2009.12.08

アダムとイブの物語が象徴するもの?

danger マニアック注意

ついでなので、アダムとイブの物語そのものでオカルトなトンデモ説を捏造してみた。あくまで無名の占い師が捏造したフィクション(二次創作?)であることを忘れてはいけない。
 アダムとイブの物語は前記事参照←右クリックで別窓

オカルトマニアの個人的な願望妄想だが、聖書を含め、その土地の大昔からの神話や伝説というのは、その土地の人々のDNAに刻み込まれた強烈な体験の記憶が象徴的に表現されたものではないかと空想している。DNAを通して人々の無意識に刻まれ受け継がれてきた歴史・・・良い記憶も、嫌な記憶も含めた歴史・・・それが象徴的な物語として信仰される。大昔に一体何があったんだろう? とか色々妄想するとちょっとロマンを感じる。思わず顔がにやけてしまう。
神話や伝説とDNAの記憶----以前もそのような感じの妄想記事(リンク参照)を載せたことがあるが、今回もそんな感じで寄り道しまくりの気ままな妄想の旅に出ようと思う(多分ほとんどの人は脱落するほどマニアックになると思う)。この旅は、あくまで無名の占い師が捏造したフィクション(二次創作?)であることを忘れてはいけない。

アダムとイブの話にはイスラムの聖典コーランにも載っている。そこでは、先に禁断の知恵の実に手を出したのは、イブではなくアダムという事になっている。そして、聖書でもコーランでも、アダムは知恵の実を食べたことを最初は誤魔化そうとしたらしい(コーラン版のアダムはそのことを後に反省している)。聖書の方では、神に「知恵の実を食べたのか?」と尋ねられたアダムが「イブだけが食べた」と神に答えている。これがアダムの行った最初の罪とされている。アダムは、人類最初のウソをついたのだ。

知恵の実を食べたことを誤魔化そうとするアダム・・・何かを誤魔化せる程度の知恵がついたということか。聖書とコーラン、どちらの言い伝えでも、知恵の実を食べて自我と知性を得たアダムは「悪知恵」が働いている。知恵の実の効果はてきめんだ。「誤魔化す」という行為も鍵。人間は、自我にとって都合の悪い事や受け入れがたいことを無意識の領域に追いやり「なかったこと」にして自分自身をを誤魔化す能力がある。つらい記憶やつらい事実を自我の意識領域からすっかり欠落させたり、犯罪者が自分の犯行の記憶を失っていたり。もっと身近な例では「自分は何も悪くない」と思い込むために事実を都合よく捻じ曲げたり、自分を被害者にする(または他人のせいにする)といった能力だ。この真実を封印するかのような機能は心理学的には抑圧とか抑制という。それは自我をもった者(すなわち人間)にしか出来ない。知恵の実を食べて知恵と自我に目覚めたということは、同時に自我(顕在意識)に対する「無意識」という領域が生まれたということでもある。自我と知恵をつけたアダムは知恵の実を食べたことを早速無意識領域に追いやり、「なかったこと」にしちゃったらしい。

向き合わず受け入れずに無意識領域に葬り去られたままの真実は時に心のわだかまりとなり、やがて神経症の原因になることもあるそうだ。言い伝えの世界では、向き合い受け入れその原因を改善(治療)することが必要な真実(宗教的に言うなら悔い改めるべき真実?)を「嫌なものだから都合が悪い。受け入れたくない。なかったことにしよう」と無意識領域に隠蔽し葬り去ったまま放置することに対して、「心の健康を妨げたくない」という本能の視点から『罪』と表現しているのかもしれない。精神衛生上「悪い」ってことで。それなら『罰』はさしずめ神経症の症状だろうか? 人類で最初に自我と知性に目覚めた二人は、人類最初の罪(原罪)を背負うことになる。そして罰も受ける。彼らが食べた「知恵の実」のもう一つの呼び名は、「善悪の知識の木の実」。「罪」の概念もこの実を食べたとき生まれたのだろう。
アダムとイブの物語は、始めて自我と知性に目覚め、同時に無意識への心理的抑圧(抑制)のやり方を覚えた時に人類のDNAに刻まれた記憶(知性の使い方と悪用法?を覚えた時の記憶)を象徴的に表現する物語だったのかもしれない。

知恵の実を「食べると死ぬから食べるな」と神から言われたのに食べちゃったアダムは930歳で死んだと記録されているが、イブがどうなったのかは記録がない。これがまたなんともロマンを感じる。
そのロマンが電波に引火してオカルトマニアの妄想が再び炸裂。もしかすると、イブは「食べると死ぬ」はずの知恵の実を食べていなかったから死の記録が無いのかもしれない、と。知恵の実を食べたアダムが自分と神を「誤魔化した」ためにイブも食べたかのような話になっているが、本当は食べていなかったためにアダムのように死ぬことはないとしたら。アダムはかつて自分が行ったウソという罪(心理的抑圧)と向き合い受け入れ反省した証に、楽園を追放された後で彼女に「イブ(生命・生きる者)」という名前をつけた? 

