみから自分を救いたい気持ち」から生まれるのだとしたら、「復讐心」を持つ人の本当の目的は「自分を憎しみから解放すること、憎しみ続けるのをやめられるようにしてあげること」かもしれない。「相手の不幸」はそのための手段の一つになると思っただけのことで、本当の目的ではないのかもしれない。
復讐は自分を憎しみから救う「手段」であって「目的」じゃない。じゃあその肝心な「目的」の方を叶える方法をひとつに限定せずいくつか探ってみてはどうだろう? その方が「目的」の成功率が上がる。

復讐心を抱くほど長く尾を引く相手への恨み憎しみ、許せない気持ちといった「その事にこだわる気持ち」をたどっていくと、実は気付かないうちに自分の嫌な部分、変えたい部分(変えられる部分)を相手に投影していて、その「変えたい部分」を忘れずに覚えておきたい(自覚したい)無意識の気持ちが長く尾を引く執着の原因になっていたりすることもある(あくまで一例)。

例を挙げれば、自分を騙した恋人(恋敵)と似たようなズルさを自分も持っていて、そのずるい部分を変えたい、放置したくない気持ちがあの時の相手の憎むべきズルさを鮮明に記憶させている、なんてことも。そのことに気付いたらなんだかスッキリして、復讐にこだわらなくなった(憎しみから解放された)ということもある。
別の例をあげれば、憎しみを生むような嫌な体験をしたとき、その時の自分の選択・態度・振る舞い・発想等に無意識では後悔しており、今後同じ失敗を繰り返さないために、どこがどう心残りだったのか(どこをどう改めたいのか)に気付きたいという無意識の思いの裏返しがその当時の憎しみに固執させる場合も中にはあるようだ。
もしも、その時の自分の態度や振る舞いや発想が好きな人を失った原因だったりすれば(相手を試すつもりでわざと遠慮や冷たい態度をしてみせたら見切りをつけられ別の人とくっつかれてしまった等)・・・

自分の変えたい(改めたい)部分、自覚したい部分が存在することに気付きたくて感情が尾を引くということは、裏を返せば自分の幸せな人生のためにその部分をどうしても変えたい、自覚したいという証かもしれない。その部分が以前から気付かぬうちに自分にデメリットを与えていたのかもしれない。
(この手のことは恋以外の出来事でもありうると思う。痴漢に遭ったが面倒がって何も言わずに我慢した数日後、我慢したこと無意識に後悔していたことが背景となってふつふつと捕まらない痴漢への憎しみが湧いてきたとか)

復讐を、「己を救うという目的を叶える唯一絶対の方法」と思ってしまえば復讐しない選択は憎しみを手放せず我慢を続けるだけの救いのない無意味な選択だと思えるかもしれないけど、復讐と同じ目的を復讐以外でかなえることが出来れば・・・
例え相手が不幸になっても、それで自分が憎しみを手放せる保証は無いわけで・・・
不幸がきっかけで相手が自分に対して罪悪感を持つ保証は無いわけで・・・
「手段の目的化」には、くれぐれもご用心。

人間が他者に罪悪感を持つためには、本人がその相手を尊重していたり愛している必要があるのなら、 誰かに自分への罪悪感を求める気持ちは、その誰かから愛情を求める気持ちでもあるかもしれない(特に恋愛の場合)。 そしてその気持は、その誰かが自分と同じ価値観を持つように求める気持ちでもあるのだろうか。「私はもっと尊ばれ愛されるべきで、ゆえにあなたもそう思って私を愛するべきだ」
(場合によっては、『愛情が得られるなら必ずしもあの人からの愛情じゃなくてもいい』なんてケースがあるかもしれない)
「復讐心」を抱く背景に、自分を苦しみから救ってあげたいという気持ちや今後の幸せのために自分の「ある部分」を変えたいという気持ちがあるなら、それは自分の幸せを願う自分からの愛情の証でもあるのだろうか。もしそうなら、少なくともその人は、無意識のうちに自分からしっかりと愛されているわけだ。
多分、恋愛のもつれなどで復讐を考えている人は、相手の不幸より自分の幸福について考えた方がいい。

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2009.07.01

人々を社会に合わせさせる? 社会を人々に合わせる?

日本では、もうずいぶん前から社会のさまざまな場所でストレスを抱え心身ともに健康を損なう人が多くなっている。いわゆる「ストレス社会」というやつか。
現代は文明が進歩していろいろ便利になったけれど、便利さに比例して楽になっていくと思われた社会は、なぜか楽にはならなかった。楽するために便利さを追求したはずが、さらに利益を追求するために、「楽」を犠牲にして利益を優先する生き方を選んでしまった。「楽」であることより「利益」があった方が幸せだと思ったのだろう。なもんで、便利になっていけばいくほど、楽じゃなくなっていってしまったのかもしれない。「過労死」「過労鬱」は文明が便利になってから発生した病だ。楽しようと思って文明を便利にしたのに、いつまでたっても楽ができない。

以下はそういうことを皮肉ったと思われるジョーク:
メキシコの田舎の漁師が生きのいい魚を何匹か獲ってきた。それをみたアメリカのエリートビジネスマンが言った
ビジネスマン「いい魚だね。どのくらいの時間漁をしていたんだい?」
漁師「そう長い時間じゃないよ」
ビジネスマン「もっと長く漁をすればもっと魚が取れるのに」
漁師「俺と家族が食べる分はこれで十分さ」
ビジネスマン「じゃあ余った時間は何してるんだ?」
漁師「日が高くなるまでたっぷり寝て、魚を取って、戻ったら子供と遊んで、飯の後は女房とシエスタ。夜になったら友達と一杯やってながらギター弾いて歌う。・・・そんな感じで一日終わりだな」
ビジネスマン「僕はハーバードでビジネスを学んだから君にアドバイスしてあげよう。君はもっと長い時間漁をすべきだ。家族が食べる以上の魚を獲って、余った魚は市場で売り、お金を貯める。お金がたまったらもっと大きな漁船を買う。大きな船なら漁獲量も増えるから更に儲かる。そうやって儲けを増やしていったら市場で魚を売らずに自前の工場を建ててそこで魚を加工する。その頃には君はこんなしょぼい田舎じゃなくて、メキシコシティーに引越し、ニューヨークやロスで企業の指揮を取れるようになるよ」
漁師「そうなるのに何年かかる?」
ビジネスマン「20~25年かな」
漁師「それからどうなるんだ?」
ビジネスマン「(ニヤリと笑って)凄い事になるよ。今度は企業の株を売却する。そうすれば君は億万長者さ!」
漁師「それで?」
ビジネスマン「そしたら引退して、田舎に住んで、日が高くなるまでたっぷり寝て、昼は魚釣りしたり子供と遊んだり奥さんとシエスタしたり、夜は友達と一杯やりながらギターを弾いて歌って余生を過ごすんだ。ね、素敵だろ?」

同じ利益を半分の時間で達成できれば、利益も時間も得られて一挙両得。それが楽ってことなんだと思うけど、どうやら便利な文明を生きる人々は、「楽を犠牲にして利益を追求しまくらないと楽になれない」と思い込んでしまったらしい。楽を犠牲にしたら楽になれない。単純なことだ。
「健康のために命を犠牲にしなければ健康は得られない」みたいなジョークのようにも感じる。
楽を求め楽を得る術を持ちながら、それを生かせない。特に日本はそういう傾向があるのかもしれない。

文明が便利になってから生まれたストレス社会。そんな世界では、よく「生きてるのがつらい」「生きにくい」という言葉を耳にする。これは多分、生きてるのがつらいんじゃなくて、そんな生き方がつらいだけだろう。

文明が進歩して以降の近代社会というものは、人間達が「その方が生きるのに便利だ」と思って作っていったシステムなわけだから、人間達に従い人間達に合わせて役割を果たすのはあくまでも社会の側。
しかしいつの間にか人と社会の立場が逆転して下克上になってる。社会であれなんであれ、「システム」というものは、物事の進歩や発展のためにその時の状況に合わせて便宜的作られたもの。いわば階段のステップように上へ登るための一時的な踏み台として利用するものだ。決して恒久的な支えになるものではない。もしもそれを恒久的な支えにしようとしたら、それは階段で一つのステップに踏みとどまり上へ登れずに足踏みしている状態。進歩も発展もしていない証。階段のステップを上へ登る踏み台ではなく、その段階に固定して縛りつけることになる。上昇する進歩と発展は可能性と共に抑圧される。すると階段を登ろうとする本能は、多分苦しむ。

もはや人間達は生物的に見ても自分で作った今の社会に己を合わせられなくなって来ている。無理に合わせようとすると人間本来の生命活動に支障を来たしストレスなどで健康を損なう。それでもなお自分を社会に合わせようとしている。時には、合わせられない自分を責めながら。合わせられない誰かを責めながら。
楽するために作ったはずの便利なテクノロジーを、楽を犠牲にしてまでやたらと乱用した結果、人間を含む自然界全体にストレスを与えてしまった。
そういう不便な社会には自分を合わせられないと感じた気後れでニートになった人もいる?
不便な固定観念に支配され、自由な発想や生き方を束縛され、抑圧されてしまった社会。支配者が目に見えない分だけ、独裁者よりもタチが悪い?

便利さを発達させたのは楽をしたいから・・・楽をしたいのは、今までとは違う自分を生き、今までとは違う生命の可能性を見つけたいから・・・生命力が圧迫されたら、それもできない。生命力の可能性は、閉ざされてしまう。
楽になった経験が少ないと、楽になった時間をどう生きればいいかわからず不安になって仕事中毒になることさえある。楽を求めてはいながらも、楽が怖い。それは、今までと違う生き方(=楽によって得られるもの)が想像もつかない未知のものだから。それは怖い。視野が固定されて今までのステップだけを凝視したまま前が見えずに階段を踏み出すようなもの。
そこまでになる前に、自分の生きる喜びには「利益の創出(仕事)」以外の様々な可能性やバリエーションがあることを気付いて受け入れておきたい。ステップは一つきりではなく、今のステップの先には別の新たなステップがあることを何となく感じておきたい。進化の階段。今までのステップは、次のステップの踏み台だ。仮に今までのステップの名前が「経済成長」とすれば、次の別のステップ(やはりこれも一時的な踏み台なのだが)の名前は、どう呼べるようになるだろう?
 
かつて人間が自らの生命活動を支援するために作り、しかしなぜか人間の生命活動を圧迫するようになった下克上的社会。SF作家ならロボットの反乱、村上春樹なら「壁」の例えで表現し、タロット占い師なら「塔」で表現するかも。
そんな下克上状態を正常モードに修理する時は、文字通り「天地がひっくり返る」事態になるだろう(ちなみに今年は四柱推命では下克上を象徴する干支らしい。下克上モードの修理は『下克上の下克上』と表現できるだろうかw)。それが修理のサインかもしれない(去年から修理期間始まってる?)。そのサインを、人によっては「終末」と表現するだろうか。特に、修理前の下克上モードに強く執着して生きる人には恐ろしげな終末に見えるかも。
(けれども人は、時に終末願望を持つ。無意識の本能が修理を望んでいるからかもしれない)

修理中は人間なら入院中や手術中みたいなもので、今までと勝手がちがう分色々大変だけど、今までの不具合や圧迫が取れる良い兆しでもありそう。故障中より修理中の方が可能性がある。
修理が終わった楽器は、以前よりいい音が出るはず。


文明と生命力の使い道
村上春樹氏のスピーチ

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2009.02.10

不安の正体をさぐると・・・

※あくまで一占い師個人の見解です。

自分の心が作り出した不安(妄想)に惑わされて冷静な思考や判断を妨げられ、占いにすがる人達が古今東西沢山いる。あのエジプトの女王クレオパトラもそんな感じで、最後の方は占い依存症だった。カルトはそんな人の心理に容易につけこんで高値のツボを買わせたり洗脳させたりする。
人は自分の中に内なる不安感を持っていると、それを外部のさまざまな物事にそのつど投影し、「これが自分の不安なのだ。これさえ解決すれば不安はなくなる」と勘違いして、「にせの不安」を「本当の不安」と思い込むことが多い。「にせの不安」をひとつ解決しても再び際限なく不安の口実を作ってしまう。そのため、「毎回似たような不安を持ってしまう」ことが多い。それで占い依存症になる人もいる。ひどいと不安が作り出した強迫観念のために理性や判断力を失ってしまうケースも。とりあえず、毎回似たような不安を繰り返す場合は、「内なる不安」を抱えている可能性が高い。その場合、その時々で発生する不安の具体的な形には目を向けず、自分の不安感の共通点を探ると○。 例えば・・・

人に愛されているかどうか不安(恋の不安含む)
願いが叶わないことへの不安 (出会いや復活愛含む)
他人からどう見られているか不安 (嫌われ不安含む)
自分が失敗しないかどうか不安
仕事への不安
家庭内の不安
突然災難が起きるのではないかと不安
不注意によって取り返しのつかない結果になる不安
恥をかいてしまう不安
被害を受けるのではないかという不安

