2009.10.24

投影すれば、無機物だってスクリーンになる

最近、元素の擬人化「国」を擬人化したアニメ「駅」を擬人化したアニメ等「無機物の擬人化」が一部で人気なようだ。「元素」「国」「駅」といった無機物を擬人化したキャラクターに、他のアニメや漫画のキャラ同様、「萌え」や恋愛感情を抱く人もいるだろう。

昔から男性が車にアニマ(理想の女性像・自分の自我に統合したい己の女性的側面)を投影することがあるというのは有名な話。以前、車に欲情して全裸で逮捕されたイギリス人のニュースを本当に見たことがある。女性だって無機物にアニムス(アニマの男性版)を投影する時代が来てもおかしくは無い。 「結婚しなければ」という一種の縛り的風潮がなくなってきたことも一つの背景か?

恋というものが己の理想イメージや願望を相手に投影することで発生する現象であるならば、人類は「擬人化」という能力で投影対象の範囲を人間性の欠片もないような無機物の領域にまで伸ばせるくらい進化したのかもしれない。むしろ、自我や独立した意思が無い分、勝手に動いてイメージを壊されないから人間をスクリーンにするより楽である。

国を擬人化したアニメのキャラ解釈でファン同士が対立しネットの中で紛争が勃発したり、アニメキャラと正式な婚姻届が出せるように国に求めたり、キャラ設定が己の理想イメージに反したという理由で作者にリアルで復讐することさえ出来るほど人間の精神的恋愛スキルは斜め上に向かって進化し続けている。
以前、腐女子同士が「もしもエッフェル塔と東京タワーが愛し合ったらどんなカップルになるか」という話題で盛り上がる様子を知ったフランス人がおびえていたという話を聞いたこともある(笑)。 実在の駅が擬人化したキャラが生まれたことで、ヤンデレ系のファンが 「この腐れドアがあああ!私と六本木君の間を邪魔するかあああ!!」みたいな気分になることも起こりうるのだろうか? 「貴様は私の新宿サマをゲロで無残に汚した。死ね!」とか?

三次元に興味のない人、人でない相手に恋をすることで満たされるケースが増えてきたということは、人類はアニマやアニムスという「抑圧されていたもう一人の自分」と対話することをより一層望むようになったということかもしれない。恋物語でよくある「ずっとあなたを待っていた」はスクリーンに投影したアニマやアニムスに向けての言葉なのだろうか?
集合無意識レベルで内的対話を望む傾向・・・不安と神経症の時代(by宮崎駿)には、大きな意味を持っている現象かもしれない。

「人類は増えすぎた。環境は悪化の一途を辿り、地球は悲鳴をあげている。人類よ、ストライクゾーンの狭き檻から抜け出すがいい」
・・・そういう宗教が生まれたらどうしよう(笑)

「駅」がネタになるなら、アサリ(無脊椎動物)だってネタになるかもしれない。・・・ちょっとやってみよう。

アサリ「君のことが好きだから、・・・水管・・・こんなに長くなっちゃった・・・ あと少し・・・あと少しで君にとどくのに・・・! 死ぬ時は君に触れていたい。君のそばで逝けるなら、ボンゴレにされる運命も怖くない。とどけ・・・とどけ・・・出会う前から君が好きだったんだ・・・!」

Asari

・・・萌える?


連想と投影の魔力(恋愛編)
恋人は、誰よりもあなたのそばに?

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2009.05.25

大英帝国、戦いに魔術師と占星術師を雇う

ブログのネタが思い浮かばなかったので、オカルトな小話を・・・ 
BGM(右クリックで別窓)

オカルト大国イギリス。占星術が盛んで、妖精を信じる(見る)人が多く、幽霊の噂がある物件の方が高く売れ、国防省がUFO情報を国民に開示し、超常現象のニュースが紙面に頻出し、かの有名な物理学者アイザック・ニュートンも錬金術にはまっていた。
そんなかの国のオカルトっぷりは、政治や戦争とオカルトが結びつくほど。曰くありげな噂が付きまとうあの「フリーメイソン」もイギリス発祥だ。

以下はずいぶん前のニュース記事。
共同通信より

・・・第2次大戦中に英情報機関が登用した占星術師が、昭和天皇ら敵国指導者の運勢を独自に占い、英陸軍省に定期的に報告していたことが、英公文書館が4日公開した情報局保安部(MI5)の機密文書で明らかになった。  英政府が当時、占星術師を雇っていたことは知られている。占いの結果が政府内でどう扱われたかは不明だが、文書によると、これらの「予言」を真剣にとらえていた高官も一部にはいたという。  この占星術師はハンガリー人のルイス・ドウォール氏(1903~61年)。35年にドイツから英国に移り、戦時中は対外情報機関の特殊作戦委員会(SOE)で大尉の肩書を得た。
42年に作成した文書でドウォール氏は、これまでに提出した自分の占いの結果と実際の戦況を比較。同年6月5日から7日にかけて行われ、日本が敗北したミッドウェー海戦について「6月は(昭和天皇)ヒロヒトにとって悪い時期だ。特に8日前後」と予言したと実績を誇示した上で、翌年の昭和天皇やナチス・ドイツのヒトラーらの運勢を月ごとに細かく占っている。
 MI5は外国人であるドウォール氏を警戒し、活動内容や接触先などについて戦後の52年まで調査を続けていた。(共同)