或いは、アダムは「都合の悪いこと(神に背いて知恵の実を食べたこと)」を無意識領域に放り込んで「なかったこと」にする能力のある自我(顕在意識)の象徴キャラクターで、イブはそんな自我から「都合の悪いこと」を押し付けられた無意識領域の象徴キャラクターかもしれない。無意識は善悪の判断をしない。だからイブが善悪の知識の木の実(知恵の実)を食べていないとするパターンを作った場合でも、つじつまだけは合う。
もしそういう見方をすると、イブはアダムという自我にとってのアニマ(自分の中の女性的要素や抑圧された個性、知られざるもう一つの自分の姿で、しばしば本人が理想とする女性像の形をとる)ということにもなる。
(※ウエイト版タロットの「恋人」のカードには、アダムとイブが描かれている。男性の恋愛感情は自分のアニマを異性に投影することで発生するという説がある)

もっとオカルトなことを書くと。アダムの名は「土・人間」という意味があり、イブの名は「生きる者・生命」という意味がある。これをオカルト的に解釈して、アダムは自我や知性といった肉体(脳)の領域を。イブは肉体に宿ることでその体を生命たらしめるもの、自我が認識できない生命の働きや無意識とその領域を司る、いわば魂(心・精神)性という不滅の生命体だとすると、やっぱりイブは死なない。いつまでも「生きる者」だ。楽園を追放された後、アダムは罪と向き合った時に己の無意識部分であるイブの特性(魂の特性)を知り、それを表現する「イブ」という名をつけたのかもしれない。イブはアダムという寿命ある生命の、知られざるもう一つの姿(=アニマ)か。イブは
(オカルト的に見ると、現代人の自我は己の心への理解は乏しく、魂なんて『なかったこと』にされている)
すると、アダムの誤魔化し言葉である「イブだけが食べた」は「心の中でだけ食べた(無意識の底にのみ知性が存在している。まだ表面化していない)」という意味だったりして。

アダムは死に、イブの死は記録されず。多分それが原因でジッダにイブのお墓伝説が生まれ、21世紀初頭に至ってそのジッダで未曾有の洪水が発生。宗教上の事情でコンクリートにがっちり封印されたイブのお墓(これもある意味都合が悪いから抑圧されたもの)とされる墳墓も水の中に沈んだのだろうか? 
「水」は無意識のシンボルだ。そして「洪水」は抑圧力という堤防を上回る力を秘めた無意識の作用によって、かつて自我に「なかったこと」として水の中に沈められたものが再び自我領域にどんぶらことやって来る現象のシンボルだったりする。その現象の一つが、神経症だ。
(※旧約聖書には、罪深い人間への罰として神が洪水を起こすという『ノアの洪水伝説』が存在する)
歴史の水底に葬られ、その記録は「なかったこと」にされているイブの秘密の手がかりが、やがて抑圧を越えて水面上に現れる日は来るだろうか? コンクリートで封印されたジッダの謎の墳墓が開封されて調査される日は来るだろうか? 最近封印を解かれて解読が進められているという「死海文書」にもちょっと期待したい。

イブ(生命)がアダム(人間)のアニマなら、彼女は全ての人類が持っている「隠されたもう一つの姿」だ。それは昔から生命を生み出す機能を持つ女性達に神秘と恐れの気持ちを込めて投影されて来たかもしれない。時には「恐れ」の気持ちが優勢になってしまい、投影された側の女性達までが恐れられた挙句、「恐れが自我によって抑圧される」かのように歴史のなかで抑圧されたこともあったろうか(魔女狩りとか、ある種の男尊女卑とか?)。
自分の都合の悪いもの(時には『罪』)を長い間無意識領域に押し付け、「なかったこと」にしてきた人ほど無意識領域と向き合うことを恐れる(そしてその恐れさえ抑圧する)。だからそういう人の自我は必死に堤防を作って無意識の作用を抑圧(封印)することがある。コンクリがあったら使いたいかもしれない(『無意識領域』を『女性性』に置き換えると・・・?)。

私達は、いつか謎というコンクリートに包まれたイブの秘密に出会えるだろうか? 謎のまま無意識の水底に沈められ、抑圧されてきた私達の生命のもう一つの姿(イブ)と私達が出会う日は来るのだろうか? 
(そういうものが存在すればだけど)

ヘルメス伝説と進化の記憶

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2009.12.03

砂漠の洪水とイブのお墓伝説

ちょっと前の話になってしまう。
11月の終わり、イスラム教徒のメッカ巡礼(ハジ)が始まった初日。巡礼の玄関口の都市、中東はサウジアラビアの乾燥した砂漠地帯にあるジッダという場所で、何故か豪雨による洪水が発生。被害は大きく、3桁に至る犠牲者が出てしまった。ご存知の方も多いと思う。
洪水のニュースをきっかけにこのジッダという場所についてちょっと調べてみると、オカルトマニアとしてはちょっと興味深い事実を発見した。
何と、ジッダには旧約聖書の物語に出てくる人類の祖先、アダムとイブのうち、イブのお墓と言われている墳墓が存在しているとのこと。その墳墓に巡礼者がこっそりお参りしてしまった(イスラム的にはNG)ことがきっかけで、30年以上前に現地の宗教当局が墳墓をコンクリートで覆ってしまったそうだ。
イブのお墓があるという言い伝えのためか、「ジッダ」という地名の語源は「おばあさん(jaddah)」から来ているという。まさしくイブは「人類全てのお祖母さん」という設定だ。
そしてイブは、謎めいたお祖母さんでもある。