際限なく似たような不安感が浮かんだり悪い想像が頭を離れないのは、内面の不安感を外部に投影していることに気づかないから。
どんなに不安を感じていても解決のために事実確認をする意志が持てないのは、「本当はその物事を不安になど思っていないから」というケースが多い(現実逃避の場合を除く)。 タロットなら剣の9が高確率で出る。
外部に内面の不安感を投影しているだけなので、「何が不安なのか」の答えは別にある。
では、本当は何が不安なのだろう? 「本当の不安」を見つけることができれば、自分が外部に投影した具体的な「にせの不安」にいちいち振り回されることなく冷静に「あ、本当はこれが怖いなわけじゃないんだな。じゃこれは心配しなくていいや」と思うようにもなれる。不安のために本来なら出来ることややりたいことを出来なくさせてしまうことも無くなる。人によっては、本来の自分を封印する必要さえなくなるかもしれない。

◇不安の正体をさぐると・・・

まず、仮に自分が抱える具体的な不安や具体的な悪い想像が実現してしまった場合、どんな気分を抱くだろう?怒り、悲しみ、劣等感、不信感、不条理、罪悪感、後悔、尊重されていない気分、自己否定、寂しさ、絶望、失望、死の恐怖、喪失感、自分を見失った感じ・・・その時気分は人それぞれだろうが、共通して言えるのはそれが心に秘められた何らかのネガティブな感情だろうということ。そしてその「内なるネガティブ感情を恐れる心」が内なる不安感の正体。そして内なる不安の原因が心に隠れたネガティブ感情。正体と原因。それらを「不安が実現した場合」という仮の想像でなるたけ突き止めておけると○
内なる不安の持ち主が毎回作り出す(毎回外部に投影する)具体的な不安のパターンに共通点があるのは、不安が特定のネガティブ感情をもとにして作られているためかもしれない。
不安因子を数種類持っている人の場合、不安パターンが数種類あるようだ。どれも不安因子がどんなタイプの感情かを突き止めておくと、投影に振り回されにくくなる。 不安因子となるネガティブ感情がどこから来たのかは千差万別。本人の体験が抱えているものだったり(その場合は過去にさかのぼってその感情が発生しなかった展開をイメージし、その場合自分はどう生きどんな人になっているかを仮に想像すると○ そのイメージ上の自分が解放を待つ隠された自分を知るヒントになることも) 、あるいは自分より前の世代の、遺伝子に記憶されたものだったりすることもある。時には民族レベルで刻み込まれたトラウマということも(イスラエルはガザ地区を攻撃したときそのトラウマに振り回されて暴走してしまった)。
何が内なる不安の原因であれ、それを外部に投影し「にせの不安」に基づいた行動に自分を駆り立てないであげるのが重要。不安が動機になっている発想や行動は、結局不安を強調してしまうのだ(占い依存症も然り)。内なる不安を外部に投影してニセの不安を捏造した結果、「不安だから本当はAにしたいけどBで我慢しよう」「何かを心配していないと不安だから何とかして不安材料を探そう(不安の投影対象を探そう)」などと判断してしまうのはとてももったいない。 ニセの不安に振り回されるなんてもったいない。

本当はそのことを不安がってなどいないのだから。


(もし自分の中に不安因子になりうる「内なるネガティブ感情」があってお困りなら、専門家に相談してみてもいいと思う)

連想と投影の魔力
恋の不安と思い込み
恋人は、誰よりもあなたのそばに?
不安の口実 推測の根拠
自分の中の暴れ馬
占い依存症のこと
占い依存症チェック
占い・おみくじで悪い結果が出た時の心がまえ
職場の困った人
容姿・劣等感・個性
予言とカタルシス願望1
イスラエルを人間に例えると

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2008.03.10

不安の口実 推測の根拠

日常において、自分の抱えている不安が妄想なのか、現実的なことなのか。毎回区別がつかなくて、精神が不安定になって、安定剤代わりに発作的に電話鑑定をしに来る人達が、どこの電話占いにも多い。
人間は一日に膨大な量の思考をするといわれている。思考の回転を完全に止めることは、禅僧でも難しい。
そのため、心配性の思考から数え切れないほど生まれる不安妄想を毎回占いで確認し解決しようとしたら、簡単に貯金が底をつく。そして、以前書いたように、占いをする「だけ」では事実確認をしたことにならない。電話で話しただけで突如物的証拠が出るわけもない。確認なしで不安は消えない。
心配性の人が危険や不安を感じた時に占い師に相談するなら、「真実は何ですか? その証拠はどこですか?」とか、「これは妄想ですか? 現実ですか?」ではなく、「これが妄想なのか論理的推測の末にはじき出した現実的なリスクなのかを自力で見分けるために、今何ができますか? 注意点は?」と自分で妄想を見分けるために必要なことや注意点を尋ねてみよう。妄想、推測、虫の知らせ・・・どれも脳の使い方が違う。ゆえに脳の中(心の中)には、見分ける証拠がある。

仮に自分の不安や危機感が「論理的推測の末にはじき出した現実的なリスク」であった場合。推測には現実的・客観的な根拠があるはず。そして、その根拠を基に、具体的対策を取ることが出来る。
しかし不安や危機感が単なる妄想だった時。推測だと思っていたものには、根拠がない。ゆえに、具体的対策の前提となる根拠が存在しない。根拠がないから、具体的な対策は取れない。

分かりやすく例えると、家探しで海の見える手ごろな物件を見つけたとする。すでに9割方その物件に決めようとしていた。しかし「海の見える所に住みたいけど、大津波が来て住居が浸水したらどうしよう」とある時突然不安になったとする。「大津波が来る」と「住居が浸水する」という推測の根拠をあげてみる。大津波が来る条件は? 土地の地形は? 物件の土地の海抜は? 海からの距離は?etc・・・
「この物件の立地条件では大津波が来るとは考えにくい」
「この物件の立地条件では浸水することは考えにくい(もし浸水するとしたら、市内全域が浸水することになるから心配しても仕方がない)」
そんな結果が出たとする。それで安心できれば問題解決。逆に、
「この物件が立つ場所は津波が発生しやすく、ハザードマップでは浸水しやすい区域」
そんな結果が出れば、それを根拠に「この物件は選ばない」または「地震保険の有無を確認」という対策がとれる。
しかし、仮に「この物件は大津波の被害を受けるとは考えにくい」という結果が出たにもかかわらず、
「でも100%の保証がない。とにかく、現実的な推測が及ばない理由(尋常でない地震や隕石で)大津波が来て家が浸水するかも(となれば市内が全滅するかも)」という不安がぬぐいきれない時。
「とにかく、よくわかんない理由でそうなっちゃうかも」という類の不安感は、現実の条件や状況がもたらす論理的感覚ではなく、精神的な部分の問題だ。「現実」ではなく「精神」が引き起こした感覚である以上、「妄想」と言える。例で言えば、精神が「海の見える物件」というだけのことを口実に「大津波で浸水」の妄想を作り上げたともいえる。「大津波で浸水」という不安を「恋愛の不安」や「仕事の不安」に置き換えても同じことが言える。
「妄想」は、現実世界の些細なことを口実にして無理やり話をこじつけ、決め付ける。まるで中世の魔女狩りのように。
今抱えている不安には、根拠があるだろうか? それとも、口実があるだけだろうか?

不安の正体を探ると・・・
恋の不安と思い込み
占い依存症チェック

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2007.12.09

職場の「困った人」3

※ここで書く「困った人」の定義や特徴はこちら
※以下は占いを通しての仮説です。

さて、ここで心に留めておきたいのは、「困った人・扱いにくい人」は責任やミスから逃げ回っているというよりは、自分の無意識にある自己否定や劣等感から逃げ回っている、「負の感情の上書き」から逃げ回っていると考えた方がいいと思う。ホンのちょっとしたことでも条件反射で「負の感情が上書き」されてしまうので、その連鎖から逃れるために過剰な臆病さや極端な自己正当化、尊大さを身につけてしまうといった感じ(上書きの連鎖から逃れるためにニートになる人も居る)。
逆に、「負の感情」や「負の感情の連鎖」を自覚してそこから何とか自分を解放することが出来れば、幾分改善の兆しが見えてくるかもしれない。

◇対策

本人:
まず、「反省」と「自己否定」をしっかり区別してみては。「反省」は「自己否定」と違って「失敗を繰り返さないだけの能力が自分にはある(自分は向上できる)」と思える程度の自信や自尊心を持っているからこそ出来ること。誰かがあなたに反省を求めるのは、あなたにその程度の自信と自尊心を持つに値すると認めているから。責任ある仕事のためには、自己評価0(=自己否定)の前提で進めてはうまくいかない。職場で「評価の高い人」は誰もがある程度は持っている「基本的な自己評価(自尊心)」の上に仕事を通して他人からの評価ポイントを沢山追加できた人。そしてあなたが特に障害を抱えていないのなら、あなたには人並みの能力が無いと考えるよりも、些細な口実で自分を否定しすぎて能力を封印し使えなくしてしまっている(能力を育てなくしている)と考えた方がいい。「自己否定(負の感情)」は「意欲」や「反省」や「向上」さえ許さない。能力の発揮さえ許さない。周囲の人は、そんなことを決して望んではいない。
また、気軽にカウンセラー(または心理療法士)に相談しに行くというのも一つの手だ。それを恥じる必要は全くない。自分が他人から(自己)否定される不安を持っているなら、「自分を貶めて傷つけているのは結局自分だ。仕事の失敗で個人の人格や存在や尊厳が否定されることなど起こりえない(ミスした相手の人格を本当に本当に否定する人がいたら、むしろその人自身が深刻な問題を抱えている)」「どんな人間も他人の人格を否定できるほど相手の人格に責任を持っていない(人は他人の人格を背負えない)」「自分は本質的に人より能力が無かったのではなく、『負の感情が』能力を抑圧(封印)しているだけで、能力(素養)自体は人並みに存在している。「抑圧を解けば慣れて上達する」「人の心は発展する」と自分に言い聞かせておくのも良いだろう。

健康面から:
カードで見る健康面での傾向を言うと、「困った人」の中には、よく眠れていなかったり(或いは夜遅かったり)カフェイン過多だったり、(特に神経系が)疲れやすかったりする傾向があるようだ。リラックスしずらいのだろう。チックを起こす人もいるみたいだ。アーユルヴェーダの分類でいえばヴァータのアンバランスやカパのアンバランスを起こしている感じ。カモミールティーを飲んだり、昇ってゆく午前中の太陽光に背骨と首の後ろを5分から10分ほど当てたり、寝る前にラベンダーの香りをかいだり(あくまで寝る前)、仕事前にユーカリやグレープフルーツの香りをかいでみるのも良いかもしれない(ティッシュに香りを染み込ませて持ち歩いてもいいだろう)。特にグレープフルーツの成分には余計な緊張やプレッシャーを解いて活動意欲を引き出す効果があるとされている。
また、こちら(付き合うポイント)こちらを参考にするのも良いかもしれない。

上司の立場で:
部下に「困った人」が居るなら、劣等感を抱えた思春期のようなイメージを内心でこっそり持つと少し理解や予測ができるかもしれない(あからさまな子ども扱いはNG)。その上で「困った人」が深刻な「負の感情の連鎖」を抱えていると思われる場合は、カウンセラーへの相談を進めるのも一つ。
反省が出来るには、最低でも「失敗を繰り返さないだけの能力が自分にはある」と思える程度の自信や自尊心が必要だ。「負の感情の連鎖」がひどい人は、そもそも「反省」とは何かが余り分かっていないことがある。自己否定と反省との区別があまりついていないのだ。本人のやっていることが「反省」か「自己否定」か、「責任の回避」か「自身に対する負の感情の回避」か。私がカードを見てきた印象では、その辺もカギのように感じる。
そんな「困った人」を叱る場合は、ミスしたこと・出来なかったことや、問題点、本人の人間性についてただ感情的に攻撃したりするような叱り方ではなく、上記の太字で書いたことを踏まえて「反省(向上)」の方に意欲や発想を促すような叱り方(指導の仕方)が良いかもしれない。仕事がいつもより上手くいった時は、少しほめても良いかも(劣等感と幼さを残す部下の教育は、ある意味思春期の子育てと一緒なのかも)。
こちら(付き合うポイント)が何かの参考になることもあるかもしれない。

部下の立場で:
上司が無茶な言動をとる場合、表情をよく見ておくといい。おそらく、「悪意のある表情」ではなく、不安や恐怖や緊張といった表情かもしれない。時には、自分が作り上げた悪い想像や取り越し苦労(思い込み)に基づいて怒っているかもしれない。そんな上司を支えなければいけない立場にあったら、普段から上司に取り越し苦労をさせない工夫やプレッシャーを和らげ安心感を与える言動(出来れば論理的な方法で)を取ってみたり、不安妄想に気付かせてあげたり、確認を促すこともいいだろう。つじつまの合わない部分を指摘したり、具体的な質問をすると目を覚ます場合もある。「むしろ○○の場合の方が却ってリスクが高いかもしれません」という別のケースとリスクを比較する言い方をすると、不安から来る頑固さが緩む場合もある。「おはようございます」「お疲れ様でした」といった挨拶が役立つこともあるかもしれない(人によってはおだてに弱いことも)。