ちなみにナチスはというと、スイスの占星術師カール・エルンスト・クラフトを顧問占い師にした(実はナチス、オカルトを自分達に都合よく独占するため、国内の都合悪い占星術師達を迫害。結局クラフトもドイツに不利な鑑定結果を出して収容行きに。組織自体が占い依存症だったようだ)。
イギリスはそれに対抗し、「敵が星の様子を見て作戦を決めるのなら、我々も星を見れば敵の作戦を予測できるじゃないか」と件のハンガリー人占星術師ドウォールが雇われたというわけ(星はどこでも見えるんだから筒抜けだ。ナチス側は何で誰もそれに気付かなかったんだろう?)。
彼の一番の手柄は「占いによる作戦予測」よりも、ドイツで有名な星占いカレンダーの『偽物(不吉なことを一杯書いておく)』をドイツにばら撒いて、ドイツ側の士気を大いにくじいたことだとも言われている。
イギリスは、「オカルト」と「政治」が関わることが他にもあった。イギリスに拠点を移した「神智学協会」というオカルト思想グループの会員だったアニー・ベサントが東洋趣味的な神智学の発想に突き動かされて後のインド独立運動に大きな影響を与えた「自治権運動」を展開している(インド独立の母の産婆助手、と評す人もいる。ガンジーも彼女には好感を持っていたとか)。同じような感じで神智学協会会員がスリランカの独立にも影響している。Vsign
また、かの有名な(悪名高いとも言う)西洋神秘主義者にして儀式魔術師のアレイスター・クロウリーもイギリス軍情報部に協力。初めてチャーチルに「Vサイン」という呪術的な所作をさせたり、「ヒトラー上陸を防ぐ儀式魔術」を行ったりしていた(上層部にクロウリーを使う提案をしたのは007の作者、イアン・フレミング)。その効果があったかどうかは定かじゃないが、何故かナチスはイギリス本土の上陸作戦には乗り気にならなかったらしい。それを「ナポレオンの頃と同じことが起きただけ」と言うオカルト系の人もいる。
以上、オカルトを信じない人が読むと抱腹絶倒できる実話。

イギリスのオカルト好きという国民性は現代でも健在。世界的な不景気の今、かの国の占星術師やオカルト結社が景気回復を願ってこっそり動いてみている「かも」しれない。

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2009.04.05

ミサイル誤報と集合無意識の陰謀(?)

「北ミサイル発射」2度訂正
まさかの「北ミサイル発射」の誤報2連発。何者かの陰謀か、はたまた出しそびれたエイプリルフールネタか。まさしく「みぞうゆうの事態」。せっかくだからオカルトチックな空想で遊んでみよう。外国からミサイルが飛んでくるかもしれない事態を占い師のヨタ話に出来るので、日本は平和な国だ。

まず、去年の金融危機以前から日本はここ2年ほど集合無意識規模でカタルシス願望(終末願望もその一種)が高まってるみたいだ。ジュセリーノとか言う予言者の予言が注目され、メディアが騒ぎ、その結果去年9月「愛知・岡崎に巨大地震が来る」という噂がかなり大きく流れた。その噂が流れ始めた最初の頃、予報システムの不具合により、愛知で「一分半後に大地震(M12.7!)の予報」や「弾道ミサイル攻撃予報」が本当に流れ、一時は交通機関まで止まった。「誤報」に振り回されてる最中は、ジュセリーノの予言の噂を連想、投影し「予言当たった!」と思ってしまった人も結構いたのではないだろうか。
あの噂が流れた頃の物凄い誤報。シンクロニシティー(意味のある偶然の一致)が発生した、とオカルト的には考えてみる。
今回もあの頃の雰囲気とどこか似ている。カタルシス願望覚めやらぬこのご時勢、集合無意識がそんな状態の中で北の思わせぶりな「射つ射つ詐欺」。指定日当日、偶然レーダーに捕らえられた正体不明の「何か」。もしわざとじゃないなら、これもシンクロニシティーかもしれない。偶然が重なって謎の物体へとっさに「ミサイル」を連想、投影し、「ミサイル発射した!」と思ってしまったんじゃないかと。
心理学者ユングによると、シンクロニシティーの源は集合無意識という個人を超えた人類共通の無意識層にあるという。
集合無意識も粋・・・人騒がせなことを。


連想と投影の魔力
ジュセリーノの名古屋・岡崎地震予言と「ええじゃないか」

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2009.02.02

浅間山噴火と龍脈

※あくまで占い師個人の視点です。 (リンクは右クリックで別窓)

