2008.08.21

『崖の上のポニョ』とカタルシス

http://aya-shumi.cocolog-nifty.com/heya/2008/12/post-0a93.html『崖の上のポニョ』を見た。ポニョの樹木希林とトトロやメイを掛け合わせた魚顔がめちゃくちゃ可愛いと思うのは私だけだろうか? そして宗介は本当に「よく出来た子」だ。私なんか足元にも及ばない。絵は相変わらず美しい。
ストーリーやキャラクターについての感想は他のブログでいくらでも書かれているだろうから、メインは心理学的、象徴的な視点による『崖の上のポニョ』の解釈にしようと思う。(読者の脱落率90%)
まず、この作品のテーマは他のいくつかの宮崎作品同様、「カタルシス」だろう。宮崎監督曰く、この作品で「初源なるものをためらいなく描いて、不安と神経症の時代に立ち向かいたい」という意図があったそうだ。
ということだから、遠慮なく心理学的なシンボルを用いてこの作品を説明してみる。まず「水」は人の精神発達・精神活動のスタート地点である無意識の象徴。そしてそこにとけ込んだものの象徴でもある。そして水が最終的に集まる場所、「海」は集合無意識の象徴。そして「魚」は無意識の領域に住み、普段は水の外へ出ない(意識の領域へは出てこない)存在。しかし確かにそこに存在し、稀に跳ね上って一瞬水面の上(=地上)に飛び出す。そしてある特別な条件がそろった時、水の外の世界から抜け出し、一瞬ではなくずっと地上世界(顕在意識の領域)の住人になる。
無意識にいるはずのものが意識の領域に浮上し、そこにとどまり続ける。それはどんな条件の時に起きるかと言うと、
「意識化すべきものが何らかの理由で無意識領域に強く抑圧されていて、そのために心が緊張し行き詰っている時」。
「解放・浄化すべき鬱屈が何らかの理由で無意識領域に閉じ込められ抑圧され、鬱屈の限界が来ている時」。
その条件下におかれた時、心は抑圧された部分を本能的に「外へ出したい」とそれこそ心から切に思うようになる。そして「抑圧する側」との間に葛藤(戦い)がはじまる。本能からの・心からの思いは強いエネルギーを秘めているので、抑圧側との戦いはとても激しくなる。そして大概は抑圧側の隙を衝いて勝利する(ある宗教はそれを『ハルマゲドン』と呼んだかも)。そのエネルギーは抑圧や障害を乗り越える力になる。
①と②はそのまんま人が神経症に陥る時の心理的環境といえる。「自分の何かを必要以上に押し殺している」時、神経症は起こりやすいそうだ。そうなったら確かに不安だろう。けれどもそれは、「行き詰まりの打開」「鬱屈の浄化」「抑圧からの解放」(=カタルシス)のチャンスでもあるわけだ。不安の正体を知れば、怖くない。
重要なことは、「抑圧してきた意識化すべきものの真相と向き合い、拒絶せず受け入れること」。すると神経症は回復に向かう。その過程で、時には無意識にとけこんだものを出す機能のある「涙」があふれ出すかもしれない(あれも海水みたいなものだ)。また、「意識化すべきもの」は時にアニマ/アニムス(理想の異性像)の姿で夢の中に現れる(宮崎監督のアニマは少女の姿をしているのだろう)。