「自己否定(負の感情の連鎖)」と「反省」は全く違う。混同してはいけない。混同させてもいけない。
自分の存在に対する「負の感情」が強い人には、「反省」できることが自分の可能性を認め、自分を肯定する一歩にさえなるかもしれない。

おわり

今回取り上げた記事と似たような悩み、関連する悩みがあり、自分にあわせて深く掘り下げた相談がしたい方はこちら

サラリーマンNEO

占いのご相談

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2007.12.07

職場の「困った人」2

※ここで書く「困った人」の特徴はこちら
※以下は占いを通しての仮説です。

◇困った言動の理由

ミスが判明した時の言動:
ミスをして落ち込んだ場合、「ミスしたことが残念(だから次は同じ結果にすまい)」という気持ちと、「ミスしたのは私が本質的に劣る証」とか「私には本質的に人並みの能力が無いので同じことを私にやらせれば同じ結果が返ってくるだけ。」という気持ちでは、意味が全然違う。ミスをして謝る場合、同じ「すいません」でも、「ミスしてごめんなさい(自分の行動を謝っている)」と「ミスをするダメな自分で御免なさい(自分の存在について謝っている)」では、全然違う。どちらも後者の方が落ち込み方が激しい。心がどちらの落ち込み方、謝り方をしているのかでミスの発覚時(更には非難・叱責時)の反応や感じ方も異なる。「負の感情」が無意識のうちに判断や認識をゆがめてしまうみたいだ。
彼らの心の領域では、ミスの事実そのものが「自分は無価値・劣った存在」の証拠になってしまうのか、「ミス」=「負の感情の更新」であり、「ミスを認めること」=「無意識の劣等断定や自己否定を意識的に行うこと」と誤認されてしまうため、どうしても頭がミスを認めたり謝ったりすることを拒否してしまう。結果的に「責任逃れ・責任転嫁」や「無理な言い訳」「笑って誤魔化す」「何事も無かったように(時には無表情に)振舞う」をしてでもミスの事実を認めず回避しようとする人もいるようだ。ミスや落ち度を認めるように厳しく追求されると「自己否定を強いられている」と勘違いして逆切れするパターンもあるかもしれない。どうしてもミスや落ち度を認めなければならない場合は激しく落ち込む(パニクる)。落ち込むことは出来ても、1で書いた背景により具体的な「反省(分析や防止策)」が出来ず、さらに落ち込む・・・

非難・叱責への反応:
非難や叱責は「自分の存在そのものに対する非難や叱責」ととっさに誤認してしまい、やはり激しく落ち込むか「存在や人格を全否定されたような感じ」を覚えて逆切れや逆恨みをしてしまうことがあるようだ。「行動・過失を非難された」ではなく、「やったことそのものよりも、それをした人間の人格と存在を非難された」という認知のゆがみがおきているといった感じか。謝罪できない人の場合は、「言動」の所で述べたような理由や、「謝罪=自分の存在や人格の否定を公に肯定する」とか、「謝罪=自分が無価値であることを公に公表する」という図式になっていることがあるようだ。また、1で書いた背景により、「負の感情」が影響して問題の解決能力や防止能力が抑圧され自分の意志では必要な時にも「使えなく」してしまっていた場合、「もとから出来ないことを攻められ続けている」と感じての逆切れもあるだろう。そんな条件反射的、無意識的な誤認は本人が気づいていないことも多い。そんな人達を占って出したカードの印象では、周囲の自分に対する態度や言動がいつ意識的な「負の感情」の上書きに繋がるかいつも恐れてしまっていて、防衛のために殻を作って必要以上に臆病になったり被害妄想気味になることもあるようだ。問題再発防止の助言や協力の申し出や励まし、或いは起きた問題が本人のせいではないかもしれないので検証のために詳細を尋ねた時でさえ、「本当は自分を責めてるんだ」「結局最後は私がダメ人間だと判明して私が責められるんだ」と思い込んで取り合わなかったり、逆切れしたり、良かれと思った励ましがプレッシャーになってしまったり(人によっては、『私はあなたが思っているよりずっと無能なんですよ? まだ分からないんですか?』という気分になるとか)、「自分がこの職場にいる限り同じミスが際限なく繰り返され、際限なく攻められ続け、なおも決して向上しない絶望感と負い目」を抱く人もいるようだ・・・

周囲への影響:
「困った人」自身の自分を追い詰めた結果の言動は、周囲をも追い詰める。上司や同僚がストレスを溜めてしまったり、関わりあいを避けて冷たくよそよそしくなったり、ついきつく当たってしまうこともあるだろう。逆に、「困った人」の側が際限の無い「負の感情」の上書きによるストレスから誰かに八つ当たりすることだってあるかもしれない。ストレスが仕事の効率を下げてしまうことも十分ありうる。
最近問題になっている「社内いじめ」にはそんな背景も含まれてないだろうか? 

(『負の感情の連鎖』を抱えているのが子供の場合、それがいじめや家庭内の虐待に発展する因子になりえるかもしれない。子供の発達に深刻な影響が出かねないので、周囲の大人の注意が重要)


次回は、「困った人」本人や周囲にむけて対策のポイントをささやかながら書いてみる。

つづく

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2007.12.03

職場の「困った人」1

※理屈っぽい上に長いので、イライラしてない時に読んでください。
※この記事は占い師の独断と偏見と勘ぐりです。占いを通しての仮説です。全ての場合に当てはまる前提では書かれていません。

仕事についての相談を占っていると、その中には同じ職場のいわゆる「扱いにくい人・困った人」への対応に頭を抱えていたり、本人がそうだったりする(そして裏では本人も密かに悩んでいる)ケースも結構目立つ。どうやら「困った人」は最近増えているらしい。占いを通して見えてきたことをこれから書くことで、周囲が理解しにくい「扱いにくい人・困った人」への理解にわずかにでも役立てればと思う。 「困った人」といっても色んなタイプがいるので、ここで書く「扱いにくい人・困った人」の共通する特徴を書くと・・・

◇特徴

・仕事が出来ない方だ
・ふてぶてしい
・ミスをよくやる(または通常では考えにくいミスをする)
・ミスをするとひどく落ち込む(パニクる)
・ミスの原因が自分でも分からない
・同じミスを何度も繰り返す
・どうやったら再発防止ができるかわからない
・謝らない
・ミスを責められ続けると逆切れする
・一見すると反省しているようには見えず、無表情になっている
・問題を笑って済ませようとする
・ミスを決して認めず、時には人のせいにしたり、無理な言い訳さえしようとする
・自分の落ち度や責任を認めた方が面倒が少ない時でも、責任逃れに必死
・ミスの再発防止のための助言や協力や励ましすら拒む
・向上心が無い(努力する意欲がない)
・被害妄想気味だ
・必要以上に臆病だ
・長い間同じ仕事をしていても、何か問題が起きるとパニクるだけで対応が出来ない
・ある時ふっと幼い印象が出る(幼稚だといわれることがある)

◇「困った」背景

「困った」人々の一部には、単に「自分に自信がない」というよりも、自己否定や自分の存在そのものに対する強い劣等感や罪悪感、卑屈さ、不安・・・とでも言うような、自分自身に対する負の感情を長い間(時には子供時代から)抱いて来たようにカードから見受けられる人がいる(以下、そのような感情のことを「負の感情」と「」をつけて表記する)。深いところで無意識に抱いてきた「負の感情」が、無意識のうちに思考や判断や認識の邪魔をしていると様々な能力に悪影響し、問題にアプローチする能力を無意識に自分で封印・抑圧してしまい、必要な時にも使えなくなってしまうことがあるようだ(もしかしたら注意力や仕事の能力さえ一部抑圧してるかも)。
そのために同じ失敗を繰り返し、その理由も対策も防止法も分からない(分析したり、突き止める能力が使えない)まま自己に対する「負の感情(+能力の封印)」が新たに上書きされ強まってしまう悪循環になっている人が多い様だ。「落ち込むだけで解決できない。解決できないから落ち込む」といった感じか? また、ミスの指摘、非難、叱責といったものに対して内面の負の感情を投影し、相手から自己を否定されたという認知のゆがみを引き起こす。すると外部からは「被害妄想気味」と映る。特徴の過半数が当てはまる人は要注意かも。以下に、「困った人」の特徴にあると思われる背景についてより詳しく書く。

ミスの繰り返し、改善の困難:
上に書いた背景から、時にはミスの分析というものをしたことがなく、やれと言われても何をどうしていいのか全く分からず途方にくれてしまったり、予想外のトラブルや新しい仕事を頼まれると「劣った存在の能力では手に負えるはずが無い」と能力の封印+思考停止をしてしまい、プレッシャーを強く感じたりパニクってしまったり、そのことがまた「私は価値が無く劣っている」「私はダメ人間」という証拠だとして負の感情を上書きしまう人も居るかもしれない。そんな「負の感情の連鎖を長い間繰り返していると、仕事への意欲や向上心が無くなっていってしまう。深い自己否定や劣等感の思い込みで自ら可能性や向上心の芽を摘んでしまっている。人によっては「毎日落ち込むために職場に行って仕事をするようなものだ」とか、自分を変えようと努力することに対して「私のようなダメ人間は努力したって無駄だ。だからこそダメ人間なのだ」と無意識に思っているかもしれない(自己否定と向上や努力の意欲は両立しにくい)。

幼い印象(幼稚だといわれる):
例えば子供の頃から「負の感情の連鎖」を繰り返して来た人の場合、子供時代に精神的な発達・成長がうまく進まずに幼さを残していたり(それが必ずしも病的か否かは占い師にも判らないが、最近多い?)、発達に時間がかかって今なお心の発達が継続中の人も居る。それがやはり無意識の劣等感や不安になっていることだってあるかもしれない(しかし心は大人になっても育つので手遅れではない。発達が進めば能力も上がりそう)

「負の感情」はどこから?:
そんな様々な障害となる「負の感情」がどこから源を発しているのかは千差万別。気質、生い立ち、環境、理想の作り方が現実的でない、超大器晩成型故の周囲とのギャップ、外界(他人が存在する世界)と調和の取れた接触をする能力が未発達(そのことに無自覚)、或いは何かの病気や体調不良が絡んでいることだってあるのかも。しかし本人が自分の問題(落ち度ではなく、抱えているテーマ)を何か(誰か)のせいにして自分とは全く関係のない所に丸投げしてしまうのはNG。「自分では解決できない」としてしまうようなものだ。丁度流行するインフルエンザにかかった時の対処のように、「自分の身の上に起きている事なら自分も解決のために出来ることがある(自分の対処次第でインフルエンザが治る)」と言う発想が○。「全てはウイルスが悪いんだから自分は悪くない。落ち度が無いのに何で私が動かなくてはいけないのか?」と何の対応もとらなかったり、逆にインフルエンザにかかった自分自身を責め続けるより、「自分次第で解決出来る(回復できる)」として考えた方がベターなのと同じ。「落ち度(罪)があるから努力する」と罪悪感を基にするのではなく、「自分をより助けるために努力する」と言う前向きな発想が○

次回、困った人の言動(責任回避・無気力・落ち込み・逆切れ)の理由についてより詳しく書いてみる。

つづく

容姿・劣等感・個性

不安の正体を探ると・・・

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2007.08.05

予言とカタルシス願望2

※非科学的なお話です。「カタルシス願望」の説明はこちら。   ※お好みでBGMどうぞ(右クリック別窓)。

ジュセリーノの予言とカタルシス

「ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース」というブラジル人の男性がいる。普段は高校で語学の先生をしているが、「予言者」もやっている。なんでも、9歳の頃から身の回りのことに関する予知夢(未来の出来事を暗示する夢)を見るようになり、それがまたよく当たっていたのだそうだ(当たったとされる予言はこちら)。現在は予知夢を通して世界中の出来事を予言しており、予言の内容は公文書に記録しているらしい。夢のお告げに従って、各国の政治家に予言の内容を記した手紙を送ることもあるそうだ。ノーベル賞を受賞した元米国副大統領のアル・ゴア氏にも、何年も前に手紙を送ったことがあるという。そんな彼は今、ブラジルのみならず日本でも話題になっていて今年たま出版から彼の「予言」をまとめた本も出た。日本のテレビでも取り上げられた。
彼が予言する出来事で印象的なのは、世界中で巻き起こるらしい終末的な自然災害だ。特に、大地震の予言が注目されている。他には事故や犯罪、そして「人類滅亡」についての予言もあり、これまた人々の注目を引いている。その様子は20世紀に流行った終末予言系のパターンと似ている気がする。