浅間山が今朝夜明け前に噴火した。朝起きると灰が私の家(都内)まで降ってきて、自転車の座席がうっすら白かった。念のため洗濯物は軒下だけに干した。(写真付き記事)
浅間山は、風水で言うところの「龍脈」が通っている場所だ。風水の「龍脈」とは、いわゆる大地のエネルギー「気」が強く流れる場所のことを表す。最近は日本でも開運目的で風水が流行っている。「気」・・・肉眼では見えないが、肩こりを治すなどの治療効果があったり(私の地元にも気功施療院がある)、手を触れずに人を動かしたり、運気を良くしたり・・・いろんな使い方がある。龍脈が多く集まる地であり、風水の盛んな香港では、ディズニーランドの入り口を風水上の理由で予定より12度ずらしたほどだ。
また、風水によると、大地に流れる龍脈の様子を見ることで、その国の運勢を見ることが出来るのだという。地震や噴火は龍脈の乱れによって起きるとされ、「龍脈の乱れは運気の乱れ」とばかりに大昔は地震や噴火があると為政者達がおまじないをしていた。日本でも奈良時代辺りに風水の元型のような思想が伝わっていたという(遣唐使が大陸から持ち帰ったのだろう)。
去年3月、チベット動乱発生の丁度一週間後の同じ曜日にチベット自治区とウイグル自治区の境界にある山脈で大きな地震があった。震源地は「崑崙龍脈」と呼ばれる地域にあり、ここから大きな龍脈が発生し、途中で3本枝分かれして中国大陸を覆っている。理論上、崑崙山脈の地震は中国の龍脈の源で発生したことになる。龍脈の変化がその国の運勢に影響するのであれば、それが中国の場合どのように影響したかはご存知の通り。
とはいっても、龍脈の乱れで国の運勢が乱れたとしたら、それはその国に長い間隠されていた様々な問題(改善すべき点)が龍脈の変化をきっかけに表面化したということでしかないのだろう。問題点が明るみに出てハッキリした分、分析も対処もしやすい(ピンチはチャンス)。逆に、大きな問題を抱え込んだまま放置していなければその国の龍脈上で何があろうが運勢には影響が無い。大事なのは「日ごろの行い」であることは、人間も国も同じではないかと、占い師をやっていて感じる。
日本にも龍脈があり、浅間山より有名なものは富士山から東京(皇居)に向かう龍脈。東照宮のある日光も有名だ。徳川家康も風水通じており、幕府を江戸に置いたのは伊達じゃない。江戸の周りには風水的理論に基づいた神社仏閣を建てている。龍脈が乱れても政治の中枢である江戸が守られるようにするためだ。
日本の龍脈の上にある浅間山の噴火。日本は「日ごろの行い」から見ると龍脈が少々乱れた程度では別段運勢に影響が出・・・ないんじゃないかな。多分出ないと思うよ。だって世相を見れば既に運気停滞気味だし。

香港じゃディズニーランドも風水

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2009.01.23

サウジアラビアにUFO墜落?

サウジアラビアにUFO墜落 数千人が目撃
ちょっと前の出来事。場所はサウジアラビアの首都リヤドの東に位置するアル・カシムという場所。目撃者によると、物体は流星などとは似ておらず、青と緑をしていてレーザーらしき光が見え、爆音を出して地面に激突し、振動を感じたという。地元の気象局からの発表はない。
・・・こういう奇妙なニュースが子供の頃から大好きだ。正体不明の飛行物体は例え実際が隕石や飛行機であっても、未確認であるうちはUFO(未確認飛行物体)だ。そこで様々な空想の余地が生まれる。宇宙人の乗り物だ、いやタイムマシンだ、いいや「悪の組織」の陰謀だ・・・などなど(笑)。未確認。なんと夢膨らむ魅力的な響き。わくわくしちゃう(変態?)。
しかし現地の目撃者達はわくわくするどころか怖いと感じた方が多かったようだ。お祈りをする人、「神がガザで今起きていることへのサインを発したのだ」と思う人・・・
未確認飛行物体も興味深いが、それを見た人のリアクションも非常に興味深いと思う今日この頃。


ハリケーンウィルマの目に現れた謎の数字


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2008.08.21

『崖の上のポニョ』とカタルシス

http://aya-shumi.cocolog-nifty.com/heya/2008/12/post-0a93.html『崖の上のポニョ』を見た。ポニョの樹木希林とトトロやメイを掛け合わせた魚顔がめちゃくちゃ可愛いと思うのは私だけだろうか? そして宗介は本当に「よく出来た子」だ。私なんか足元にも及ばない。絵は相変わらず美しい。
ストーリーやキャラクターについての感想は他のブログでいくらでも書かれているだろうから、メインは心理学的、象徴的な視点による『崖の上のポニョ』の解釈にしようと思う。(読者の脱落率90%)
まず、この作品のテーマは他のいくつかの宮崎作品同様、「カタルシス」だろう。宮崎監督曰く、この作品で「初源なるものをためらいなく描いて、不安と神経症の時代に立ち向かいたい」という意図があったそうだ。
ということだから、遠慮なく心理学的なシンボルを用いてこの作品を説明してみる。まず「水」は人の精神発達・精神活動のスタート地点である無意識の象徴。そしてそこにとけ込んだものの象徴でもある。そして水が最終的に集まる場所、「海」は集合無意識の象徴。そして「魚」は無意識の領域に住み、普段は水の外へ出ない(意識の領域へは出てこない)存在。しかし確かにそこに存在し、稀に跳ね上って一瞬水面の上(=地上)に飛び出す。そしてある特別な条件がそろった時、水の外の世界から抜け出し、一瞬ではなくずっと地上世界(顕在意識の領域)の住人になる。
無意識にいるはずのものが意識の領域に浮上し、そこにとどまり続ける。それはどんな条件の時に起きるかと言うと、
「意識化すべきものが何らかの理由で無意識領域に強く抑圧されていて、そのために心が緊張し行き詰っている時」。
「解放・浄化すべき鬱屈が何らかの理由で無意識領域に閉じ込められ抑圧され、鬱屈の限界が来ている時」。
その条件下におかれた時、心は抑圧された部分を本能的に「外へ出したい」とそれこそ心から切に思うようになる。そして「抑圧する側」との間に葛藤(戦い)がはじまる。本能からの・心からの思いは強いエネルギーを秘めているので、抑圧側との戦いはとても激しくなる。そして大概は抑圧側の隙を衝いて勝利する(ある宗教はそれを『ハルマゲドン』と呼んだかも)。そのエネルギーは抑圧や障害を乗り越える力になる。
①と②はそのまんま人が神経症に陥る時の心理的環境といえる。「自分の何かを必要以上に押し殺している」時、神経症は起こりやすいそうだ。そうなったら確かに不安だろう。けれどもそれは、「行き詰まりの打開」「鬱屈の浄化」「抑圧からの解放」(=カタルシス)のチャンスでもあるわけだ。不安の正体を知れば、怖くない。
重要なことは、「抑圧してきた意識化すべきものの真相と向き合い、拒絶せず受け入れること」。すると神経症は回復に向かう。その過程で、時には無意識にとけこんだものを出す機能のある「涙」があふれ出すかもしれない(あれも海水みたいなものだ)。また、「意識化すべきもの」は時にアニマ/アニムス(理想の異性像)の姿で夢の中に現れる(宮崎監督のアニマは少女の姿をしているのだろう)。