さて、以上のことを『崖の上のポニョ』に照応させると、「抑圧する側」はポニョを元の海へと一旦は連れ帰ったフジモト。無意識領域、それも集合レベルの無意識領域からの脱出を心から望んでいる「意識化すべきもの」はポニョだ。ポニョは抑圧の隙を衝いて浮上を決意。するとポニョを乗せた無意識(=水)が地上世界(顕在意識領域)に向かっていっきに膨れ上がり、溢れ出す。地上世界(街)は溢れ出した水で覆われる。
そして地上世界へ浮上してきたポニョという「意識化すべきもの」に気づき、その真の姿を知り受け入れた地上世界の住人、宗介・・・例え己の醜いとされる部分であっても、押し殺さずに受け入れ認めることは、一種の愛。
この「抑圧の隙を衝いて無意識領域から地上世界へ浮上し移住すること」は主体となるポニョ一人の力で行われたものではない。まず宗介の愛、同じ海に住む無数の妹達の協力、ポニョの母親である「海の女神」の説得と後押し、そしてとうとう納得した抑圧側のフジモトが「作戦」を実行したからこそ成功したものでもある。しかも、恐らく集合無意識の象徴である「海の女神」は最初から何が起きるか予想できていたのだろう。ポニョが地上の迷惑を考えず津波と共に猪突猛進に宗介の元を目指したのは、それがポニョのみならず集合無意識全体の意志、すなわち不安と神経症を抱えた時代の意志だったから。その証拠に、誰も津波を嘆かず、むしろすんなり状況を受け入れている。

この作品は、「不安と神経症の時代に立ち向う」ための「集合無意識レベルからのカタルシス」を描いているようだ。
無意識世界を象徴的に描いたものだけに、ストーリーは睡眠時の「夢」のように論理的整合性が怪しい。だから観客の意識を通り過ぎて無意識にダイレクトに伝わるかも。「地味で分かりにくい作品なのになぜか心に残る」と言われているのはそのせいだろうか。もしそうなら、宮崎監督のやったことはある種の呪術だ。
抑圧は、単なる個人の無意識領域にとどまらず、集合無意識にある。多くの人が意識化すべきものを無意識領域に抑圧していることで、個人の問題を越えた集合無意識レベルでの抑圧になっているのかも知れない。
彼の呪術が本格的に成功すれば、カタルシスは成し遂げられこの時代の神経症と不安は癒される。
海(=生命の源)に例えられる集合無意識は、時代の特徴や時代の潮流(意識の世界における集団レベルでの生命活動)を作る源と言われている。この「不安と神経症の時代」、人々が抑圧の元から解放し意識化すべきものとは一体なんだろう? 向き合う準備は、出来ているか?

ナンバープレート「333」の意味?
実は、占い師の目から見て個人的に非常に面白いと感じた偶然(必然?)がある。劇中に出てくる宗助とポニョとリサの3人が乗る車のナンバープレートが「333」。「3」はヒンドゥー数霊術で木星の数字で、「膨張・発散・解放」と言う意味があるのだ。それが3つ並んでいる。まさしく「解放」の三位一体。3人はそれぞれ「カタルシス(抑圧からの解放)」において役割を担っている。カタルシスを「発生させる者(=ポニョ)」「一旦受け入れて次の段階への態勢を整える者(リサ)」「地上での居場所を引き受けカタルシスを終わらせる者(宗介)」。
しかもポニョがフジモトによるDNAの抑圧を破り人間になりかけるシーンでは手足が3本指だった。もしや宮崎監督は、ヒンドゥー数霊術を知っておられるのだろうか? (数秘術の中では結構マニアックな占いなんだけどな・・・)
(もっとオカルトマニアックな解釈がお望みなら、アダム・カドモンの暗示が隠れてるとでも言っておこうか?)

※以下ネタバレ含む
作品の中で、フジモト自身もまた世界に行き詰まりを感じ、それを打開するために海の時代を逆行させて地上の支配者にする計画を作った。その準備として魔法の源でもある『命の水』をせっせと大事に貯蔵していた。しかし、ポニョが脱走中に全部飲んじゃった&海にばらまいちゃったということは、彼の計画では行き詰まりを打開できないのだろう。彼の「行き詰まり打開手段」は「解放」ではなく「抑圧」。カタルシスの逆だったから。結局、抑圧を抜け出したポニョが海の様子を変えて行き詰まりの打開をやってのけた(海の女神曰く『素敵な海ね』)。そしてポニョの始めたカタルシスの終了作業をしたのが、ポニョを真の姿から愛し身元引受人になった宗介。
己を抑圧し行き詰った世界の神経症の終焉と再生。それが二人の世界の救い方。
タロットなら20番の『審判』。