注目される彼の予言に地震の予言がある、ということは、地震の夢を見ている、ということ。夢の世界では、地震は精神的な動揺とか、現状に対する不満や現状を変えたい(破壊したい)気持ちの象徴だったり、あるいはそれこそ「自信がゆらぐ」という意味にもなったりする。いかにもカタルシス願望の原因になりそうな心理の象徴だ。
そして、「集合無意識を覗き込む夢」ともいわれている予知夢で地震の夢を見るということは、カタルシス願望を持っているのは夢を見た本人のみならず、彼の夢(予言)に興味を持った多くの人々にとっても同じことかもしれない。まさに、「カタルシスを夢見る」。地震予言が特に注目される理由は、日本が地震国だという理由だけだろうか?世紀末を過ぎても予言が話題になるということは、「予言ビジネス」が儲かるということは、それだけまだ「予言」に需要があるということ。それだけカタルシス願望を持っている人がいるということか。その願望は、破壊的な予言に投影されるようだ。特に、「不満や鬱屈を抱えているけれど、その正体が具体的に何なのかハッキリしない」という状態でのカタルシス願望は、鬱屈の投影先が定まらず、結果鬱屈があらゆるものに投影されてしまい、「壊したいものがハッキリ分からないから、とりあえず手当たり次第に色んなものを壊してみよう」という無意識のイメージにつながって「世界中を壊して回る」ような終末予言系のネタに願望が投影されても不思議はないかも(なお、ジュセリーノはテロや犯罪の予言も沢山している。鬱屈がテロや犯罪にも繋がりうることは、言うまでもない)。また、「漠然とした閉塞感を打開したいけれど、閉塞感の正体が分からないので打開の方法が分からない。」「自力では閉塞感を打開出来ないと思われる」状態でのカタルシス願望の場合、願望の投影先が「神秘的なもの・謎めいたもの・人知を超えたもの」になることも多いのではないか。何か人の力を超えた不思議な力が自分でも正体の分からない鬱屈を捕まえてカタルシスを起こしてはくれまいか(自分の現状を変えてくれまいか)と期待する心理・・・
21世紀初頭。そんな状態でカタルシスを無意識に求めている人は、一体どれだけいるんだろう? 恐ろしげな予言の話を「怖い怖い」と言いつつ実は心のどこかで妙に楽しくなっちゃう心理は、誰にでもありうること。「カタルシス」は語源が示すように娯楽の側面があるのだ(日本の伝統的カタルシス法は怪談かも)。だからメディアはセンセーショナルに盛り上げる。本も売れる。世紀末をとうに過ぎたとしても。
古代ギリシャの観客は上演される悲劇に己の過去の悲しみや苦しみを投影し、追体験し、涙で悲しみを浄化した。それが「カタルシス」の起源だ。今では絶叫マシーンや怖い映画などで日常のストレスを解消するなどのカタルシスを遂げる人は多いが、終末系予言にカタルシス願望を投影する人の場合、実は「壊したいものが何か分からない」こと自体がストレスなので、予言に漠然と期待感を投影するだけではすっきりし足りない人も多い。その場合は壊すべき鬱屈の正体と理由をしっかり知ってはじめてカタルシスが完了する。多くの人は今までの終末ブームで漠然とした願望投影は出来ても、鬱屈の正体を知ることは出来なかった。ある予言でカタルシスが遂げられなければ、別の予言を「はしご」する。だから終末ブームは終わらない。壊したいのは自分の奥深くの鬱屈であって、外の「世界」にあるものじゃないと気付くまで。比喩的にいうなら、「自分の可能性を広げるために、それを妨げている内なる世界の殻を壊したい」といった感じだろうか(セカイ系アニメが流行るのもそういう風潮?)。
(それに気づけなかったオウムはとうとう暴走して、ハルマゲドンになぞらえたテロという形で終末系カタルシスをやってしまった?)

予知夢を見るジュセリーノの予言の中でも特に人々の注目を引く予言に、
今年は人類が過ちに気付く最後の機会
という予言がある。これは、「予言に注目する人々が気付かずに見過ごしてきた自分の中の壊すべき『正体』に気付く機会だよ」と言いたいのかも(07年が最後の機会ではないだろうが)。まるで、自分の予言に『壊すべきもの』を投影させ、なおかつその正体に気付かせようとしているみたい(終末論で常套句の「悔い改めよ!」というセリフは、「見落としている鬱屈に気付け!」という無意識の表現だったりして)。
そう考えると、ジュセリーノには「未然に危機を注げる予言者」よりも人々にカタルシス(心の浄化)を与えるアリストテレス時代のギリシャ悲劇の作家のような役割がより強いと感じる。そして、ジュセリーノは無意識のうちに、「センセーショナルなコワい予言」という形で人々の心に破壊的な悲劇を上演し、感情移入させる。なおかつ鬱屈の正体に気付くことを促し、一部の人々には今まで叶わなかったカタルシス(心の浄化)を引き起こす手助けをする機能へ無意識になろうとしているのかも、と電波な妄想をしてみたい(私が面白いから)。

カタルシスは「起きる」ものではなく無意識が「作り出す」もの。前回も書いたが、人は心の中で何かを強く望むと、意識的にだろうが無意識にだろうが、実際にそれを現実化させる(又はリアリティーを持たせる)傾向にある。人の運勢も同じで、心(無意識を含む)に強く思うものがあると、その影響が運勢という形で現実世界に反映される。多くの人々がカタルシスを強く思うなら、その思いは人々の無意識(或いは集合無意識)に記録されて、やがて彼らの運勢に何らかの形で「カタルシス」が現れる。それが起きる場所は個人の内面世界か、外の世界か? 彼らは真実どちらを望んでいるか気づくだろうか?
もしもジュセリーノの「予言の発表(悲劇の上演)自体」が人々のカタルシス願望を満たすのならば、人々はそこで満足して(己の壊すべき正体に気付いて)その先の「物理的な予言の実現(悲劇の実現)」までは望まなくなるだろう。カタルシス(心の浄化)が人々の運勢に現れるなら、「予言を聞きその中身を劇の観客のように疑似体験することを通して己の隠れた鬱屈の正体を知り、自らそれを壊す」という形式になる。だから外の世界で実際に予言の災いが降りかかるまでの運勢は作られない。疑似体験がうまく行けばいくほど、人々のカタルシスは心の中で完結するので、予言は当たらなくなる(ジュセリーノ曰く、予言を回避するには人々の精神的変化が必要だとか)。ジュセリーノが「カタルシスヒーラー(?)」または「カタルシス文化の発信者」の役割を持つならば、人々の心の中でカタルシスが進むにつれて予知夢を見なくなるかもしれない。あるいは、予言を外すようになるかも(的中率・信憑性と話題性は必ずしも比例しない)。
だから、予言は「予言」であるうちに本気で楽しめばいい。悲劇に感情移入するように。緊急避難用の水や乾パンも用意すれば臨場感UPで更にいいかも。不謹慎だといって遠慮する必要はない。心理学曰く、「カタルシスは代償行為によって得られる満足」なのだから。予言は予言のうちに楽しんですっきり満足すれば、「予言の実現」が単なる「予言」止まりで「代償」できるかも。暴力的な手段での鬱屈解放より、怪談感覚で予言を怖がって楽しむ手段の方がよほど健全。

また、もしも本当に予言的中を怖がっている人がいたら。その人は予言に自己の内なる不安感を投影している可能性が高い。予言が怖いのではなく、抑圧された内側の不安感を恐れている感じ。本当に恐れているものは何か、抑圧された不安感の正体は何か。それが分かれば何も怖くなくなりそう。

人の運勢は、人間ひとりひとりから発する。だから、「運は自分で作る」とも言う。無意識に隠れた鬱屈や閉塞感を投影してその真相を知り、そこからの解放を強く思えば(=カタルシスを強く思えば)、それは運勢に反映される。破壊と再生は表裏一体。カタルシスはゴールじゃない。そこから新たなスタートが始まるのだ。人々が終末系予言に投影する願望は、「人智を超えた力による(心の)世界の変革」。・・・ユング心理学の概念を借りると、その「人智を超えた力」は実は、自我(顕在意識)の次元を超えた無意識の中心に住んでいる「自己(セルフ)」と呼ばれる「おおもとの自分」の力かもしれない。「このおおもとの自分」と自我がつながって上手に連携が取れたとき、非常に運勢がよい状態になるようだ。自分の鬱屈の正体を知り、閉塞間の打開や鬱屈浄化を成功させる運勢を作ることも出来るのかもしれない。ユング心理学で「自己(セルフ)」と名付けられた「おおもとの自分」も「自我」も、同一人物、同一の生命体だ。頭と足みたいなもの。自分で自分を無視(抑圧)してしまえば、確かに鬱屈が生まれやすいだろう。


BGM:"While the Earth Sleeps" by Peter Gabriel and Deep Forest.

聖火リレー騒動もカタルシス願望?
連想と投影の魔力
エコロジーと終末論

自分の鬱屈やカタルシス願望について占いたい方はこちら

※「カタルシス願望」につながる無意識の鬱屈や閉塞感などは、以前に書いた記事の「生命力を代替する文明」と「自分の生命力が分からない・うまく引き出せない・使い道がわからない」といったこととも関係あるまいか?
終末ブーム時代に流行った漫画が、「水没するビル街(文明破壊のイメージ。水は無意識の象徴)」という絵柄を採用してるのが多いようなので、ふとそう思った。
カタストロフィを起こす終末予言のイメージだと、滅びるのは大概文明世界だけで、自然界は滅ばないようだ。

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2007.07.30

予言とカタルシス願望1

※非科学的なお話です。  お好みでBGMどうぞ(右クリックで別窓)。

流行するカタルシス願望

カタルシス【katharsis(ギリシア)】(浄化・排泄の意)
1. 古代ギリシアの医学で、病的な体液を体外へ排出すること。瀉血(しゃけつ)。
2. アリストテレスは悲劇の目的をパトス(苦しみの感情)の浄化にあるとした。最も一般的な理解では、悲劇を見て涙をながしたり恐怖を味わったりすることで心の中のしこりを浄化するという意味。
3 .精神分析の用語。抑圧されて無意識の中にとどまっていた精神的外傷によるしこりを、言語・行為または情動として外部に表出することによって消散させようとする精神療法の技術。浄化法。
4. ジクムント・フロイトがこの語を採用したことから、カタルシスは代償行為によって得られる満足を指す心理用語としても用いられるようになった。

20世紀の日本。高度経済成長期~バブル崩壊を経て世紀末にかけて。ある有名なカタルシス願望が流行した。最初はマニアックな分野から発生したそれは、やがて漫画や小説や映画まで、それをイメージさせるような題材を使うものが流行った。それだけ需要があった。宗教の分野では、言うまでもない。
カタルシス願望。人々は、自分の内部にある鬱屈した「壊したいもの、消したいもの、水に流したいもの」を外の世界に投影し、それを破壊してすっきりしたくなる衝動に駆られることがあるようだ。どんな鬱屈なのかは、投影された「破壊したいもの」が象徴的に暗示している。

あの頃流行ったカタルシス願望の名前を、「終末ブーム(終末願望)」という。有名どころは五島勉の「ノストラダムスの大予言」。当時ベストセラーになり、何と翌年にはこれを原作とした文部省推薦の映画まで作られている。その後も、ノストラダムスの予言を焼き直したような終末予言系の本が世紀末までに沢山出た。世紀末が過ぎてしまった現在は、それに代わるものとして最近話題の「ジュセリーノの予言」などが挙げられるだろうか。あの頃からのカタルシス願望は、未だに十分には満たされていないようだ。経済の分野では既に一度「恐怖の大王」が降臨したと思うのだけど(バブル崩壊が人々のカタルシス願望を反映する出来事だったとしたら、バブル経済や当時の投機対象に投影されてたものは一体何だったんだろう?)、それだけじゃ願望成就として不十分なのか、その後には某宗教団体が自分たちの手で世間にカタルシス(カタストロフフィー)を起こそうとした事件まで起きた。そしたら破防法によって自分達がカタルシス(浄化)された。強いカタルシス願望が終末願望という形をとると、人は実際に「終末」を演出するような行動をとることがある。その例として「地下鉄サリン事件」のほか、海外の宗教団体が集団自殺をするニュースなどはこれまでに何度か報じられている。
・・・こういうのって、彼らだけでなく、テロリスト(特に自爆テロリスト)達にも通じる心理なのだろうか? 人は心の中で何かを強く思うと、意識的にだろうが無意識にだろうが、実際にそれを現実化させる(又はリアリティーを持たせる)傾向にある。人の運勢も同じ。心(無意識を含む)に強く思うものがあると、それが無意識の行動や運勢(現実)に反映されると言われている。
もしも多くの人が、カタルシスには恐ろしげな予言の「実現」が必要だと思ってしまったら・・・? 

破壊と再生は表裏一体。カタルシスの役割として、カタルシス願望の条件として、「破壊の先には新たな希望(可能性)が開ける」というものがある。心が浄化されれば、きっと新しい気分で毎日が送れる。毎日が変わる。ノストラダムスの予言で言うなら「恐怖の大王が降って来た後、火星が平和のうちに統治するだろう」という部分がそれ。希望へと続く道を開くには、それを妨げ「通せんぼ」している何かを破壊しなければならない。一体、何が道を塞いでいるのだろう? 投影の対象は、何の象徴だろう?