さて、以上のことを『崖の上のポニョ』に照応させると、「抑圧する側」はポニョを元の海へと一旦は連れ帰ったフジモト。無意識領域、それも集合レベルの無意識領域からの脱出を心から望んでいる「意識化すべきもの」はポニョだ。ポニョは抑圧の隙を衝いて浮上を決意。するとポニョを乗せた無意識(=水)が地上世界(顕在意識領域)に向かっていっきに膨れ上がり、溢れ出す。地上世界(街)は溢れ出した水で覆われる。
そして地上世界へ浮上してきたポニョという「意識化すべきもの」に気づき、その真の姿を知り受け入れた地上世界の住人、宗介・・・例え己の醜いとされる部分であっても、押し殺さずに受け入れ認めることは、一種の愛。
この「抑圧の隙を衝いて無意識領域から地上世界へ浮上し移住すること」は主体となるポニョ一人の力で行われたものではない。まず宗介の愛、同じ海に住む無数の妹達の協力、ポニョの母親である「海の女神」の説得と後押し、そしてとうとう納得した抑圧側のフジモトが「作戦」を実行したからこそ成功したものでもある。しかも、恐らく集合無意識の象徴である「海の女神」は最初から何が起きるか予想できていたのだろう。ポニョが地上の迷惑を考えず津波と共に猪突猛進に宗介の元を目指したのは、それがポニョのみならず集合無意識全体の意志、すなわち不安と神経症を抱えた時代の意志だったから。その証拠に、誰も津波を嘆かず、むしろすんなり状況を受け入れている。

この作品は、「不安と神経症の時代に立ち向う」ための「集合無意識レベルからのカタルシス」を描いているようだ。
無意識世界を象徴的に描いたものだけに、ストーリーは睡眠時の「夢」のように論理的整合性が怪しい。だから観客の意識を通り過ぎて無意識にダイレクトに伝わるかも。「地味で分かりにくい作品なのになぜか心に残る」と言われているのはそのせいだろうか。もしそうなら、宮崎監督のやったことはある種の呪術だ。
抑圧は、単なる個人の無意識領域にとどまらず、集合無意識にある。多くの人が意識化すべきものを無意識領域に抑圧していることで、個人の問題を越えた集合無意識レベルでの抑圧になっているのかも知れない。
彼の呪術が本格的に成功すれば、カタルシスは成し遂げられこの時代の神経症と不安は癒される。
海(=生命の源)に例えられる集合無意識は、時代の特徴や時代の潮流(意識の世界における集団レベルでの生命活動)を作る源と言われている。この「不安と神経症の時代」、人々が抑圧の元から解放し意識化すべきものとは一体なんだろう? 向き合う準備は、出来ているか?

ナンバープレート「333」の意味?
実は、占い師の目から見て個人的に非常に面白いと感じた偶然(必然?)がある。劇中に出てくる宗助とポニョとリサの3人が乗る車のナンバープレートが「333」。「3」はヒンドゥー数霊術で木星の数字で、「膨張・発散・解放」と言う意味があるのだ。それが3つ並んでいる。まさしく「解放」の三位一体。3人はそれぞれ「カタルシス(抑圧からの解放)」において役割を担っている。カタルシスを「発生させる者(=ポニョ)」「一旦受け入れて次の段階への態勢を整える者(リサ)」「地上での居場所を引き受けカタルシスを終わらせる者(宗介)」。
しかもポニョがフジモトによるDNAの抑圧を破り人間になりかけるシーンでは手足が3本指だった。もしや宮崎監督は、ヒンドゥー数霊術を知っておられるのだろうか? (数秘術の中では結構マニアックな占いなんだけどな・・・)
(もっとオカルトマニアックな解釈がお望みなら、アダム・カドモンの暗示が隠れてるとでも言っておこうか?)