(より小規模で思春期の少女達に起こりうるカタルシスを描いた有名なアニメ作品が「少女革命ウテナ」かもしれない・・・)

予言とカタルシス願望 エコロジーと終末論 自分の中の暴れ馬 短所含めてありのままの自分を愛して True Colors ヘルメス伝説と進化の記憶 「少女革命ウテナ」とタロット

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2008.01.08

タモリのウソ外国語

「密室芸」と言うらしい。あくまでウソ外国語。しかしどの国の物まねも素晴らしい。
大学で中国語を習った身としては、タモリの中国語のピンイン(基礎発音)は大学の先生より上手に聞こえる。
リンクは右クリックで別窓。

各国バスガイド

納豆を初めて食べた外国人

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2007.11.25

サラリーマンNEO

25日。どこかの予言者が「25日。千葉県に地震が起きて東京がパニックになる」と言ったらしく、一部では盛り上がっていそうだが、そんなことはお構いナシに東京は天気の良いのどかな休日を過ごしている。
今日はそんな休日にぴったりのお笑い動画をご紹介。
「サラリーマンNEO」というNHKで人気を博したコント番組がある。サラリーマンをやっていると一度は遭遇しうる光景や出来事を面白おかしくコントにしている。ブラックユーモアでもある。
先日初めてそのコントを見ることが出来た。NHKで実際に放送されている番組のセットを使っているところが笑いを増幅させる。実際の番組そっくりに似せたテロップが出てくるだけで笑いそうになる。
一度お試しあれ。

テレビサラリーマン体操

Neo Express

がんばれ川上君

サラリーマン語講座

そのほか、youtubeで「会社の王国」や「セクスィー部長」と検索してみると面白いものに出会えるかもしれない。しかし出会えない可能性も高い。
私の予言だ。

職場の「困った人」

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2007.09.12

デスノート+ホットペッパー

(右クリックで別窓)