(以下、私の勝手な空想。根拠は皆無)
カタルシス願望の一種である終末願望は、「世界」が「神経症」になって鬱屈が解放・治癒(浄化)されることを願うシンボリックな願望。それは、自分の鬱屈を解放したい願望を「世界」に投影して発生する。「神経症」は無意識層に抑圧された鬱屈の存在とその正体と原因に気付かせ(自覚させ)、抑圧からの解放と浄化を促すための心の現象。その症状は鬱屈の性質を象徴的に反映するいわば「心のサイン」(それを読み解くのが精神分析)。 そのサインは、体が不調を脳に知らせるために発する痛みや不快感と似ている。終末願望を強く抱く人々の中には、実は自分も神経症のような「鬱屈浄化を促す心の現象」を欲しがっている場合さえあるかもしれない。神経症は本人の顕在意識にとっては異常事態。無意識にとっては「待ち望んだ解放と癒しの時」。そのアンビバレントな気持ちが「終末」という異常事態とそれを待ち望む気持ち「終末願望」という独特の風潮を生んだのかもしれない。その願望が集合無意識規模で発生すれば、それは「終末ブーム」になるのかも。

次回はこの続きで最近流行の「ジュセリーノの予言」について書いてみようと思う。
予言とカタルシス願望2
聖火リレー騒動もカタルシス願望?
連想と投影の魔力
エコロジーと終末論

参照:広辞苑と大辞泉、ノストラダムス現象
BGM:"Sadeness" by Enigma

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2007.05.18

占い依存症防止のチェックリスト

以下の項目に当てはまるものがあった時。あなたが本当に必要なことは占いではありません。あなたが本当に望んでいることも、占いではありません。では一体、本当は何を求めているのでしょう? 期待通りの鑑定結果?  願望を叶えてもらうこと? 
・・・それらは表面的な望みで、本当ははもしかすると、あなたの外の世界を変えることではなく、あなたが自ら自分と向き合い、乗り越え、立ち直り、本当の喜びや幸せを作れるように内側から変わってゆくことなのかもしれません。特定のお悩み解決ではなく、次々と余計な想像や悩みやストレスを作り出してしまう不安定な精神状態を回復させることかもしれません。あなたに本当に必要なことは何か。そのために何が出来るか。占いをする前に、もう一度考え直してみましょう(占いで解決する悩みなら、同じ占いを何度も繰り返さなくたってとっくに解決しています)。
占い依存症(占いジプシー)については、この記事の一つ前の記事こちらもご参考下さい。

占い依存症チェック

・同じ内容の占いを短期間に何度も繰り返している/その場で同じ占いを繰り返し要求したことがある
・すでに占いをやってみたが、現状が変化していない
・占いをすることがストレスに感じることもある
・占いをすると一時的に心が安らぐが、また元に戻ってしまう
・何度か占いを繰り返しているが、鑑定結果に実感が持てない
・鑑定結果に実感が持てるほど、占う対象についてよく知らない・理解していない
・例え良い鑑定結果が出てもすっきりしない
・事実確認をしなければ解決せず、事実確認が出来れば占う必要のない悩みや疑問だ
・占いを事実確認の代わりにしたい(占いの当たり外れを事実からではなく他の占いから確認する)
・占いでは良いことだけ言ってほしい(どうせ事実確認はしないのだから・・・)
・様々なことに対して際限なく不安な想像をしてしまう・心配事を作ってしまう
・占いに精神安定剤の役割を求めている(必ずしも占い自体を求めてはいない)
・恋愛や買い物、アルコールなど別の依存症になったことがある
・悩みや疑問の解決・解明へと実際的な行動や努力をする気力がない(アドバイスを実行する気はない)
・今となっては事実確認が不可能なことを占いで知りたいと思っている
・「もし~なら」「~かもしれないから」といった架空の想像に基づいた占いがしたい
・相手と向き合うこと/事実確認をすること/現実を受け入れることに対して意欲や勇気が持てずにいる
・例え事実確認が出来ても、不安が消えない(疑いや思い込みが消えない)
・相手とやり取りする作業を抜きにして、相手と親密になりたい
・悪い鑑定結果が出ると、絶望してしまう(幸せの道が閉ざされたと思ってしまう)
・自分の望む鑑定結果が出ない限り(それが実現しない限り)、悩みから抜け出せないと感じている
・意に反する鑑定結果を出した占い師を恨んだり、当り散らしたことがある
・嫌な鑑定結果を出す占い師は、私のことを傷つけるためにそう言うのだ
・イマイチな鑑定結果を何とか自分の望む方向に解釈を修正してもらおうとして粘ったことがある
・実現しえない願い事に執着している
・「この方法でしか苦しみや問題からは抜け出せない」と狭い固定観念を持っている。
・正直、占いさえすれば何も考えなくても/何もしなくても願いが叶う(現実が変わる)と期待している
・正直、占いに何もかも解決して欲しい/何もかも決めちゃって欲しい
・占いには「どうすればいいか」を自力で結論付けるための助言ではなく、「こうすればいい」というマニュアル的な指示が欲しい
・解決しない問題を抱えているので、せめて占い師に良いことを言ってもらうしか苦しみを誤魔化す手段がないと考えている
・「向き合うための道具」ではなく「逃げるための道具」に占いを使っている気がする
・占いの料金が払えずに踏み倒したことがある
・悩みが解決しないので料金を払う必要が無いと考えている

◇あなたがもし占いを止められなくて困っているとしたら・・・
「悩みや不安の繰り返しから抜け出したり、先へ進めるようになるには?」
「具体的な形がどうあれ(願いが叶おうが叶うまいが)、現実と向き合って本当の幸せや本当の良い結論を作り出すには?」
「未練や執着や思い込みを手放すには?」
「現実と向き合ったり現実を受け入れられるようになるには?」
「苦しみを癒してより良い方向へ向かうには?」
「自分の願望の裏にはどんな理由があるのだろう?」
「様々な悪い想像を際限なく繰り返させる無意識の不安の正体は何だろう?」
「自分が現実世界で本当に必要としていることはなんだろう?」
・・・といった発想を持って自分を見つめてみてください。そうすることで、裏に隠された本当の希望や、問題の原因や真相に行き着くことがあります。占いをやめられなくなったのが自分自身である以上、答えは自分が持っているからです。
※一番上にも書きましたが、あなたが本当に望んでいることは、現実から目を背けるための占いではなく、現実と(自分と)向き合って分析し、探求し、現実のなかで現実の癒しや喜びや幸せを作っていくことかもしれません。
現実と向き合ったり現実を受け入れたりすることは、現実の短所ばかりを見て切り捨てて生きてゆくことよりも、はるかに簡単です。「現実」のなかには、「あなた」も含まれているからです。そして何より、「現実(真実)」の中にこそ、悩み・苦しみを乗り越える鍵やきっかけが隠れているからです。それを自ら切り捨てる生き方は、辛そうですね。
占い依存が止められない自分を責めたり卑下したりすることなく、依存の原因になったおおもとの精神的な不安定の解決を。それには自分自身と現実をもう一度見つめなおすことが自分を救う大きなヒントです。
何度占いを繰り返しても消えないモヤモヤは、占いに逃げず自分や現実と向き合う方が楽な証。

あなたの(幸せな)現実はあなたにしか作る力はありません。あなたほどそれが上手い人もいません。占いに依存している時の不安感は、「占いをしてないと不安」なのではなく、「何かに依存して主体性を手放してしまった」「自分の持つ力で自由に幸せを作る発想を忘れてしまった」「本当の自分(の幸せ)にとって本当に必要なことが何なのか気付かない」ことから来る不安です。今まで操縦していた馬車の手綱を途中で手放してしまったら、誰だって不安になります。けれど手綱は馬車に繋がっているもの。手繰り寄せれば、きっと取り戻すことが出来ます。今からでも、遅くはありません。
「不安をかき消すため」の占いは、それが不安に基づく行動である限り、繰り返せば繰り返すほど内なる不安を強調させてしまいます。決して精神安定剤にはなりません。むしろ、あなたが抱えている本当の不安の正体を突き止めてください(人は正体不明のものを過剰に恐れる習性があるようです)。

占い依存症の方の一部には、以前から自分に主体性がもてないことを悩んでおられる方もいます。その中のそのまた一部には、こちらが何かのご参考になりうるかもしれません。

あなたが自ら本当に良い方向へ向かうために今出来ることは何か、必要なこと・重要なことは何かを見つめ検索するのが占いです。丁度、自分がレポートや論文を書く時ににさしあたって必要な情報や文献を調べるために検索エンジンを利用するようなものです。考えながらレポートや論文を実際に書くのは、あくまであなたです。占いは、現実や真実から逃げるためのツールではなく、あなたが本当の幸せを作るためのツールです。今のあなたは、占いを「逃げるため」ではなく「向き合うため」のツールにできる状態でしょうか?
また、余計な悩みやストレスを作り出す不安定な精神状態を回復させるためには、占いではなく別のツールが必要なこともあります。占いを精神安定剤代わりにすることは、治る怪我の手当てをせずに放置したまま大量のモルヒネで誤魔化続けているようなものかもしれません。放置すれば怪我は痛み続けます。モルヒネを際限なく使い続ければモルヒネ中毒にもなるでしょう。結局、占いに依存すればするほど肝心な解決からは遠ざかり、ストレスは慢性化するわけです。
そんな占い依存症に陥っている場合、本当の意味で自分を大切にしていただくために、鑑定をご遠慮いただいていおります。

現実や自分自身から目を背けるためではなく、現実や自分自身と向き合うことでその人にとって本当に良い方向に占いを役立てていただいたとき、占い師は自分の仕事に喜びを覚えます。この上なく光栄なことです。

占い依存症のこと
占いを上手に使う準備
占いでの上手な質問の仕方・発想
占いで悪い結果が出た場合の心構え
不安の正体を探ると・・・
恋の不安と思い込み
不安の口実 推測の根拠
もしも願いが叶わぬ時は
恋人は、誰よりもあなたのそばに? ←現実と向き合わず「心の中だけの恋」をしたい時
短所含めてありのままの自分を愛して
容姿・劣等感・個性
True Colors
結婚相手より生き方を探せ?
自分の中の暴れ馬
よく当たる?占い師のウラ話

健康, 占い, 心と体, 恋愛 | | コメント (8)

占い依存症のこと

旅行記の途中だけれど、閑話休題。
ずいぶん前にさらっと触れる程度に書いただけで、常々思っていたけれど本格的には上手くまとまった形で書けなかったことがある。それは、「占い依存症(占いジプシー)」についてのこと。今回の旅行が終わってからは何となく書けそうな気がしているので、書いてみる。

これから書くことは、長いです。それだけ複雑な問題です。しかし、占いを利用する全ての皆さんに、占いを利用する前に読んで頂きたいことでもあります。
占いを有効に使っていただくために。決して占いを自分の新たな問題のタネにしないために・・・