◆アダムとイブの物語
ユダヤ・キリスト・イスラム各宗教の共通認識として、アダムとイブは人類の祖先だ。旧約聖書によると、二人は最初、「エデンの園(楽園)」に住んでいた。そこには様々な果物や食べられる実のなる木が沢山あり、二人は神からそれらを好きにもいで食べていいと言われており、働かなくてもお腹一杯食べられて何不自由なく暮らしていた。そんなエデンの中央には「生命の木」と「知恵の木」というものがあった。神は「知恵の木の実(禁断の知恵の実)だけは食べると死ぬから食べてはいけない」と言った。しかしある日、蛇にそそのかされたイブが知恵の実を食べ、美味しかったのでアダムにも勧めた。アダムも食べた。二人は知恵の実を食べちゃったために、「知恵の実を食べた上に生命の実まで食べて自分と同じになられたら困る」という神の思し召しでエデンを追放された(ちなみに、生命の実も食べて神との合一を目指すのが生命の木を重要視するカバラ神秘学だ)。
エデンという楽園を追放された二人。イブはそのときはじめて、「イブ」という名前をアダムにつけてもらった。名前の意味は「生きる者」とか「生命」。二人はエルダという場所に住み着き農業をして暮らした。子供も生まれた。こうして人類は汗水たらして働かなきゃ食べていけないほど実り少ない世界で生きることになった(その結果、金融危機が起こせるほど経済が発展したのかもしれないw)。
「知恵の実を食べると死ぬ」・・・神がそう言ったとおり、やがてアダムは930歳で死んだ。しかし、イブの死に関してはなぜか記録が存在しない。彼女の行方は、今のところ誰も知らない。

おそらく、イブの死が記録されていないからこそ、ジッダにお墓があるという伝説が生まれたのだろうと思う。「食べると死ぬ」という知恵の実を食べたのならイブだっていつかは死ぬだろうし、恐らく死んだ場所は旧約聖書の世界観に合わせて中東のどこかだろう。丁度誰のものかわからない古い墳墓がジッダにはある。じゃそれがイブのお墓かもしれない。・・・そんな感じでイブのお墓伝説は生まれたんじゃないかと空想した。 
そんな伝説のある砂漠の場所で未曾有の洪水が発生したのは何の因果か・・・

次回はアダムとイブの物語にオカルト的・心理的な焦点を当ててみる。

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2009.10.24

投影すれば、無機物だってスクリーンになる

最近、元素の擬人化「国」を擬人化したアニメ「駅」を擬人化したアニメ等「無機物の擬人化」が一部で人気なようだ。「元素」「国」「駅」といった無機物を擬人化したキャラクターに、他のアニメや漫画のキャラ同様、「萌え」や恋愛感情を抱く人もいるだろう。

昔から男性が車にアニマ(理想の女性像・自分の自我に統合したい己の女性的側面)を投影することがあるというのは有名な話。以前、車に欲情して全裸で逮捕されたイギリス人のニュースを本当に見たことがある。女性だって無機物にアニムス(アニマの男性版)を投影する時代が来てもおかしくは無い。 「結婚しなければ」という一種の縛り的風潮がなくなってきたことも一つの背景か?

恋というものが己の理想イメージや願望を相手に投影することで発生する現象であるならば、人類は「擬人化」という能力で投影対象の範囲を人間性の欠片もないような無機物の領域にまで伸ばせるくらい進化したのかもしれない。むしろ、自我や独立した意思が無い分、勝手に動いてイメージを壊されないから人間をスクリーンにするより楽である。

国を擬人化したアニメのキャラ解釈でファン同士が対立しネットの中で紛争が勃発したり、アニメキャラと正式な婚姻届が出せるように国に求めたり、キャラ設定が己の理想イメージに反したという理由で作者にリアルで復讐することさえ出来るほど人間の精神的恋愛スキルは斜め上に向かって進化し続けている。
以前、腐女子同士が「もしもエッフェル塔と東京タワーが愛し合ったらどんなカップルになるか」という話題で盛り上がる様子を知ったフランス人がおびえていたという話を聞いたこともある(笑)。 実在の駅が擬人化したキャラが生まれたことで、ヤンデレ系のファンが 「この腐れドアがあああ!私と六本木君の間を邪魔するかあああ!!」みたいな気分になることも起こりうるのだろうか? 「貴様は私の新宿サマをゲロで無残に汚した。死ね!」とか?

三次元に興味のない人、人でない相手に恋をすることで満たされるケースが増えてきたということは、人類はアニマやアニムスという「抑圧されていたもう一人の自分」と対話することをより一層望むようになったということかもしれない。恋物語でよくある「ずっとあなたを待っていた」はスクリーンに投影したアニマやアニムスに向けての言葉なのだろうか?
集合無意識レベルで内的対話を望む傾向・・・不安と神経症の時代(by宮崎駿)には、大きな意味を持っている現象かもしれない。

「人類は増えすぎた。環境は悪化の一途を辿り、地球は悲鳴をあげている。人類よ、ストライクゾーンの狭き檻から抜け出すがいい」
・・・そういう宗教が生まれたらどうしよう(笑)

「駅」がネタになるなら、アサリ(無脊椎動物)だってネタになるかもしれない。・・・ちょっとやってみよう。

アサリ「君のことが好きだから、・・・水管・・・こんなに長くなっちゃった・・・ あと少し・・・あと少しで君にとどくのに・・・! 死ぬ時は君に触れていたい。君のそばで逝けるなら、ボンゴレにされる運命も怖くない。とどけ・・・とどけ・・・出会う前から君が好きだったんだ・・・!」

Asari

・・・萌える?