その1

その2

飲食中の閲覧はおすすめしない。多分噴くから。

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2006.10.26

攻殻機動隊とオカルトの世界

※とっても非科学的な話です。
『攻殻機動隊』。昔大学の授業でこの作品群の存在を知った。そして最近になってテレビシリーズをやっと見た。最新作ではないものの、今見ても面白かった。気に入った登場人物はトグサとバトーかな。タチコマがアニメ声というのは以外だった。
このアニメ、マトリックスの監督が影響受けたというのがよくわかった。マトリックス同様、オカルトやグノーシスなど形而上学的なテーマや、ユング心理学のような要素も ある。
この「攻殻機動隊」という作品の中にも、そのうち占い師とか霊能者みたいなキャラクターを登場させたら面白いんじゃないかと思う。占い、特に易やタロットなど偶然性に頼る占いは、見た目はアナログだが実は非常にデジタルな頭の使い方をしているからだ。
全く電脳化していないにもかかわらず、占い師達は昔から人間の集合無意識の領域(サーバーのソース領域またはデータベース)や、その人が自分の現実を作る時の運勢というデータがしまわれている領域(ネットで言えば「個人HPのソース領域」)にアクセスし、相談内容をキーワードにした検索作業をして来た。その精度は占い師の腕次第。
そして検索結果は、カードや筮竹に反映される。さらに検索結果を分析して、相談内容のアドバイスとして何がふさわしいかを、解釈する。解釈も占い師の腕次第。
はたから見れば、「偶然出た結果が的を得ている」「シンクロニシティーだ」と見える。 何のことはない、人工的にシンクロニシティーを起こしているだけ。
丁度Googleのキーワード検索で「自分の調べたいことが検索結果の上位に入っている」のと同じ。 Googleがあなたの心を読んでわざわざ気を利かせたわけでも、超能力じみた力を持っているわけでもない。システムがそういう仕組みになっているだけ。占いも同じ。運勢や無意識の深い領域が便宜上そういう仕組みになってるだけ。
生存環境が厳しかった原始の時代、人間は生存のためにデジタルな頭の使い方をよくやっていた。
「今日はあっちに行けば獲物と出会いそうだ」「このキノコはおいしそうに見えるのに不吉」「何だかこの場所は危ない気がする」「一週間以内に雨が降る(止む)」などなど、無意識の領域で場所やモノの情報を検索し、その中に有効な情報があれば予感や直感といった、個人のゴーストの中でも深部の無意識領域から来る機能で認識する。昔はそんなことが得意な人達はシャーマンになったりしもしていた。
シャーマンの中には俗に古くから「幽霊」と呼ばれる強烈な印象や感情(または強い意志?)のために、死してなお意識(=ゴースト)や、或いは意識のデータの一部だけがその場に焼き付けられて残っている/さまよっている状態の者を感じ取れる人もいただろう。ゴーストを使って他人の意識をジャックする(乗り移らせる・祟らせる)ような黒魔術師だっていたかもしれない。自分が自由に身体を抜け出してゴーストとして活動できるシャーマンだっていたんじゃないかと思う。ゴーストになれば、幽体離脱も、集合無意識へのダイブも、お手の物。大昔なら、草薙素子はアマゾネスにして部族を支えるシャーマンだ(95年の『攻殻機動隊』のエンディングは日本のシャーマニズムである神道の祝詞が含まれている)。
もう少し時代が下ると、地位も財産も全て捨てて、一歩間違えれば攻性防壁のように脳神経が焼けたり廃人になるかもしれないほど危険で難しい修行(ある種のヨガなど。)を積んでまでデジタルな能力を高めようとるする人々も出てくる。
・・・・・・しかし今は、人間が生存のためにそんな原始的な能力を使わなくて済むよう便利な科学を発達させてきた時代なので、その能力を使ってる生き物の大部分は動物達くらいなものだ。多くの人間達はその力の使い方を忘れている。だからその力でアクセスできる領域が身近じゃない。だけどやっぱり興味があるし、面白そうにも見える今日この頃・・・・・・

例え人間が電脳化された時代でも、他人の意識をジャック出来る時代でも、ゴースト深部に鎮座する個人的無意識の、そのまた向こうに鎮座まします集合無意識を検索する方法は、皆知らないままなんだろうか?

SSSのオープニング、気に入った。

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2006.09.10

ルパン三世の今と昔

よく「ルパンは昔の方がよかった」という話を聞く。
まず制作側の原因を邪推。
ルパンの根底に流れているのは「お洒落」。アクションさえもお洒落。現在のTVスペシャルは、制作側にいわゆる「アニメオタク」が増える傾向にあり、「アニメ画像」を作る技術はあるものの、他の部分は余り得意ではなく、あの「お洒落」に疎い所があるのかもしれない。アクションの見せ方や不二子のファッション、音楽の使い方があまりパッとしない。資料を集めるか、詳しい人にアドバイスを貰った方がいいかも(アクションはカウボーイビバップの方が優れている)。
また、海外旅行に憧れの強かった当時。画像や音声を含め、外国の描写には資料を用いるなどしてかなり雰囲気を出していたのもよかった。
初アニメ化の当時は、まだ「アニメオタク」というものがおらず、幅広い感性を持った人たちがアニメにも携わっていた、というような感じもするし、「ルパン」ともなるとイメージはドラマと変わらない扱いだったのではないかとも思う。