◇例えば、相手の気持ちを占う前に・・・
「相手の本当の気持ちを教えて欲しい」という理由で占いをしに来る場合。一見何の問題も無いありがちな相談内容に見えますが、実は落とし穴だったりします。相談者にとって疑問の解決にはどこかで必ず事実確認が必須であるにもかかわらず、相談者が「事実確認を取らずに占いだけで済ませたい」と意図している場合、もう一度よく考えた方が良いのでしょう。それが、起こりうる危険を防ぐことにもなるからです。
仮に、「相手の気持ち」が知りたい場合。「気持ち」を本人以外の人間から聞き出すだけで、自分が安心したり納得したりできるかどうか、です。相手の気持ちがわからなくて不安だったり、イライラする気分が、占い「だけ」で解消できるでしょうか?(相手とのコミュニケーション不足が原因の悩みなのに?)
例えば、「相手は自分のことが好きではないのかもしれない」という不安や疑惑を持ったとします。その不安や疑惑を「確かめるために」占いに頼ったとします。鑑定結果が「その疑惑や不安はあなたの取り越し苦労で、依然として相手はあなたのことが好き。」と出れば、少なくともその場は安心できるかもしれません。「自分の勝手な想像で取り越し苦労したお陰でお金を無駄遣いしてしまった」と苦笑するかもしれません。喜ばしい鑑定結果が出た場合、実際に相手と向き合って事実確認を取ったわけではないけれど、「占いで事実確認が取れた」と思うことが出来る人もいるでしょう(それが落とし穴です)。
事実確認には2種類あります。一つは「相手と向き合って確かめること」。もう一つは、「自分と向き合って確かめること」。本当に「占いで事実確認が取れた」場合。それは、占いを通して自分と向き合った末「あ、やっぱり自分の思い込みだった」と気付いた時です。自分に対する事実確認です。妄想の証拠は自分の中に。そして、妄想の原因となった「内なる不安」の正体も、自分の中に・・・
さて、占いによる鑑定結果が「相手はあなたのことが好きではない」とか、「相手はあなたを都合よく利用する気でいるだけ」というように出てしまったとします。不安やイライラは解消できるでしょうか? 「この占いで事実確認が取れた」と思える人は、すでに自分の中で確信や実感めいたものがあるか、すでに自分が相手に愛想を尽かしているわけでも無い限り、あまりいないでしょう。占いで芳しくない結果や実感が持てない結果が出た場合、「この占いが外れているのかもしれない。やっぱり実際に確かめよう」と思い、実際に相手と向き合って確かめられればいいのですが、「実際の確認をしない代わりに」占いをしに来ている場合、確認する代わりに(実際は代わりにならないのですが)別の占い師のもとに「さっきの占いでこう言われたんですけど当たっていますか?」と一番肝心な現実の確認ではなく占いの確認をしに行ってしまい、結局占いのはしごを繰り返してしまう、ということがおこりうるようです。占いの当たり外れは事実確認しないと判明しません
事実確認をしないで占いを繰り返すうちに、悪い結果が出れば不安や苛立ちは増えるし、例え良い鑑定結果が出たとしても、「本当かな?」という気持ちが湧いてきて不安や苛立ちが戻ってくると感じたことのある人もいるでしょう。それは、その鑑定結果にピンと来るような「実感」がないからかもしれません。「実感」は、そのことについて今までを振り返ったり分析できる程度のやり取りや経験があることから生まれます。「実感」が自分に対する事実確認を促します。
特に、相手についての具体的な鑑定結果に実感がない場合、それだけ相手とのやり取りが不足しているということでもあります。そういう場合は占いよりも、まず相手とのやり取り不足を解消するには何が必要かを考えることが先決です。その時、人によっては「相手と直接やり取りをする意欲がどうしても出てこない」自分に気付くかもしれません。それは、「相手に恋してる」のではなく、「恋に恋してる」からかもしれません。
相手との関係や相手の気持ちを具体的に占う場合は、占った結果を聞いてある程度ピンと来るくらいには、相手のことを知っている(理解している)必要があります(姓名判断などの場合は別ですが・・・)。
相手とのコミュニケーション不足を抱えた状態や、「まだ相手とコミュニケーションをしたことがほとんどない(実際には会ったことがない)」状態で、予め相手の気持ちを具体的に占いで知りたいということは、「コミュニケーションをとらずに相手と親密になりたい」「生身の相手を実際に理解する気はないけれど、相手からは愛されたい」「単に一人で恋愛ごっこをしたい」という願望が裏に隠されているケースもあります。
「事実を確認しないための占い」ということは、「占いの当たり外れを確認しない」というのと同じ意味があります。
そんなタイプの相談者に対して、私は時々「当たっているかどうか確認できないと、いくら占いを繰り返しても不安が残りませんか?」と質問することがあります。「いや、そこまで真剣にのめりこんでないから・・・」と冷静にお答えになる方はとても多いのですが、いざ鑑定結果が自分の望みと異なるものだった場合、「そんなはずは無い」「不愉快だから鑑定やり直せ!」と荒れ始めるケースがかなりあります。
それは、「当たり外れなど関係ない。どうせ確認しないんだから、気分の良いことさえ言ってもらえれば口から出任せでも構わない」という占いを精神安定剤代わりにする心理(=依存心理)に繋がっています。

占いは興信所の調査の代わりにはなりません。自分の恋愛運を向上させたり悩みを抜け出してより良い運を作るためのささやかな応援をします。
占いは、相手と交流し、相手を知り、相手を理解する作業の「代用」にはなりません。その作業をするためのささやかな応援をします。
応援団は、選手の代わりに競技を行うことが出来ません。でも、選手が競技を成功させると非常に嬉しいので、応援しています。

◇占いをしても不安や苛立ち・悩みや疑問が解決しなかった場合
事実確認が必須の悩み事に対して、本当は事実確認をしていなければ、占いで解決しなくても不思議ではありません。例えば病気治療など、占い以外の手段が不可欠な悩みが占いだけで解決しなくても不思議でないのと同じです。この時点でどう判断するかで、占い依存症のリスクが変わってきます。
事実確認を取る意志や現状を変える意志が持てないのは、現実を切り離して良い事だけ言ってもらうことで占い師を精神安定剤の変わりにしたいからかもしれません。その場合は、占いを求めているわけではありません。
以上のような理由で占っても何も変わらない。鑑定内容に実感が持てず、納得できる答えが得られない。むしろ苛立ちと不安のストレスは増すばかり。それなら今度はまた別の占い・・・ということを繰り返すことが、占い依存症を引き起こす一因になります。
また、占い師と興信所を区別できているかどうか、自分自身に確認してください。「区別できていない」と感じたら、なぜ事実証拠の見える興信所ではなく、自分で答えを掴む必要のある「占い」に頼ったのか自分に尋ねて下さい。

本当は、占いよりも、不安や苛立ちを解消したいだけかもしれません。
その場合は、「こういう理由で悩み苦しんでいます。自分が不安定な状態から抜け出すために私は今何ができるのでしょう?」そう質問した方が、占い師は的確なアドバイスが出来ます。本当の目的は精神の安定であって「未来や相手の気持を尋ねること」はその手段でしかないわけです。そして、その手段は目的実現にとって適切な手段ではありません。その証拠が「占い依存症」です。不適切な手段を適切な手段だと思い込む固定観念が、問題を生むこともあります。また、どんなに不安でも事実確認をする意志が持てない場合は、本当はその物事を不安に思っていないからです。外部に内面の不安感を投影しているだけなので、「何が不安なのか」の答えは別にあります。

何も解決しないまま(解決のために必要なことが出来ないまま)、気分が晴れないまま、占いにその場限りの安心を求め(占いに精神安定剤の役割を求め)続けると、やめられなくなってしまうようです。「現実と(本人や自分と)向き合わずに占いで全てを済ませる」というやり方が適切な悩みの解決法では無いので(むしろ悩みをややこしくする方法です)、結果的には占いを繰り返す度に「不安や苛立ちがちっともなくならないストレス」だけが積もっていき、解決から遠ざかり、その結果情緒不安定になって理性を失ったり、占い依存症になっているお客様をよく見かけます。それにまつわる色んな話も聞きます。お金が消えてゆくだけでちっとも解決に繋がらないことへのストレスをかかえ、それでも占いをする以外にどうしていいかわからず、「もはや占い師に当り散らすためだけにお金を払って占いをしている」という人の話も聞いたことがあります。気に入らない鑑定結果を出した占い師をひどく恨んだり(良い鑑定結果に変えてもらうために何時間でも何ヶ月でも粘ったり)、例え良い鑑定結果が出ても「じゃあその占いが本当に当たってるかどうか確かめてくださいよ!」と叫んだり、時には占いをしすぎて借金がかさんで自己破産、なんていうことも本当にあるそうです。最近は占い依存症についてテレビでも取り上げられることがあるので、ご存知の方も多いかもしれませんね。

どうしたら占い依存症から抜け出せるのかと自分を見つめたら、「自分の望まない現実を占い師に変えてもらいたくて占いをしていた」ということに気付いたケースも多いです。過去を変えられなければ現在をそっくり変えることは出来ませんが、自分次第で現状を改善し建設的な未来を作ることは出来ます。人は大昔からそうやって様々なことを解決し、立ち直り、乗り越えてきました。

◇自分を占い依存症にさせず、占いを自分のために役立てるには?
では、自分が抱えている悩みや疑問の解決に占いを役立てるにはどんなふうにすればいいでしょう?
まず、最初にあげた「相手の本当の気持ちを知りたい」という場合。
それが本当の目的なのか、精神安定のための単なる手段でしかないのか、よく見極めてください。単なる精神安定の手段で相手の気持を質問している場合は、本来の目的である精神安定の方法を質問してください。
その上で、それが手段ではなく本当に自分の目的だとした場合、
「占いに相手の気持ちを代弁してもらう」という考え方はせず、「相手の本当の気持ちを自分でつきとめ、納得することが出来るために、今何が出来るか。注目すべき(注意すべき)点はどこか」といったことを知るために占いを使ってください。また、「なぜ自分は相手の気持ちが知りたいのだろう?」ということにも思いをはせてみて下さい。「この恋を有意義にするためには今何ができる?」という発想でも良いでしょう。
「相手の気持ちをいちいち疑わずに心を穏やかに保つにはどうしたらいいか?」という発想も○。
そんな発想に立ってはじめて「相手の気持を自分で突き止める意欲がない」「恋を有意義にするために実際的な努力をする意欲はない」ことに気づいた場合はこちら

そして、占いを上手に役立てるための基本的なコツは、
「自分が抱えている不安や疑問や悩みを自ら抜け出したり乗り越えたりするために、今出来ることや注目すべき点(注意点)は何か?」
「自分の夢や目標を叶えるために、自分が今出来ることや注意点は何か?」

といった発想で占いをすることです。こうすると、占いをするときに今までを振り返ったり自己分析する方向に自然と意識が向きます。そのため、そのとき出た鑑定結果に対してピンと来るような「実感」をどこかで見つけることが出来ます。そうすると、「自分に対して確認を行う」ことになるため、結果はどうあれ占いに対してある程度の納得が得られ、占いをはしごする必要がなくなります(これは、占いが当たっているかどうかについて、自分で推測する方法でもあります)。
「占い師に直接解決してもらう・直接答えや確認をとってもらう」という発想で占いをしないこと、占いだけで全てを終わらせないこと、「もはや事実確認が不可能なこと」を占わないこと、「今までそのことを占って来てピンと来るような実感が持てたかどうか」を振り返り、ピンと来るものがなければ「今必要なことは現実の確認」として占いをやめること、「どうしても現実を受け入れられない(相手と向き合えない)」状態なら、「その理由や原因を知るために今何が出来るか。解決のために最も適切な方法は? ポイントは?」「消えた可能性ではなく、本当の可能性を探すには?」という発想を持って自分を見つめる、自己分析することが、占い依存症を防ぐコツの一つともいえるでしょうか。「自分で考えず占いに丸投げ」はNG。「占いを使ってでも考える」と言う発想が○。上手な占いの使い方は、「自分に自信を持つこと」から始まります。
自分自身の悩みに対する答えは、自分が持っています。占い師の助言が適切か否か(当たっているか外れているか)はその隠れてしまった「答え」が証拠を握っています。助言を聞いて「不安」や「疑問」ではなく何らかの心当たりなど、「それはあるかも」という感覚を味わったら、「答え」がサインを発している証。
占いを「精神安定剤」や「確認・解決の代行業者」とするのではなく、「レポートを書くための検索エンジン」や「心の物置から答えを見つけるために役立つかもしれない懐中電灯」くらいに思っていただくと良いでしょう。

実際に占いをするときの心の準備としては、こちらもご参考下さい。
「占いは」、その人が現実世界で自分の生命力(運勢含む)をいかに有効に発揮できるか、という観点から編み出された古くからの方法でもあると言えます。

※次に、占い依存症防止のための簡単なチェックリストを作ってみました。


恋人は、誰よりもあなたのそばに? ←事実確認不要な「心の中だけの恋」をしたい時
不安の正体を探ると・・・
恋の不安と思い込み
もしも願いが叶わぬ時は
占いで悪い結果が出た場合の心構え
結婚相手より生き方を探せ?
自分の中の暴れ馬
よく当たる?占い師のウラ話
答えが出ないのは、正確な問いが出ていないから?
占いでの上手な質問の仕方・発想

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2007.02.18

花粉症と鼻水の秘密

以前の記事を少し手直し。さて、今年早くも花粉症の症状が出始めた人もいる。
鼻水の症状は、インド医学でいうと、カパ(水)の領域。
花粉症には菜の花やブロッコリーなどの花野菜や、生ねぎ、シナモン、ユーカリ(アロマ)などが良いらしい。基本的には、症状が出る前の時期に前もって摂取する事で花粉症予防になる。私も毎年2月頃になると、よくブロッコリーを食べている。ピリ辛の味付けで炒めるとおいしい。シナモン入りのコーヒーも飲む。今年は少しだけマシな気がする。
「鼻水が良く出る」という現象。原因はいくつかあるが、その中に興味深いものを発見。
それは、鼻水を出す事で「脳を浮かべている頭の水の取替えをしている」というものだ。脳というのは、頭蓋骨の中に液体があり、その中に豆腐の様に浮かんでいるのだそうだ。液体が脳を守るクッションという事。その液体をプールの水のようにいれかえるということはどういう事かというと、脳が日々働いていると老廃物を出し、液体が汚れてくる。その汚れをきれいにして少しでも脳をリフレッシュさせるために、鼻から汚れた古い液体が出て来るのだそうだ。そう。鼻と脳は繋がっている。古代エジプトでミイラを作るときは、鼻から焼けた鉄の棒を突っ込んで脳を引きずり出していた。
花粉症の時期、丁度花粉で出てくる鼻水のドサクサにまぎれて、頭の中からも水が出ている人もいるらしい。普段頭をよく使う人、睡眠不足な人、ゲームをやりすぎな人、神経が疲れやすい人などはその可能性が高いという。花粉症の時期にかぎらず、普段頭を良く使う人でワケもなく薄い鼻水がジョジョダレる人は、頭をリラックスすると少しはマシになるかも?
脳を浮かべていた液体が鼻から出ていってしまったら脳は大丈夫なのかというと、ご心配なく。自動的に新しい液体が作られ、頭の中に満ちていくから。