連想と投影の魔力(恋愛編)
恋人は、誰よりもあなたのそばに?

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2009.05.25

大英帝国、戦いに魔術師と占星術師を雇う

ブログのネタが思い浮かばなかったので、オカルトな小話を・・・ 
BGM(右クリックで別窓)

オカルト大国イギリス。占星術が盛んで、妖精を信じる(見る)人が多く、幽霊の噂がある物件の方が高く売れ、国防省がUFO情報を国民に開示し、超常現象のニュースが紙面に頻出し、かの有名な物理学者アイザック・ニュートンも錬金術にはまっていた。
そんなかの国のオカルトっぷりは、政治や戦争とオカルトが結びつくほど。曰くありげな噂が付きまとうあの「フリーメイソン」もイギリス発祥だ。

以下はずいぶん前のニュース記事。
共同通信より

・・・第2次大戦中に英情報機関が登用した占星術師が、昭和天皇ら敵国指導者の運勢を独自に占い、英陸軍省に定期的に報告していたことが、英公文書館が4日公開した情報局保安部(MI5)の機密文書で明らかになった。  英政府が当時、占星術師を雇っていたことは知られている。占いの結果が政府内でどう扱われたかは不明だが、文書によると、これらの「予言」を真剣にとらえていた高官も一部にはいたという。  この占星術師はハンガリー人のルイス・ドウォール氏(1903~61年)。35年にドイツから英国に移り、戦時中は対外情報機関の特殊作戦委員会(SOE)で大尉の肩書を得た。
42年に作成した文書でドウォール氏は、これまでに提出した自分の占いの結果と実際の戦況を比較。同年6月5日から7日にかけて行われ、日本が敗北したミッドウェー海戦について「6月は(昭和天皇)ヒロヒトにとって悪い時期だ。特に8日前後」と予言したと実績を誇示した上で、翌年の昭和天皇やナチス・ドイツのヒトラーらの運勢を月ごとに細かく占っている。
 MI5は外国人であるドウォール氏を警戒し、活動内容や接触先などについて戦後の52年まで調査を続けていた。(共同)

ちなみにナチスはというと、スイスの占星術師カール・エルンスト・クラフトを顧問占い師にした(実はナチス、オカルトを自分達に都合よく独占するため、国内の都合悪い占星術師達を迫害。結局クラフトもドイツに不利な鑑定結果を出して収容行きに。組織自体が占い依存症だったようだ)。
イギリスはそれに対抗し、「敵が星の様子を見て作戦を決めるのなら、我々も星を見れば敵の作戦を予測できるじゃないか」と件のハンガリー人占星術師ドウォールが雇われたというわけ(星はどこでも見えるんだから筒抜けだ。ナチス側は何で誰もそれに気付かなかったんだろう?)。
彼の一番の手柄は「占いによる作戦予測」よりも、ドイツで有名な星占いカレンダーの『偽物(不吉なことを一杯書いておく)』をドイツにばら撒いて、ドイツ側の士気を大いにくじいたことだとも言われている。
イギリスは、「オカルト」と「政治」が関わることが他にもあった。イギリスに拠点を移した「神智学協会」というオカルト思想グループの会員だったアニー・ベサントが東洋趣味的な神智学の発想に突き動かされて後のインド独立運動に大きな影響を与えた「自治権運動」を展開している(インド独立の母の産婆助手、と評す人もいる。ガンジーも彼女には好感を持っていたとか)。同じような感じで神智学協会会員がスリランカの独立にも影響している。Vsign
また、かの有名な(悪名高いとも言う)西洋神秘主義者にして儀式魔術師のアレイスター・クロウリーもイギリス軍情報部に協力。初めてチャーチルに「Vサイン」という呪術的な所作をさせたり、「ヒトラー上陸を防ぐ儀式魔術」を行ったりしていた(上層部にクロウリーを使う提案をしたのは007の作者、イアン・フレミング)。その効果があったかどうかは定かじゃないが、何故かナチスはイギリス本土の上陸作戦には乗り気にならなかったらしい。それを「ナポレオンの頃と同じことが起きただけ」と言うオカルト系の人もいる。
以上、オカルトを信じない人が読むと抱腹絶倒できる実話。

イギリスのオカルト好きという国民性は現代でも健在。世界的な不景気の今、かの国の占星術師やオカルト結社が景気回復を願ってこっそり動いてみている「かも」しれない。

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2009.04.05

ミサイル誤報と集合無意識の陰謀(?)