ルパンが昔の方が良かったわけ。多分それは、単に制作側だけの問題ではないと思う。
特に良かったといわれているのが1st~2ndシリーズ。ルパンが漫画として連載され、後に30分アニメになった頃の60年代後半から70年代だ。あの頃の日本はまだとてもレトロで、素朴で垢抜けていなくて、ルパン達が現実とはかけ離れて「もの凄くおしゃれ」に見えた時代でもある。一般的な生活は「神田川」とか、「ど根性ガエル」あるいは「ちびまるこちゃん」のような感じ。だからルパン達に対して、大きな夢と憧れがあった。そういうものをルパン達が背負っていたとも言える。憧れの外国を飛び回り、車やファッションその他様々な手の届きそうにないステキなアイテムが盛りだくさんだし、構成やカットはまるでハリウッド映画のような要素があり、レコードがまだ少し高かった時代にJazzyな音楽を使う・・・ Free_hands_jigen       
だから尚更面白く見えたのではないだろうか。
今の日本はあの頃と比べたら大違い。一般庶民でも海外旅行に行ける。メディアの発達で流行はすぐにわかるし、ブランド物の店もいっぱいある。テレビでも沢山ハリウッド映画を見ることが出来る。「カッコいい」が身近にあるのだ。
それに、今更外国を真似たってとくにトレンディーではない。都心に行けば海外の都市とあまり変わらない風景も広がっている。あの頃と比べて生活風景がどんどん欧米化している。コンビニに行けばハリボやスニッカーズが簡単に手に入る。子供でも買える。昔はただのコーラですら「カッコいい飲み物」だったのに。子供のおやつは1個100円もしない駄菓子だったのに。
今となっては、逆に60、70年代のレトロさに人気が出るくらいだ。
70年代を生きたことのない私ですら、あの頃のレトロさに触れると、何だかほっとする。レトロな風景が大好きだし、古い漫画やアニメも大好き。駄菓子も大好き。日本では失われつつあるレトロな風景が好きなあまり、日本以外のアジアに目を向けてしまうほど。

時代はどんどん加速している。このことをインド医学とからめれば、ヴァータ(風の要素)がどんどん増えてゆくということ。実際、ヴァータのアンバランスが裏に潜んでいると思われる問題も増えている。特に子供達。
半世紀も生きていない私が、生まれる前の時代への懐古趣味を持っている。それぐらい今のテンポはキツい時がある。もちろん、昔の生活には戻れないのだけれど(ネットで仕事してるんだから)。
もしかすると、結構多くの人にとって、テンポの速さはあの頃がちょうどいいのかもしれない。
だからこそ、あの頃ものすごくカッコ良かったものが、今でもカッコよく感じられるのかもしれない。
あるいは、夢と憧れが一杯(=可能性が一杯。目指す方向もはっきり)な「あの頃」自体が魅力的であるが故に、ルパンは昔のものの方が好まれるのかもしれない。
今は、あの頃みたいに全員が夢中になれる「憧れ」が見つかりにくいから。