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2007.02.17

体質別フルーツデトックス

最近、美容と健康に良いとのことで「デトックス」が流行っている。「デトックス」にメタボリックシンドロームへの効果も期待されているとか、いないとか。
一時期、食事をりんごだけにする「りんごダイエット」というものが流行ったことがあるが、実はあれ、ダイエットというよりもデトックス法。おなかの中の毒素やいらないものを排出することが目的で、その結果、副次的に体重が減る。肌もきれいになることがある。
更に肝心なことを言えば、その人の体質のよって、りんごが向いている人と向いていない人がいる。体質によって別のフルーツの方が向いていることもある。
今回はインド医学(アーユルヴェーダ)による体質分類別でのフルーツデトックスの正しい方法をご紹介してみる(注意点もよく読んでください)。

1
まず、アーユルヴェーダにおける自分の体質をチェック。最も当てはまる項目の体質と適したフルーツを知っておく。カパ体質に多く当てはまる人のフルーツはりんご(デリシャス系や紅玉系)、ヴァータ体質に多く当てはまる人はぶどう(紫色のもの)、ピッタ体質に多く当てはまる人はざくろ。

2
デトックスの期間は1日~3日間。都合に合わせてどうぞ。それ以上の期間は続けない。デトックスを何度かやりたい場合は、最低一ヶ月は間を空ける。あくまでデトックスが目的なので、体重を減らそうとして長期間続けるのはNG。

3
各体質別フルーツを手に入れる。
デトックスはそのフルーツが収穫される季節に行うのが望ましいとされている。
ざくろやぶどうは100%ジュースでも代用できるが、その場合は水で薄めると良いとされている。一杯のジュースでフルーツを何個も使っているため、一気に大量摂取するとおなかを壊す恐れがあるからだ。特にぶどうジュースを飲む時は5倍程度に薄めるのが良いとされている。

4
デトックス開始。デトックスの間はそのフルーツ(ジュース)と水分(砂糖や脂肪分を含まないもの)だけを摂って過ごす。おなかがすいたら好きなだけフルーツを食べる。ただし無理をして沢山食べたり、夜遅い時間や寝る直前に食べるのはNG。もう一つ大切なのは、水分をたっぷり取ること。コーヒーを飲みたい場合は薄めのアメリカンをブラックで。一日一杯程度なら○。
水分をたっぷり取ると同時に、入浴(特に半身浴)やサウナなどで汗をかくことも効果的。

5
デトックス最終日。デトックスを終える日の夜(一日だけなら当日の夜)寝る前、オリーブオイルを大さじ1杯分、お湯と一緒に飲む。オイルを飲む前後はフルーツを食べてはいけない。フルーツを食べる時間とオイルを飲む時間は最低でも1時間は空ける。消化力が低いと思われる人は、一時間半は空ける。

6
通常の食事に戻る。デトックス最終日の翌日は何も食べる前に歯ブラシ(歯磨き粉はつけない)で軽く優しく舌を洗ってからお湯を飲むと○。
最初はおかゆや雑炊、温かいお蕎麦、煮込みうどんといった消化に重くないメニューから徐々に食事を戻していく。肉類は始めのうちから摂らない方がいい。たんぱく質は大豆製品を。よく煮込んだりスープなどにしてやわらかくした野菜類も食べておきたい。

※このデトックスをしてはいけない人
そのフルーツを食べると腹痛下痢や体調の悪くなる人、妊婦、体力の低下しているか虚弱体質の人、長い間病気の人、とても痩せている人、食事制限を受けている人、摂食障害等で栄養状態の偏っている人など。
持病のある方はかかりつけの医師にご相談下さい。


手相やタロットなどで健康運を読み取ると、体の中のいらないものがなくなると心の中のいらないもの(過去の感情や未練、不安、気持ちがまとまらない状態など)もスッキリしそうな人を見ることがある。体の中の毒素が神経やメンタル面に影響することもある。体や心の状態は、運勢とも密接に関わっている。
頭や心に余計なノイズが走っているように感じたら、自分の体のことも考えてみるのもいいかもしれない。「デトックス」といった本格的なものでなくとも、前もっていらないものを溜めにくくするような生活習慣を心がけるだけで違ってくることがある。
簡単な方法としては、食事は夜8時までに済ませること。毎朝起きたら何も食べる前にお湯を一杯飲むこと。歯ブラシで優しく舌を洗うこと。軽い運動。

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2005.05.29

ここ数日・・・

ここ数日、気候の変化のためか、インド医学で言うヴァータのバランスが乱れがちな人が多い様だ。今回のアンバランスを起こした人の特徴は・・・
 考えがまとまらず、何かを決めるのがいつもより難しい
 同じことを何度でも考えてしまう
 行動がまとまらず、落ち着かない
 いつもより目が見えにくい
 背中の右側、或いは右腕の内側手首付近が痛い
 首の後ろとその付け根部分の肩がかたくなり、張っている
 自分でも何がしたいのかわからない
こんな感じだ。とりあえず、背中の右側や首、肩の辺りが痛かったりかたくなっていたらそこだけでも暖めることをお勧めする。また、甘口のカレーなど、ターメリックの入った余り辛くない料理を適度に食べるのもお勧め。
カモミールのハーブティーもヴァータのバランスを整えてくれる。
上に挙げた例はあくまで目安なので、もしも心配ならお医者さんへ。

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2004.11.21

占い師のオリジナル健康法

自分の利き手の手相を見る。今日は体のどこが調子が良くて、どこがお疲れ気味か手相でチェック。手相でお疲れ気味の部分を発見したら、体に自覚が無くともその部分に効果的なハーブティーやスパイス、食品を摂取する。

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2004.11.13

物騒な世界と人体の反応

ブッシュは再選し、アラファトはためらいつつもこの世から引退した。世界はこれからもきな臭くなるだろうか?
同時多発テロの前後、海の向こうでは結婚率や子孫繁栄にいそしむカップルが増えたのだと言う。
当時まだ学生だった私のもとには、「相手がいないにもかかわらず、まるで相手が目の前にいるかのような恋愛感情の高まり」や、もっと生々しい欲望をコントロールし切れず戸惑い悩む同年代のお客がいつもより多く来ていた。
「自分でもどうしてこうなったのかわからない」「今までこんなこと無かったのに・・・」とつぶやきながらためらいがちに悩みを打ち明ける学生達。中には勢いあまって衝動的に片思いの相手とその場限りの関係を持ってしまった女の子や、うっかりして「彼女が妊娠したかも・・・」と不安を打ち明けた男の子もいる。
私はといえば、テロの3日前から夢の中に、今まで見たことのある映画のラブシーンばかりが流れていた。
数十年前。今はヨレ気味のサラリーマンオヤジ達がまだ若造で、中にはプラカードなんか持って行進とかやってみていた頃。「LOVE&PEACE」「戦争じゃなくてセックスしよう」というノリが海の向うから生まれた。
やっぱり世界はきな臭かった。

いつもより多く失われる命を予感あるいは実感して、命を補おうとする本能のようなものが無意識に働くと、上に書いたような現象がおきるんだろうか。
それとも、人間の集合無意識がこれから失われる命を補おうとする傾向を見せ始めると、それに影響を受けた人達がああゆう現象を起こすのだろうか。
自分自身やその周りで、命を新しく生み出すことを連想させる現象が出始めたら、世界がきな臭くなる予兆なのだろうか? (もしくは天変地異の予兆だったりして。新潟の地震の前後も・・・)
そうならないことを祈るし、この記事がただの電波であることのほうが望ましい。


余談だが、ブッシュ大統領の家系。実は別の意味でかなりヤバうわなにをするはなwせdrftgyふじこlp;@:「」

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2004.07.29

異常気象と変な台風

異常気象がはっきりと肌で感じるようになった1年前。当時の夏、私は8月でも長袖のシャツを着ている日があった。
こんな変な夏は生まれて始めてだった。雨ばかりで。冷やし中華や冷製パスタがちっともおいしいとは思えない夏。
その時ヨーロッパではあまりの暑さに倒れる人が続出し、死人まで出るありさま。パリの噴水で水遊びをする人々がテレビにも映った。
今年、6月から日本はとても熱くなった。梅雨は短かった。
一方、ヨーロッパではドイツで雪が降ったという。
地球のドーシャバランスが徐々に変化しているみたい。実は、地球のドーシャバランスが大きく変化した時期は過去何度もあった。いわゆる氷河期などがそれに当たる。その反面、地球の平均気温が今より高い時代もあったそうだ。
きっと過去、そんなドーシャの変わり目の時期も異常気象が起きていたのではないかと思う。今の異常気象が氷河期の前触れとは言わないけれど。
今回の変な動きをする台風もやはり地球のドーシャ変化の影響ではないか、などと考えてみる。これから地球のドーシャがどんな風に変化していくのか、まだ分からないけど。
今回の変な台風。もしあれに「性格」や「体質」があれば、鉄板で「カパ」だな。優柔不断だし。台風、普通はどちらかと言うとヴァータの特徴が強い。

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2004.06.08

今日見た夢

狂った人がどこかへ走り去っていって、その人を探しに行く夢。
笹林の中の小道を進み、「お父さんの沼」と呼ばれる小さな沼に行き着く。
その沼だけ他の小さな沼より明るい。狂った人はどうやらそこに隠れているらしい。

解釈してみると、沼は体内の、特に下半身の循環機能が悪く、いらないものが澱んでいる象徴か。
多分、私だけ無く、ウチの父も循環に悪さでは当てはまる。腎臓の辺りが凝るし、水虫だ。
狂った人は願いが叶う良い暗示であると共に、心身のバランスに対する注意。
体内にいらないものが溜まると、ココロの中にもいらない物がたまる。いらない物は時に、体の一番低い場所、足に沈殿する。むくんだり、こむら返り起こしたり、水虫にも関係していたり。

また、消化・吸収がうまく行かず、食べ物が体内で消化しきれず、まだ細胞が栄養として吸収するには大きすぎる塊「未消化物」となって腸や血液にとどまると、体にも良くないし、神経や神経の行き着く先、脳・・・・・ココロにも悪影響を与える。要するに毒素。その未消化物のことをアーユルヴェーダでは「アーマ」という。「アーマ」にもドーシャで分類できるので、ピッタ(火)に属するアーマやカパ(水)に属する、ヴァータ(風)に属するアーマなどがある。アーマがたまって体に悪影響を及ぼすと、もちろんドーシャバランスは崩れる。また、アーマが体にたまると神経はそれだけでストレスになり、些細な事から激怒したり、ひどいと理由の無い怒りが生まれたり、凶暴になり、暴力的な振る舞いをすることもあるという。多分この例のアーマはピッタ(火)。カパのアーマは恐怖と関係するらしい。アーマは基本的に毒素なので、神経や脳に影響すると幻覚や妄想を起こすのもある。私も気をつけねば。一昨日飲みすぎ食べ過ぎ。
アーマを排出するには色んな方法がある。オイルマッサージもその一つ。そういった毒素を排泄する事を「パンチャ・カルマ」と呼ぶ。案外、世間で起こる理解し難い事件をやらかす人の中には、アーマがたまってる人もいるかもしれない。カッターでクラスメイトを切り殺した小学生がそうだとは断言しないけど。
一説では、「悪魔」は「アーマ」が語源だといわれている。

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2004.05.11

アーユルヴェーダによるあなたの体質は?