「北ミサイル発射」2度訂正
まさかの「北ミサイル発射」の誤報2連発。何者かの陰謀か、はたまた出しそびれたエイプリルフールネタか。まさしく「みぞうゆうの事態」。せっかくだからオカルトチックな空想で遊んでみよう。外国からミサイルが飛んでくるかもしれない事態を占い師のヨタ話に出来るので、日本は平和な国だ。

まず、去年の金融危機以前から日本はここ2年ほど集合無意識規模でカタルシス願望(終末願望もその一種)が高まってるみたいだ。ジュセリーノとか言う予言者の予言が注目され、メディアが騒ぎ、その結果去年9月「愛知・岡崎に巨大地震が来る」という噂がかなり大きく流れた。その噂が流れ始めた最初の頃、予報システムの不具合により、愛知で「一分半後に大地震(M12.7!)の予報」や「弾道ミサイル攻撃予報」が本当に流れ、一時は交通機関まで止まった。「誤報」に振り回されてる最中は、ジュセリーノの予言の噂を連想、投影し「予言当たった!」と思ってしまった人も結構いたのではないだろうか。
あの噂が流れた頃の物凄い誤報。シンクロニシティー(意味のある偶然の一致)が発生した、とオカルト的には考えてみる。
今回もあの頃の雰囲気とどこか似ている。カタルシス願望覚めやらぬこのご時勢、集合無意識がそんな状態の中で北の思わせぶりな「射つ射つ詐欺」。指定日当日、偶然レーダーに捕らえられた正体不明の「何か」。もしわざとじゃないなら、これもシンクロニシティーかもしれない。偶然が重なって謎の物体へとっさに「ミサイル」を連想、投影し、「ミサイル発射した!」と思ってしまったんじゃないかと。
心理学者ユングによると、シンクロニシティーの源は集合無意識という個人を超えた人類共通の無意識層にあるという。
集合無意識も粋・・・人騒がせなことを。


連想と投影の魔力
ジュセリーノの名古屋・岡崎地震予言と「ええじゃないか」

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2009.02.02

浅間山噴火と龍脈

※あくまで占い師個人の視点です。 (リンクは右クリックで別窓)

浅間山が今朝夜明け前に噴火した。朝起きると灰が私の家(都内)まで降ってきて、自転車の座席がうっすら白かった。念のため洗濯物は軒下だけに干した。(写真付き記事)
浅間山は、風水で言うところの「龍脈」が通っている場所だ。風水の「龍脈」とは、いわゆる大地のエネルギー「気」が強く流れる場所のことを表す。最近は日本でも開運目的で風水が流行っている。「気」・・・肉眼では見えないが、肩こりを治すなどの治療効果があったり(私の地元にも気功施療院がある)、手を触れずに人を動かしたり、運気を良くしたり・・・いろんな使い方がある。龍脈が多く集まる地であり、風水の盛んな香港では、ディズニーランドの入り口を風水上の理由で予定より12度ずらしたほどだ。
また、風水によると、大地に流れる龍脈の様子を見ることで、その国の運勢を見ることが出来るのだという。地震や噴火は龍脈の乱れによって起きるとされ、「龍脈の乱れは運気の乱れ」とばかりに大昔は地震や噴火があると為政者達がおまじないをしていた。日本でも奈良時代辺りに風水の元型のような思想が伝わっていたという(遣唐使が大陸から持ち帰ったのだろう)。
去年3月、チベット動乱発生の丁度一週間後の同じ曜日にチベット自治区とウイグル自治区の境界にある山脈で大きな地震があった。震源地は「崑崙龍脈」と呼ばれる地域にあり、ここから大きな龍脈が発生し、途中で3本枝分かれして中国大陸を覆っている。理論上、崑崙山脈の地震は中国の龍脈の源で発生したことになる。龍脈の変化がその国の運勢に影響するのであれば、それが中国の場合どのように影響したかはご存知の通り。
とはいっても、龍脈の乱れで国の運勢が乱れたとしたら、それはその国に長い間隠されていた様々な問題(改善すべき点)が龍脈の変化をきっかけに表面化したということでしかないのだろう。問題点が明るみに出てハッキリした分、分析も対処もしやすい(ピンチはチャンス)。逆に、大きな問題を抱え込んだまま放置していなければその国の龍脈上で何があろうが運勢には影響が無い。大事なのは「日ごろの行い」であることは、人間も国も同じではないかと、占い師をやっていて感じる。
日本にも龍脈があり、浅間山より有名なものは富士山から東京(皇居)に向かう龍脈。東照宮のある日光も有名だ。徳川家康も風水通じており、幕府を江戸に置いたのは伊達じゃない。江戸の周りには風水的理論に基づいた神社仏閣を建てている。龍脈が乱れても政治の中枢である江戸が守られるようにするためだ。
日本の龍脈の上にある浅間山の噴火。日本は「日ごろの行い」から見ると龍脈が少々乱れた程度では別段運勢に影響が出・・・ないんじゃないかな。多分出ないと思うよ。だって世相を見れば既に運気停滞気味だし。

香港じゃディズニーランドも風水

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2009.01.23

サウジアラビアにUFO墜落?

サウジアラビアにUFO墜落 数千人が目撃
ちょっと前の出来事。場所はサウジアラビアの首都リヤドの東に位置するアル・カシムという場所。目撃者によると、物体は流星などとは似ておらず、青と緑をしていてレーザーらしき光が見え、爆音を出して地面に激突し、振動を感じたという。地元の気象局からの発表はない。
・・・こういう奇妙なニュースが子供の頃から大好きだ。正体不明の飛行物体は例え実際が隕石や飛行機であっても、未確認であるうちはUFO(未確認飛行物体)だ。そこで様々な空想の余地が生まれる。宇宙人の乗り物だ、いやタイムマシンだ、いいや「悪の組織」の陰謀だ・・・などなど(笑)。未確認。なんと夢膨らむ魅力的な響き。わくわくしちゃう(変態?)。
しかし現地の目撃者達はわくわくするどころか怖いと感じた方が多かったようだ。お祈りをする人、「神がガザで今起きていることへのサインを発したのだ」と思う人・・・
未確認飛行物体も興味深いが、それを見た人のリアクションも非常に興味深いと思う今日この頃。