余談だが、60・70年代のお洒落さが全開のおバカ映画「オースティン・パワーズ」が人気なのもそのせい? ※私も大好きです。

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2006.09.09

ルパン三世~セブンデイズ・ラプソディ~

今年もやって来たルパンのTVスペシャル。ルパンは幼稚園の時に2ndシリーズの再放送でハマって以来のファンだ。
今回の見た感想は、最近見た作品の中ではまあまあの部類に入ると思う。前回よりは良かった。ギャグは笑えた(特に最後のブッシュを意識したやつとか、次元の“ズボンはどうした?”など)。作画もヒロインと主要キャラは○。
主要キャラを使ったギャグで笑わせるのは良いのだが、それぞれのキャラ本来の持ち味や良さが余り出ていないのは残念。彼らは本当はもっと「カッコいい」はずだから。カッコよさのなかに突如スコンとギャグが入るのが今までのルパンの醍醐味でもある(少なくとも、今までは)。メリハリが利いていないと、最後にヒロインを救い出すための連係プレーが生きてこない。流れに中途半端な感じが出てしまう。連携シーンを単独で見れば、結構カッコよく描かれてるはずだからもったいない。
そして、次元の葛藤の描写が薄い気もする。あそこをうまく描ければ、次元はもっとカッコよくなったはず。ファイヤー男(彼は悪役でなく存在そのものがギャグだったのか?)のシーンをそっちに回してもいいくらい。
また、ヒロインの父親だが、影が薄すぎる気がする。何故病気の妻をほっといてまでダイヤに打ち込んでいたのかがよくわからない。単なる悪党という扱いじゃない気がするのに、しばらく経って振り返ると、目立つ印象は「至近距離からショットガンで撃たれたのに生きてる(服の下にジャンプでも?)」という所だけだ。
悪役の描写もイマイチ足りない感じがする。
以上の理由からか、テンポが速いというよりは、「要所要所をいい加減に流してる」印象になってしまってもったいない。
とはいえ、全体的にあの独特のルパンらしさは出ているとは思う。銭型との追いかけっこやヒロインとの出会い方など。次元の過去もまあまあだった。競馬場から脱出するくだりや「氷」の使い方もいい。
最近のTVスペシャル、古くからのルパンファンには「昔の方が良かった」と言われることが多いが、そのことについても後で書くことにしよう。

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2006.07.05

ルパン三世に関する面白い動画

youtubeでルパン三世の動画がないかと探していたら、あるわあるわ。 その中で目に付いた面白いものをご紹介。ルパン好きなら知ってるものかもしれない。

Lupin III - Pilot Film (1971)
声が山田氏よりも前のヤツ。私が生まれるはるか前。

実写版ルパン(日本)
田中邦衛が・・・

海外のルパンマニアの作品(実写)1

海外のルパンマニアの作品(実写)2

海外のルパンマニアの作品3
実写版カリオストロ??

CG作品。次元がカッコイイ。

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2005.08.23

皇帝ペンギン

今日、フランスのドキュメンタリー映画「皇帝ペンギン」を見てきた。なかなか良かった。音楽も幻想的だ。
海の中の氷の映像や空の様子が美しかったし、ぴよぴよでふわふわの子ペンギンは可愛かった。もっと見ていたかったほど。よちよちと頭を振って難儀そうに歩く姿と違って、海の中のペンギンはすごい。飛んでいた。
何しろ南極だ。環境は厳しい。「全員ではなく、何匹か生き残ればいい」ということを前提にした生命の営み。そのことが凄く神秘的。
夏を涼むには最適の一本。

pengin

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2005.06.09

キャラバン

7日にBS2で映画「キャラバン」を鑑賞。見るのはこれが二度目。一度目はスクリーンで見た。
ヒマラヤの麓、ネパール側にあるチベット系民族の住むドルポ村では、収穫できる農作物が不十分なため、塩の交易をするキャラバンで暮らしが成り立っていた。そのキャラバンを率いる若者カルマとかつてのキャラバンリーダーだった主人公の祖父ティンレの世代交代の話し。
もうもうと上がる砂埃。峻厳な斜面。荷物を積んだ数え切れないヤク(牛の一種)たち。それを率いる赤い頭飾りをつけた男達。それが全部、チベットを旅した私の記憶を突っついていく。
ストーリーは何となく西洋人が作ったものと分かるのだが、映像もキャストも本物。ドルポ村も実在する。キャラバンは現地で本当に今でも行われており、ヒヤヒヤするような高山のがけっぷちを歩く。実際、命がけ。しかし命がけのキャラバンをしなければ、村は飢えてしまう。出演者は一人を除いてみな現地の人々。けれど、皆しゃべり方に素朴で豊かな表現力を持っている。厳しい大自然の中でしっかりと力強く生きている人々は老若男女問わずそれだけで美しく見える。映像はヒマラヤオールロケで、景色が怖いほど美しい。音楽も○。

なお、若いキャラバンリーダーのカルマはイケメンなので女性に人気だ。彼もチベット高原の遊牧民出身。


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