インド医学による自己体質チェックです。以下の項目のなかで当てはまるものに○を付けてください。各ドーシャ(要素)の体質の特徴のなかで、最も自分に当てはまるものが多いドーシャの特徴が、あなたの一番優勢なドーシャであり、体質となります。
自分に当てはまる体質の種類が複数にわたり、それぞれ同数程度か差が半分以内で当てはまる場合、複数の体質を持っていると考えます。私の場合はヴァータとピッタの体質をあわせ持つ「ヴァータ・ピッタ体質」です。

★ヴァータ体質
ヴァータは風のドーシャ。この体質は、比較的痩せ型の体型であることが多いです。ヴァータ体質の特徴は・・・・・・

・ 食欲が不規則              
・ 独創的で創造性豊か
・ 汗をあまりかかない           
・ 記憶力はあまり良くない、もしくは普通
・ 尿の回数は多いけれど量が少ない      
・ 希望するもの、やりたいこと、選びたいことが多すぎて優柔不断
・ 便秘がち                  
・ 硬くて色の濃い便          
・ 喋るのが速い、もしくは話題があちこちに飛ぶ
・ 無駄遣いが多い。           
・ 神経質で恥ずかしがりや
・ 寒い気候や強い風が苦手         
・ 旅行が好き             
・ 性衝動は強いと弱いに分かれる      
・ 不安感や落ち込むことが多い
・ 動きが多い、じっとしているのが苦手  
・ 飽きっぽい
・ 好奇心がある             

☆ヴァータのバランスが乱れた場合に起きる健康への影響☆

心臓への負担、高血圧、神経系の症状、情緒不安定、緊張、鬱、偏頭痛、過敏性大腸症候群、緊張、じっとしていられず、動き過ぎによる疲れ、不眠、精神障害、言葉がうまく出てこない、精神的な疲れ、頭の疲れ、冷え性、躁鬱、ヒステリー

☆ヴァータのバランスを整える生活☆

・糖分の摂り過ぎに気をつける。                       
・コーヒーを飲みすぎない。
・温かい食べ物を適度に食べ、冷たい食べ物はあまり食べない。
・過度な運動を避ける。
・リラックスできるような環境に身を置く。リラックスできる音楽も良い。
・夜早めに眠り、朝の日の光を浴びる。

☆ヴァータのバランスが良い状態のとき☆

想像性豊か、インスピレーションを感じ取り、表現しやすい、楽観的、寛大、繊細、感性豊か、頭の回転が速い、芸術的センスを発揮することもしばしば、誰も考えつかなかったことを思いつく

★カパ体質

カパは水のドーシャ。この体質は、比較的身体が大きく、ぽっちゃり体型が多いです。カパ体質の特徴は・・・・・・

・ 食欲は普通かそれ以下          
・ 道徳的や貞節を重んじる
・ 汗かき                 
・ おっとりしていて受身 
・ 尿は多量で、回数は少ない        
・ 平和で静かな、慣れた場所を好む
・ やわらかい多量の便           
・ 美食家
・ 声がきれい               
・ 冷たく湿った環境が苦手
・ 形式的、保守的             
・ 集中力がある
・ 記憶力がよい              
・ 忍耐力がある
・ 慎重である               
・ 愛情豊か、母性的
・ 消費より貯蓄を好み、倹約してお金を使う 
・ 優柔不断になりやすい

☆カパのバランスが乱れた時に起きる健康への影響☆

高血圧、心臓病、循環器系の疾患、糖尿病、胆嚢疾患、湿疹、喘息、鼻炎、気管支炎、肥満、むくみ、無気力、抑うつ病、免疫系の問題(風邪を引きやすいなど)、花粉症が重くなる、頭が重くてぼうっとする、関節炎、冷え性、低血圧、恐怖心、粘着、ケチ

☆カパのバランスが整える生活☆

・ 油、乳製品の摂り過ぎに気をつける
・ 熱くてスパイシーな食べ物を適度に摂る(しょうがなど)
・ 冷たくて生の食物を避ける
・ 間食をしない 甘い物中毒に注意
・ 暖かいお風呂に入り、あまり薄着しない
・ 適度な運動

☆カパのバランスが良い状態のとき☆

思いやりがあり、人の喜びを自分の喜びに出来る、集中力がある、記憶力がある、体力があり、心身共に安定している、人当たりが良い、順応性がある、何かがあっても冷静に考えて判断できる、リラックスしている


★ピッタ体質

ピッタは火のドーシャ。この体質は、比較的中肉中背の人が多いです。ピッタ体質の特徴は・・・・・・

・ 食欲旺盛                   
・ 情熱的
・ 汗かき                    
・ 性欲が旺盛
・ 尿の回数が多い                
・ スポーツが好き
・ 下痢気味                   
・ 政治に興味を持つ
・ 声が大きい                  
・ 贅沢なことが好き
・ 技術系、科学系の知識や情報に興味を持つ    
・ 暑いのが苦手
・ 金銭、利益に几帳面              
・ ハッキリした性格
・ 野心がある                  
・ 儲け、商売に興味がある
・ 負けず嫌い                  
・ チャレンジ精神がある

☆ピッタのバランスが乱れた時に起きる健康への影響☆

潰瘍、消化器系の病気、胆嚢、肝臓の疾患、皮膚の病気、頭痛、膵臓疾患、胆石、血の汚れや血の疾患、アトピー(他の原因の場合あり)、心臓病、精神病、アルコール中毒、怒りっぽい、攻撃衝動、妬み、利己的、目的の為なら手段を選ばない、野蛮性、発熱、理性を失う、批判的、支配的

☆ピッタのバランスを整える生活☆

・ スパイシーなもの、酸っぱいものの摂り過ぎに気をつける
・ 身体を覚ます食物をとる
・ 水分を十分に取る
・ 生野菜や果物を適当に取る ただし漬物、炭酸飲料、酸性の飲料は控える
・ アルコール、塩分、カフェインに注意する
・ 水浴び、月光浴、水辺の近くに居ることなどはピッタ体質に良い

☆ピッタのバランスが良い状態のとき☆

勇敢、リーダーシップ、集中力がある、誠実、愛情表現が豊か、利益を生むのに長けている、未知の分野の開拓、アイデアを考える、勝負事に強い

~自分の体質とバランスを整える生活を知ることで、メタボリックシンドロームの予防にもお役立て下さい~

体質別フルーツデトックス

【参考文献】 
日経BP社 「アーユルヴェーダ・ハンドブック」 Shantha Godagama (原著), 上馬場 和夫 (翻訳), 西川 真知子 (翻訳), 日高 陵好 (翻訳)
「フレグランス・ジャーナル社「アーユルヴェーダとアロマテラピー」ライト ミラー (著), ブライアン ミラー (著), 上馬場 和夫 (翻訳), 日高 陵好 (翻訳), 名雪 いずみ (翻訳), 西川 真知子 (翻訳)
現代書林「癒しのヴィーナス健康法」安田吉三

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インド医学 アーユルヴェーダ

そういえば、よくこのウェブログでも「カパ体質」とか「ヴァータ体質」とか書いているけれど、HPを見ていない人には何のことだかわかりませんよねえ; うっかりしてました。ちょっとここでも簡単にご説明します。
この「カパ体質」とか「ヴァータ体質」とかは、私が日ごろ占いにも取り入れているアーユルヴェーダというインドの伝統医学にある概念です。

☆アーユルヴェーダ概要
アーユルヴェーダとは、インドに伝わる、伝統医学の一種です。アーユルヴェーダはサンスクリット語でアーユス(生命)とヴェーダ(科学)が合わさって出来た呼び名です。約五千年の歴史があり、チベット医学や古代ギリシア、ペルシアの医学等にも影響を与えたといわれています。また、インドの占星術とアーユルヴェーダも深い関わりがあるとされています。アーユルヴェーダは人間を心と身体の両面から全体的にとらえる考え方をします。心と身体は切り離せない関係です。更に、アーユルヴェーダでは病気になってしまってからそれを治すことより、病気になりにくい心身を作ること、病気を予防し、健康を維持するという考え方に基づいています。

☆アーユルヴェーダの基本「ドーシャ」と体質
アーユルヴェーダには「ドーシャ」と呼ばれる概念があります。アーユルヴェーダの世界では、人間の身体は大宇宙の中にある一つ一つの小宇宙であると考えられています。そして人間の心身は「ヴァータ(風)」、「カパ(水)」、「ピッタ(火)」という三つの要素によって作られていると考えます。これらの三つの要素のバランスが整っているとき、人間は健康な状態であり、逆にこの三つの要素のバランスが乱れていると健康状態に影響が出て様々な症状や病気が引き起こされるとされています。この三つの要素のことを「ドーシャ((トリ・ドーシャ))と呼びます。アーユルヴェーダでは、この三つの要素のうち、どれがその人にとって優勢であるかを知ることが重要になっていきます。それによって「ヴァータ(風)体質」、「カパ(水体質)」、「ピッタ(火)体質」、「ヴァータ・カパ体質」、「ヴァータ・ピッタ体質」、「ピッタ・カパ体質」、「ヴァータ・ピッタ・カパ体質」といったそれぞれの体質に分類していきます。この体質の違いによって、その人の健康や性格、体型、行動の仕方にも違いが出てきます。陥りやすい症状や病気にも違いが出てきます。それによって、それぞれ健康維持に相応しい生活や食事などが分かります。また、精神状態や季節など様々な環境によってその人のドーシャバランスや優勢なドーシャが変化するのが一般的です。

次の記事に、アーユルヴェーダよる自己体質チェックシートを載せておきます。
因みに私は「ヴァータ・ピッタ体質」。

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2004.03.05

精神障害と相談機関・自立援助機関

http://aya-shumi.cocolog-nifty.com/heya/2007/05/post_0ffd.html何でこんなにカタい話になったかというと、占いをご依頼なさるお客様のなかで、過去に精神科へ通院していたり、通院・治療中の方で「今後仕事がうまく出来るか心配」「社会復帰が難しい」「一人暮らしがしたいけれど不安」「退院後、地域で生活するのが不安」「職場・家族の理解不足」「引きこもりがちになっている」「相談できる相手がいない」といった種類のお話を時々聞いたことがあるからです。
詳しく例を挙げることは出来ませんが、お客様ご本人ではなく、ご家族のなかにその様な悩みを抱えているケースもあります。こういったご相談は、単に占いで仕事運や未来運をみることよりも、障害を持つ方々に具体的な自立援助や、立ち直る手助け、日常生活の相談をする場をご利用いただくことが有効だと思います。また、占いでは解決できない問題でもあります。占い師はお客様に対して具体的援助をしたり、保護したり出来ないからです。それは然るべき専門機関の役目でもあります。
そのため、基本的にカウンセリングを受けていたり通院・治療中の方々には専門機関へのご相談をお勧めして鑑定をお断りしているのですが、「どのような機関に相談すればいいか分からない」というお話も聞くことがあります。
そういった方々の社会復帰施設や地域生活支援センターについての情報をここで少しご紹介しましょう。占いではお役に立てないことがほとんどだし、占いのために使う時間やお金をもっと有効に使うことが出来ます。
まず、日本各地の社会復帰施設や地域生活支援センターをいくつか調べてみました。
始めに、「地域生活支援センター」では精神に障害のある方の日常生活や社会復帰のための相談、障害を持つ当事者やその家族などに対し、同じ体験や経験を持つ方同士での話し合い・相談「ピア・カウンセリング」、茶話会、レクリエーション、イベントなどの地域交流活動、中には就労に役立ちそうな講座(例:パソコン講座)もやっているところがあります。精神保健福祉士など、専門家の相談も受けられるようです。
地域生活支援センターは、「地域で生活する精神障害者の日常生活の支援や相談への対応」といったところのようです。電話での相談もやっているところが多いです。また、障害のある方のご家族に対する相談も受け付けているところが多いです。不登校の相談に対応している所も。
ご自宅にお住まいの方は医師やカウンセラーの他に、地域生活支援センターへお問い合わせや相談をするのも悩みの解決には有効でしょう。精神科のある病院、保健所などでも連絡先を教えてくれるでしょう。
次に社会復帰施設ですが、1つ目は「通所授産施設」といって、一般社会への就職を目指して作業を通した訓練を行います。生活リズムを整え、技術を身に付け、社会での就労に向けての準備をするための場所です。
作業内容は、施設により異なりますが、企業の下請けやワープロ・パソコン等のデスクワーク、清掃・調理等が多いようです。施設に通うのではなく、「住み込み」という形をとる精神障害者入所授産施設」もあるようです。一種の職業訓練といった感じです。
2つ目は「生活訓練施設(援護寮)」。「退院はしたけれど、住む場所がすぐには見つからない」「入院治療の必要はないが、独立して日常生活を営むことが難しい・不安」という方のための入寮施設です。掃除、炊事、選択、買い物、家計の管理、役所の手続きなど、日常生活に必要な技術や知識を手に入れることが出来ます。グループホーム形式で、他の入寮者達と集団生活をするようです。短期滞在も出来る所があります。「家を出て一人で暮らしたいけれど・・・」という方には良さそうですね。
他に、小規模作業所(共同作業所)というものもあります。作業所はその名の通り、障害者の仕事を支える場として位置づけられています。しかし実際のところその利用方法は多種多様で、仕事へのステップアップに利用される方、日中の居場所として利用される方、生活のリズムをとるために利用される方、小遣いを稼ぎにくる方、友達に会いに来る方、様々な利用をされているようです。
作業内容も場所によって様々で、各種内職や印刷、地域のゴミ拾い、草むしりのほか、調理、手芸やローソク作りをやっているところも。レクリエーションもやっているみたいです。
・・・以上が私の一夜漬で勉強した内容です。ささやかながら、お役に立てれば幸いです。

★全国各地の精神障害者社会復帰施設や地域生活支援センター、精神障害者小規模作業所(共同作業所)のリンク集は・・・
 
精神障害者小規模作業所(共同作業所)へのリンク集 
http://www005.upp.so-net.ne.jp/smtm/page1101.htm    
精神障害者社会復帰施設や地域生活支援センターへのリンク集
http://www005.upp.so-net.ne.jp/smtm/page0601.htm

※占い依存症チェックはこちら

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