※以下ネタバレ含む
作品の中で、フジモト自身もまた世界に行き詰まりを感じ、それを打開するために海の時代を逆行させて地上の支配者にする計画を作った。その準備として魔法の源でもある『命の水』をせっせと大事に貯蔵していた。しかし、ポニョが脱走中に全部飲んじゃった&海にばらまいちゃったということは、彼の計画では行き詰まりを打開できないのだろう。彼の「行き詰まり打開手段」は「解放」ではなく「抑圧」。カタルシスの逆だったから。結局、抑圧を抜け出したポニョが海の様子を変えて行き詰まりの打開をやってのけた(海の女神曰く『素敵な海ね』)。そしてポニョの始めたカタルシスの終了作業をしたのが、ポニョを真の姿から愛し身元引受人になった宗介。
己を抑圧し行き詰った世界の神経症の終焉と再生。それが二人の世界の救い方。
タロットなら20番の『審判』。

(より小規模で思春期の少女達に起こりうるカタルシスを描いた有名なアニメ作品が「少女革命ウテナ」かもしれない・・・)

予言とカタルシス願望 エコロジーと終末論 自分の中の暴れ馬 短所含めてありのままの自分を愛して True Colors ヘルメス伝説と進化の記憶 「少女革命ウテナ」とタロット

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2008.06.24

エコロジーと終末論

以下は個人の独断と偏見です。

終末論:
信仰の一種。神の意志などにより大災害や核戦争など大規模で破滅的な現象が発生し、世界が破壊される・終わるイメージや神によって目覚めが促され、「間違い」を正される・清められる、といったニュアンスが特徴。その後で世界が新たに更新される、再生すると唱えることも多い。キャッチフレーズ的に表現するなら、
「悔い改めよ。終わりの日は近い」。
文化宗教問わず各地に存在する元型的なイメージだといわれている。

人類の心に出現した終末論的イメージの起源はあまりに古くて定かじゃない。けれども、宗教の種類を問わず世界各地に見られるイメージであることから、それをイメージすることは一種の人間の習性なのかもしれない。時にそのイメージが心を安定させる効果があるために習性になったのかも。自分では打開できないと思える鬱屈や、打開の方法が分からないほど深いところにある鬱屈を「終末」という人知を超えた何かに打開・浄化してもらうイメージ。おそらく、カタルシス願望(鬱屈浄化の願望)と密接なつながりがあるのだろう。ダイナミックな終末的イメージを心の深い部分でのカタルシス(鬱屈浄化)の助けにしていたのかもしれない。終末願望はカタルシス願望の一種かも。
しかし科学の発達した21世紀の現在。古典的な終末論をカタルシス願望が投影できるほど信じるのはちょっと難しい。じゃあどうやって心の深い部分のカタルシス(お掃除)をしたらいいんだろう? 早く別の方法見つけなきゃ(先進国では心の病が増えているとか)。深い所のカタルシスには古典的終末論に代わるものが必要。
で、一部の人々はもっと科学的に「エコロジー」を終末論の投影対象にしているようだ。
「悔い改めよ。温暖化で地球が終わる日は近い」
妙にヒステリックだったり、どこか宗教的な雰囲気だったり、異なる意見や温度差を許せない体質だったり、エゴ的だったり、攻撃的だったり・・・原理主義的で過激なエコロジーは行き過ぎた終末論投影の結果かもしれない。
エコ終末論者の心には「地球環境の浄化=心の鬱屈浄化(カタルシス)」という図式の教義が発生し、その教義に異を唱える者は自分のカタルシスを邪魔する悪人であり「異端」になってしまう。宗教が根強い先進国ほどヒステリックな環境団体が強いみたいだ。
宗教的な雰囲気を煽る方法でエコビジネスを展開することも可能だろう。その結果、人々がエコ製品を持っていない罪悪感や強迫感や不安感から今持っている物をいっせいに「エコ製品」に買い換えた場合、ゴミが増えて環境が悪化するかもしれない。少なくとも心の環境は悪化する。エコのやり方を間違えると自然も心もストレスを感じそう。一部の人々の中にはエコロジーに加え、マヤの予言やアセンションなど、スピリチュアルな予言とダブルで終末論投影しているケースもありそうだ。多分、ジュセリーノの予言とエコロジーの複合型もあるだろう。
自然環境が今まで通り一定に保たれていないと、人間にとっては色々と都合が悪い(地球自体は困らないのかもしれないが)。それがエコの動機。「人間の都合」という点では、エコも人間のエゴなのかもしれない(『エコ自体が悪』と言ってるわけではない。念のため) 。
とまれエコをするなら、エコがエゴやヒスにすり替わらないように己の心にも目を向けておきたいと思う。 心は内なる自然界だから。

連想と投影の魔力
予言とカタルシス願望1
予言とカタルシス願望2
植物は、美しい
デクレア・インデペンデンス
ハリケーンの目に表れた謎の数字2
文明と生命力の使い道
ニュース記事
オジーの息子、「ライヴ・アース」で“非エコ家族”を暴露!

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2008.05.15

連想と投影の魔力

【連想】
ある事柄から、それと関連のある事柄を思い浮かべること。また、その想念。「雲を見て綿菓子を―する」

【投影】
1 心理学で、考え方や行動に心の内面が表現されること。自分の性質を他人の性質にしてしまうこと。投射。→同一視。
2 心理学で、ある観念の意味内容・発音・外形の類似などにつれて、他の観念が起きてくること。観念連合。
(共に大辞泉より一部抜粋)