ハリケーンウィルマの目に現れた謎の数字


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2008.08.21

『崖の上のポニョ』とカタルシス

http://aya-shumi.cocolog-nifty.com/heya/2008/12/post-0a93.html『崖の上のポニョ』を見た。ポニョの樹木希林とトトロやメイを掛け合わせた魚顔がめちゃくちゃ可愛いと思うのは私だけだろうか? そして宗介は本当に「よく出来た子」だ。私なんか足元にも及ばない。絵は相変わらず美しい。
ストーリーやキャラクターについての感想は他のブログでいくらでも書かれているだろうから、メインは心理学的、象徴的な視点による『崖の上のポニョ』の個人的解釈にしようと思う。(読者の脱落率90%)
まず、この作品のテーマは他のいくつかの宮崎作品同様、「カタルシス」だろう。宮崎監督曰く、この作品で「初源なるものをためらいなく描いて、不安と神経症の時代に立ち向かいたい」という意図があったそうだ。
ということだから、遠慮なく心理学的なシンボルを用いてこの作品を説明してみる。まず「水」は人の精神発達・精神活動のスタート地点である無意識の象徴。そしてそこにとけ込んだものの象徴でもある。そして水が最終的に集まる場所、「海」は集合無意識の象徴。そして「魚」は無意識の領域に住み、普段は水の外へ出ない(意識の領域へは出てこない)存在。しかし確かにそこに存在し、稀に跳ね上って一瞬水面の上(=地上)に飛び出す。そしてある特別な条件がそろった時、水の外の世界から抜け出し、一瞬ではなくずっと地上世界(顕在意識の領域)の住人になる。
無意識にいるはずのものが意識の領域に浮上し、そこにとどまり続ける。それはどんな条件の時に起きるかと言うと、
「意識化すべきものが何らかの理由で無意識領域に強く抑圧されていて、そのために心が緊張し行き詰っている時」。
「解放・浄化すべき鬱屈が何らかの理由で無意識領域に閉じ込められ抑圧され、鬱屈の限界が来ている時」。
その条件下におかれた時、心は抑圧された部分を本能的に「外へ出したい」とそれこそ心から切に思うようになる。そして「抑圧する側」との間に葛藤(戦い)がはじまる。本能からの・心からの思いは強いエネルギーを秘めているので、抑圧側との戦いはとても激しくなる。そして大概は抑圧側の隙を衝いて勝利する(ある宗教はそれを『ハルマゲドン』と呼んだかも)。そのエネルギーは抑圧や障害を乗り越える力になる。
①と②はそのまんま人が神経症に陥る時の心理的環境といえる。「自分の何かを必要以上に押し殺している」時、神経症は起こりやすいそうだ。そうなったら確かに不安だろう。けれどもそれは、「行き詰まりの打開」「鬱屈の浄化」「抑圧からの解放」(=カタルシス)のチャンスでもあるわけだ。不安の正体を知れば、怖くない。
重要なことは、「抑圧してきた意識化すべきものの真相と向き合い、拒絶せず受け入れること」。すると神経症は回復に向かう。その過程で、時には無意識にとけこんだものを出す機能のある「涙」があふれ出すかもしれない(あれも海水みたいなものだ)。また、「意識化すべきもの」は時にアニマ/アニムス(理想の異性像)の姿で夢の中に現れる(宮崎監督のアニマは少女の姿をしているのだろう)。

さて、以上のことを『崖の上のポニョ』に照応させると、「抑圧する側」はポニョを元の海へと一旦は連れ帰ったフジモト。無意識領域、それも集合レベルの無意識領域からの脱出を心から望んでいる「意識化すべきもの」はポニョだ。ポニョは抑圧の隙を衝いて浮上を決意。するとポニョを乗せた無意識(=水)が地上世界(顕在意識領域)に向かっていっきに膨れ上がり、溢れ出す。地上世界(街)は溢れ出した水で覆われる。
そして地上世界へ浮上してきたポニョという「意識化すべきもの」に気づき、その真の姿を知り受け入れた地上世界の住人、宗介・・・例え己の醜いとされる部分であっても、押し殺さずに受け入れ認めることは、一種の愛。
この「抑圧の隙を衝いて無意識領域から地上世界へ浮上し移住すること」は主体となるポニョ一人の力で行われたものではない。まず宗介の愛、同じ海に住む無数の妹達の協力、ポニョの母親である「海の女神」の説得と後押し、そしてとうとう納得した抑圧側のフジモトが「作戦」を実行したからこそ成功したものでもある。しかも、恐らく集合無意識の象徴である「海の女神」は最初から何が起きるか予想できていたのだろう。ポニョが地上の迷惑を考えず津波と共に猪突猛進に宗介の元を目指したのは、それがポニョのみならず集合無意識全体の意志、すなわち不安と神経症を抱えた時代の意志だったから。その証拠に、誰も津波を嘆かず、むしろすんなり状況を受け入れている。