ある物事がとても強く自分の内面の何かを連想させた場合、その物事を無意識に自分(の内面のもの)と激しく同一視(=投影)してしまうことがある。
それが外界の物事である限り、実際は「同一物」ではないのだけれど、通常はそれに気付きにくい(後で気付くことはある)。 「そう見えるんじゃなくて、まさしくそうなのだ!」ぐらいの勢い。
例えば、恋人が欲しい人の前に自分が個人的に抱いていた理想の(運命の)異性像を強く連想させる人が現れて、
「この人は定められた私の運命の人!」「前世で恋人同士だったのかも!」なんて心のどこかで思っちゃうのはこのパターンのようだ。
(そんな恋の相手がかかりつけの医師やお気に入りの占い師等だった場合は感情転移を疑った方がいい)
他にも例をあげると、自分の見たくない・受け入れたくない「ある部分」を強く連想させる相手が現れた時、外野が「そこまで嫌わなくても・・・」と思うくらい嫌ったり、自分が逃げ出すかその人を目の前から消してしまいたくなったりした場合もこのパターンが絡んでるかも。
「ある部分」が見たくない・受け入れたくないのは、自分がその「ある部分」を持っていることを理由に(口実に)絶望や自己否定に走るなどして自分を傷つけてしまう恐れがあるからのようだ。それを目の前の人間に投影(=同一視)したら・・・ホラー小説だと恐ろしい殺人事件になるかも。
(自分のコンプレックスを思い出させる相手を無意識に嫌う・いじめるのもこのパターンだと思う)
無意識に隠れた心の傷やわだかまった感情を外部の物事に投影し、その対象に対して被害妄想や疑心暗鬼、悲観や不安、時には嫌悪や怒りを抱いたり、投影対象にそれをぶつけたりすることもある。
無関係の相手に自分の内なる願望を投影して相手に「間違った要求」をしてしまうこともある。
どれも、自分が「連想・投影」をしていることに気付かないケースが多い。

連想・投影は良い働きをすることもある。悩んでいる後輩に同じ悩みを抱えていた過去の自分を連想・投影し、親身になって実体験に基づいたアドバイスをしたらそれが的確で本人の役に立ったり、お金持ちが貧しかった子供時代を思い出して貧困の本質的な所を捉えた効率的な慈善活動をしたら大きな結果を出すこともある。
アルフレッド・ノーベルは自分の儲けたお金に対して「ダイナマイトを兵器に応用して金儲けした罪悪感」を連想・投影し、その罪滅ぼしの願望が「ノーベル賞」設立に影響したと言われている。
連想から始まった投影は、良くも悪くも自分の感情に魔法をかける。魔力は強いエネルギーを秘めている。その力は諸刃の剣(タロットなら剣の王で表現できるかな)。
自分がそんな魔法にかかったかもしれないと思ったら、「あの時何を連想したっけ?」と思い出すのにトライすると、自分にかけられた魔法の呪文を知る手がかりになるかも。
もしも、そんな魔法の力に自分が振り回されることなく完璧に使いこなせる人がいたら・・・私はその人に仏陀のような人間離れした存在を連想・投影すると思う。


不安の正体を探ると・・・
デクレア・インデペンデンス
恋人は、誰よりもあなたのそばに?
連想と投影の魔力(恋愛編)

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2008.05.01

デクレア・インデペンデンス

※以下は占い師の個人的な独断と偏見と妄想です。

チベット問題がロック魂を呼び覚ます?
ビョークという世界的人気歌手が3月2日の上海公演で「独立を宣言せよ」を意味する「Declare Independence」という曲を歌った時に「チベット、チベット」と叫んだとして、あの国の政府がおかんむりになった。その12日後の3月14日。中国チベット自治区ラサで、政府の抑圧への抗議行動に対する当局の武力鎮圧をきっかけに暴動が発生。
本人によると、「デクレア・インデペンデンス(独立を宣言しよう)」は当初、個人の精神的自立を念頭において作った曲だったという。
以下、bjork.comより抜粋・意訳したものを某掲示板で発見したので転載。

I have been asked by many for a statement after dedicating my song "declare independence" to both kosovo and tibet ( amongst others ) on different occasions.
何度か私の歌「declare independence」をコソヴォとチベット(他にもあるけど)に捧げた後で、声明についてたくさん尋ねられています。

I would like to put importance on that i am not a politician, i am first and last a musician and as such i feel my duty to try to express the whole range of human emotions.
まず、言っておきたいのは私は政治家じゃないということ。最初から最後まで音楽家であって、人の感情の全体を表現していこうってところに自分の責務を感じています。

the urge for declaring independence is just one of them but an important one that we all feel at some times in our lives.
自立を宣言するっていう衝動はそういったもののひとつでしかなく、だけど私たち誰もがその人生のどこかで感じる大切なものです。

this song was written more with the personal in mind but the fact that it has translated to its broadest meaning, the struggle of a suppressed nation, gives me much pleasure .
この歌を書いた時は個人の自立についてをより念頭を置いたけど、抑圧されている国の争いっていうもっとずっと広い意味に移ったっていう事実はとても嬉しいことです。

I would like to wish all individuals and nations good luck in their battle for independence.
あらゆる個人と国の、自立のための戦いに幸運が訪れることを願いたいと思います。