この作品は、「不安と神経症の時代に立ち向う」ための「集合無意識レベルからのカタルシス」を描いているようだ。
無意識世界を象徴的に描いたものだけに、ストーリーは睡眠時の「夢」のように論理的整合性が怪しい。だから観客の意識を通り過ぎて無意識にダイレクトに伝わるかも。「地味で分かりにくい作品なのになぜか心に残る」と言われているのはそのせいだろうか。もしそうなら、宮崎監督のやったことはある種の呪術だ。
抑圧は、単なる個人の無意識領域にとどまらず、集合無意識にある。多くの人が意識化すべきものを無意識領域に抑圧していることで、個人の問題を越えた集合無意識レベルでの抑圧になっているのかも知れない。
彼の呪術が本格的に成功すれば、カタルシスは成し遂げられこの時代の神経症と不安は癒される。
海(=生命の源)に例えられる集合無意識は、時代の特徴や時代の潮流(意識の世界における集団レベルでの生命活動)を作る源と言われている。この「不安と神経症の時代」、人々が抑圧の元から解放し意識化すべきものとは一体なんだろう? 向き合う準備は、出来ているか?

ナンバープレート「333」の意味?
実は、占い師の目から見て個人的に非常に面白いと感じた偶然(必然?)がある。劇中に出てくる宗助とポニョとリサの3人が乗る車のナンバープレートが「333」。「3」はヒンドゥー数霊術で木星の数字で、「膨張・発散・解放」と言う意味があるのだ。それが3つ並んでいる。まさしく「解放」の三位一体。3人はそれぞれ「カタルシス(抑圧からの解放)」において役割を担っている。カタルシスを「発生させる者(=ポニョ)」「一旦受け入れて次の段階への態勢を整える者(リサ)」「地上での居場所を引き受けカタルシスを終わらせる者(宗介)」。
しかもポニョがフジモトによるDNAの抑圧を破り人間になりかけるシーンでは手足が3本指だった。もしや宮崎監督は、ヒンドゥー数霊術を知っておられるのだろうか? (数秘術の中では結構マニアックな占いなんだけどな・・・)
(もっとオカルトマニアックな解釈がお望みなら、アダム・カドモンの暗示が隠れてるとでも言っておこうか?)

※以下ネタバレ含む
作品の中で、フジモト自身もまた世界に行き詰まりを感じ、それを打開するために海の時代を逆行させて地上の支配者にする計画を作った。その準備として魔法の源でもある『命の水』をせっせと大事に貯蔵していた。しかし、ポニョが脱走中に全部飲んじゃった&海にばらまいちゃったということは、彼の計画では行き詰まりを打開できないのだろう。彼の「行き詰まり打開手段」は「解放」ではなく「抑圧」。カタルシスの逆だったから。結局、抑圧を抜け出したポニョが海の様子を変えて行き詰まりの打開をやってのけた(海の女神曰く『素敵な海ね』)。そしてポニョの始めたカタルシスの終了作業をしたのが、ポニョを真の姿から愛し身元引受人になった宗介。
己を抑圧し行き詰った世界の神経症の終焉と再生。それが二人の世界の救い方。
タロットなら20番の『審判』。

(より小規模で思春期の少女達に起こりうるカタルシスを描いた有名なアニメ作品が「少女革命ウテナ」かもしれない・・・)

予言とカタルシス願望 エコロジーと終末論 自分の中の暴れ馬 短所含めてありのままの自分を愛して True Colors ヘルメス伝説と進化の記憶 「少女革命ウテナ」とタロット

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2008.06.24

エコロジーと終末論

以下は個人の独断と偏見です。

終末論:
信仰の一種。神の意志などにより大災害や核戦争など大規模で破滅的な現象が発生し、世界が破壊される・終わるイメージや神によって目覚めが促され、「間違い」を正される・清められる、といったニュアンスが特徴。その後で世界が新たに更新される、再生すると唱えることも多い。キャッチフレーズ的に表現するなら、
「悔い改めよ。終わりの日は近い」。
文化宗教問わず各地に存在する元型的なイメージだといわれている。