最近、比較的若い層にチベット問題に対して関心を持ち熱く感情移入する人が増えたらしい。 極端になると、チベットの自由や個性が抑圧される様を見聞きするだけで、自分が個性や人格を何者かに抑圧されているかのような憎しみや怒りやストレスを感じる人もいるらしい。
人権問題ならダルフールやミャンマーやイラクも有名なのに、なぜ、「チベット」が選ばれたのだろう? 
その理由を電波に想像。若い人達の多くが、色んなレベルで「個としての精神的自立」というテーマを一度は通る(それは若者に限らず一生のテーマ?)。例えば、「コンプレックスを乗り越える」とか「自分に自信を持つ(健康的な自尊心を育てる)」とか、「個人的な生きがい(自分の生き方)を見つける」とか「個性を確立・発揮する」とか。そんな「内なるindependence(自立)」を妨げる様々な抑圧的要素から自由になるために戦い(抗い)、自己表現する様子は「ロック」という若者文化を生んだ。
その精神的テーマと3月14日のラサを皮切りに起きたチベットの「抑圧から自由になるための抵抗」とがシンクロし、若い人達は、自らの個人的なindependenceをチベットのindependenceに連想・投影した結果がチベットへの急激な感情移入につながったのじゃあるまいか。あの現象は無意識の「ロック」なのかも(別にそれが悪いとは言わない。度を越さなければ・・・)。 ビョークがラサで暴動の起きる12日前に上海で精神的な自立を歌い、衝動的に「チベットチベット」と言ったのは、何か暗示めいている。シンクロニシティーだと思う。
ビョーク自身、子供時代は顔立ちをバカにされ、「JAP」といじめられていたそうだ(個性を侮辱されたことに対して精神的に戦ったり立ち直るには、精神的自立の要素も不可欠)。「民主主義」という概念には「自分も他人も尊重する」という前提があり、この前提は精神的自立の要素とも 一致する。
恐らくチベット問題に関しては、「精神的自立」ではなくとも自分の独自性を模索する時期の人には年代を問わず比較的共鳴・共感しやすそうだ。コンプレックスを抱えているなどで自己評価や個性が抑圧されていたり、何らかの理由で束縛を受ける(または自分で自分を縛る)などして精神的充実感(=個性を養う要素)が妨げられ密かなストレスを抱えている人はチベットの現状に己の現状を強烈に投影し、日常を忘れてのめりこむ危険さえある。聖火ランナーを「中国に協力している=チベット弾圧支持者」と短絡的に見なして物を投げつけたり、自分よりチベット問題に関心の低い人(または中国人)に自分の感情をぶつけたくなったら要注意。少し頭を冷やした方がいい。「ロック」にハマり過ぎかも。

奇妙な偶然の一致
ビョーク事件の起きた日付3月2日は、インドでガンジーがイギリスの抑圧に対する「非暴力の抵抗」を始めた日でもある。やがてインドは独立する。
ビョーク事件以外にも不思議なシンクロニシティーはまだあった。ラサ暴動から丁度一週間後(同じ曜日)の3月21日、チベット自治区と新疆ウイグル自治区の境目でM7.1の地震が起きた(震源は風水で中国大陸の龍脈の源とされる崑崙山脈)。ウイグル自治区ホータン県では約4万4000人が被災。その2日後の23日と24日の2日間、ホータン県で当局の抑圧に対する1000人規模の抗議デモが2回発生。実はウイグルにもチベット同様人権問題と独立運動がある。 その境界域での大きい地震・・・
心理的な解釈だと、「地震」は現状に対する不満や現状を変えたい(壊したい)気持ちの象徴だったり「自信がゆらぐ」という象徴だったりする。抗議する側とされる側。どの象徴がどちらの立場に当てはまるかは言うまでもない。

同じ国の2ヶ所で抑圧されたものが吹き出した。どちらも「インデペンデンス」がテーマ。3月14日のチベット騒乱と3月23日から発生したホータンの抗議デモ。日付の合計はどちらも「8」。ある数字占いだと8は「抑圧」を意味する。2つとも、当局の抑圧からindependenceしたいがために当事者が起こした事件。時同じくして個人的の心理的抑圧から心をindependenceさせる戦いを望んでいた若者達による当事者への感情移入。政治的抑圧は心理的抑圧を投影する格好の素材・・・シンクロニティー(意味のある偶然の一致)という現象を提唱した電波系(といわれている)心理学者C・Gユング曰く、「人の心は集合無意識でつながっている」

コアなロックファンの間では、「カタチだけロックを真似しようがそこにロック魂がなけりゃそいつはロックじゃない」と言われている。
「精神的自立」は「形式的に自立したフリをすること」よりも本質的な意味でずっと重要だとされる。
チベットにとって本質的に「independence」が実現することは、independence後が例え形式上は「ある国の自治区」のままでも現在の「名ばかり自治区(自治区のフリ)」より本質的な意味でずっと重要だとされる。

あの国の主席が来した5月6日にあわせて東京で行われたフリーチベットイベントにおいて、司会のモーリー・ロバートソンはこう言った。「フリー・チベット! フリー・あなたとわたし!」

参考: ビョーク、チベット発言について語る
(電波な目で見ると、写真のビョークがどっかのシャーマンに見えてしょうがない)


True Colors
連想と投影の魔力
予言とカタルシス願望
聖火リレー騒動もカタルシス願望?
祈り
容姿・劣等感・個性

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2008.02.21

未来予測と平行世界の検索

夜眠っている時、今の自分とは違う世界の自分を客観的に見ている夢を見たことはないだろうか? 私は最近見た。夢の中の私は「モダンなサブカルチャーが好きな女子高生」という設定で、上には物静かで無口な兄がいた。ただそれだけの夢なのだが、目覚めた後寝ぼけた文系の頭で「パラレルワールド」について空想をした。以下はその電波な覚え書き。