人類の心に出現した終末論的イメージの起源はあまりに古くて定かじゃない。けれども、宗教の種類を問わず世界各地に見られるイメージであることから、それをイメージすることは一種の人間の習性なのかもしれない。時にそのイメージが心を安定させる効果があるために習性になったのかも。自分では打開できないと思える鬱屈や、打開の方法が分からないほど深いところにある鬱屈を「終末」という人知を超えた何かに打開・浄化してもらうイメージ。おそらく、カタルシス願望(鬱屈浄化の願望)と密接なつながりがあるのだろう。ダイナミックな終末的イメージを心の深い部分でのカタルシス(鬱屈浄化)の助けにしていたのかもしれない。終末願望はカタルシス願望の一種かも。
しかし科学の発達した21世紀の現在。古典的な終末論をカタルシス願望が投影できるほど信じるのはちょっと難しい。じゃあどうやって心の深い部分のカタルシス(お掃除)をしたらいいんだろう? 早く別の方法見つけなきゃ(先進国では心の病が増えているとか)。深い所のカタルシスには古典的終末論に代わるものが必要。
で、一部の人々はもっと科学的に「エコロジー」を終末論の投影対象にしているようだ。
「悔い改めよ。温暖化で地球が終わる日は近い」
妙にヒステリックだったり、どこか宗教的な雰囲気だったり、異なる意見や温度差を許せない体質だったり、エゴ的だったり、攻撃的だったり・・・原理主義的で過激なエコロジーは行き過ぎた終末論投影の結果かもしれない。
エコ終末論者の心には「地球環境の浄化=心の鬱屈浄化(カタルシス)」という図式の教義が発生し、その教義に異を唱える者は自分のカタルシスを邪魔する悪人であり「異端」になってしまう。宗教が根強い先進国ほどヒステリックな環境団体が強いみたいだ。
宗教的な雰囲気を煽る方法でエコビジネスを展開することも可能だろう。その結果、人々がエコ製品を持っていない罪悪感や強迫感や不安感から今持っている物をいっせいに「エコ製品」に買い換えた場合、ゴミが増えて環境が悪化するかもしれない。少なくとも心の環境は悪化する。エコのやり方を間違えると自然も心もストレスを感じそう。一部の人々の中にはエコロジーに加え、マヤの予言やアセンションなど、スピリチュアルな予言とダブルで終末論投影しているケースもありそうだ。多分、ジュセリーノの予言とエコロジーの複合型もあるだろう。
自然環境が今まで通り一定に保たれていないと、人間にとっては色々と都合が悪い(地球自体は困らないのかもしれないが)。それがエコの動機。「人間の都合」という点では、エコも人間のエゴなのかもしれない(『エコ自体が悪』と言ってるわけではない。念のため) 。
とまれエコをするなら、エコがエゴやヒスにすり替わらないように己の心にも目を向けておきたいと思う。 心は内なる自然界だから。

連想と投影の魔力
予言とカタルシス願望1
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デクレア・インデペンデンス
ハリケーンの目に表れた謎の数字2
文明と生命力の使い道
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2008.05.15

連想と投影の魔力

【連想】
ある事柄から、それと関連のある事柄を思い浮かべること。また、その想念。「雲を見て綿菓子を―する」

【投影】
1 心理学で、考え方や行動に心の内面が表現されること。自分の性質を他人の性質にしてしまうこと。投射。→同一視。
2 心理学で、ある観念の意味内容・発音・外形の類似などにつれて、他の観念が起きてくること。観念連合。
(共に大辞泉より一部抜粋)

ある物事がとても強く自分の内面の何かを連想させた場合、その物事を無意識に自分(の内面のもの)と激しく同一視(=投影)してしまうことがある。
それが外界の物事である限り、実際は「同一物」ではないのだけれど、通常はそれに気付きにくい(後で気付くことはある)。 「そう見えるんじゃなくて、まさしくそうなのだ!」ぐらいの勢い。
例えば、恋人が欲しい人の前に自分が個人的に抱いていた理想の(運命の)異性像を強く連想させる人が現れて、
「この人は定められた私の運命の人!」「前世で恋人同士だったのかも!」なんて心のどこかで思っちゃうのはこのパターンのようだ。
(そんな恋の相手がかかりつけの医師やお気に入りの占い師等だった場合は感情転移を疑った方がいい)
他にも例をあげると、自分の見たくない・受け入れたくない「ある部分」を強く連想させる相手が現れた時、外野が「そこまで嫌わなくても・・・」と思うくらい嫌ったり、自分が逃げ出すかその人を目の前から消してしまいたくなったりした場合もこのパターンが絡んでるかも。
「ある部分」が見たくない・受け入れたくないのは、自分がその「ある部分」を持っていることを理由に(口実に)絶望や自己否定に走るなどして自分を傷つけてしまう恐れがあるからのようだ。それを目の前の人間に投影(=同一視)したら・・・ホラー小説だと恐ろしい殺人事件になるかも。
(自分のコンプレックスを思い出させる相手を無意識に嫌う・いじめるのもこのパターンだと思う)
無意識に隠れた心の傷やわだかまった感情を外部の物事に投影し、その対象に対して被害妄想や疑心暗鬼、悲観や不安、時には嫌悪や怒りを抱いたり、投影対象にそれをぶつけたりすることもある。
無関係の相手に自分の内なる願望を投影して相手に「間違った要求」をしてしまうこともある。
どれも、自分が「連想・投影」をしていることに気付かないケースが多い。

連想・投影は良い働きをすることもある。悩んでいる後輩に同じ悩みを抱えていた過去の自分を連想・投影し、親身になって実体験に基づいたアドバイスをしたらそれが的確で本人の役に立ったり、お金持ちが貧しかった子供時代を思い出して貧困の本質的な所を捉えた効率的な慈善活動をしたら大きな結果を出すこともある。
アルフレッド・ノーベルは自分の儲けたお金に対して「ダイナマイトを兵器に応用して金儲けした罪悪感」を連想・投影し、その罪滅ぼしの願望が「ノーベル賞」設立に影響したと言われている。
連想から始まった投影は、良くも悪くも自分の感情に魔法をかける。魔力は強いエネルギーを秘めている。その力は諸刃の剣(タロットなら剣の王で表現できるかな)。
自分がそんな魔法にかかったかもしれないと思ったら、「あの時何を連想したっけ?」と思い出すのにトライすると、自分にかけられた魔法の呪文を知る手がかりになるかも。
もしも、そんな魔法の力に自分が振り回されることなく完璧に使いこなせる人がいたら・・・私はその人に仏陀のような人間離れした存在を連想・投影すると思う。


不安の正体を探ると・・・
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恋人は、誰よりもあなたのそばに?
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