もしもパラレルワールドというものがあるなら、自分が属する世界の未来を予測する方法としてパラレルワールドの中から「現時点で自分が属する世界に起きそうな未来を検索する」というやり方も理論上は可能かもしれない。「未来に起きる可能性が高い世界」は「自分の世界と未来で繋がる可能性が高い」という設定。ヤフーやグーグルの検索のように、まず自分のいる世界の任意の時期(=任意の時空)など諸々の検索条件をキーワードのように指定し、それを元に「一番起こりそうな事」を「検索」。上位にヒットしたものほど自分の世界で「起きる可能性が高い」とする。占い師の表現で言えば「運勢の検索」とも言えるだろうか。で、仮に検索にヒットしても自分の世界では実現しなかった事は、パラレルワールドの別の世界とくっついて別世界で起きているのかもしれない。その結果、「別の未来」が増えてゆく・・・世界は無数に分岐する。

ただし、「未来予測」はあくまで「その時点での予測」なので、実際の未来と結果が異なったことなどいくらでもあるだろう。なぜなら、未来や運勢はその持ち主が自ら作っているから。だからこそ、持ち主の選択や判断や行動次第で無数に分岐する「パラレルワールド」という概念が生まれたのだろう。例えば「世界の未来(運勢)」なら世界の選択や判断や行動次第で今後の可能性はいくらでも変わってくる。「起こりそうな事」を予測することで「より良い未来を作るために」方針転換すれば、自ずと結果は変化する。これは世界の未来(運勢)でも個人の未来(運勢)でも一緒(世界をネットに例えるなら、予測はサイトを作る時プレビューを見るようなもの?)。
ある人やある世界の運勢に、もしも任意の時点での予測(検索)結果とは異なる未来が訪れたら。それは、その人やその世界が自ら今までパラレルワールドには存在していなかった新しい未来を作ったということ。一個人にさえ、一個人の規模で「世界(時空)を作る」能力があるということなのかもしれない(自分の現実は自分で作ってるんだから当たり前か)。もしも「未来予測の結果が絶対だ」と決め付けができるとしたら、それは「新しい未来は作らない」「運勢を新規には切り開かない」という前提。確かに全く何もしなければ、何も変わらないだろう。同様に、実際は何もせずただ頭の中の空想だけで「もしも~なら」と仮定してもやはり予測(検索)結果に変化は無い。実際に未来を予測(検索)する時の条件は変わっていないから。逆に、何かをすればその時点で実際に前提条件が変わるので、予測・検索の結果も変わるだろう。そして大切なのは、予測・検索の結果を良くすることではなく、実際に良質の未来を創造するということ。出来る限り良質のパラレルワールドを作り、未来へつなげること。それを「開運」と呼んでもいい。

未来の予測・検索の具体的な方法はというと、SFの世界なら「タイムトラベラー」や「すごいコンピューター」がやってくれるかもしれない。学問の世界なら「データの蓄積と分析」、オカルトの世界なら「予知能力」「占い」「見えない存在からのお告げ」だろうか。以前、易やタロットなど偶然性を利用する占いは、占う相手の無意識や相手が属する集合無意識を検索すると書いたことがある(右クリックで別窓)。それでいくと世界を占うときには、パラレルワールドの中にある「未来の集まり」を検索しているのかもしれない。もしその中に自分たちの未来につなげるべきめぼしいものがなければ、新しく作ってつなげることが出来る。まるでアニメのセル画か映像フィルムのコマのように。

私たちに主体性や意欲がある限り、未来は可能性にかき混ぜられて混沌としている。


攻殻機動隊とオカルトの世界
@縁と時空の不思議@

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2008.02.04

ヘルメス伝説と進化の記憶

リンクは右クリックで別窓
※うさんくさい話が好きな人以外おすすめしません。

唐突だけれど今回はオカルトネタを一つ。皆さんは「ヘルメス伝説」というものをご存知だろうか? オカルトの分野に、「ヘルメス・トリスメギストス」という名の伝説の天才錬金術師(魔術師)がいる。ヘルメス文書エメラルド・タブレットの著作者だとか、不老不死をもたらす賢者の石を持っていたとかいわれている。あの有名ブランド「エルメス(Hermès)」もヘルメスにちなんだ名前。
この伝説の錬金術師ヘルメス・トリスメギストスは太古から転生を繰り返し、そのつど優れた知性で人類に貢献したといわれている。大昔には「衣服」を発明し、転生しているうちにピタゴラスの先生になり、そして中世には錬金術師(=科学者のさきがけ)として、他の錬金術師には到達できなかった神秘的な「生命の秘密」を知ったとされている。しかし残念なことに、肝心の「秘密」が何だったのかは明らかにされていない。
彼が到達した「秘密」とは一体なんだったのか。しがない占い師が伝説や噂を元に電波な推理をしてみよう。
伝説の起源は古代ギリシャの伝令の神「ヘルメス」とエジプトの知恵と記録の神「トート」という神様への信仰だとされている。それに関わってくる一部のマニアックな噂によると、古代エジプトで知恵(知識)と記録の神であるトート神(=ギリシャのヘルメス神)自体もヘルメス・トリスメギストスの転生した姿がモデルになっているといわれる。モデルになった当時の彼は、失われた大陸アトランティスの出身者で、優れた文明を持っていたアトランティスの色々な技術や知識を持っており、当時アトランティスと交流のあったエジプトにその叡智を伝えたといわれている。アトランティスは海に沈んでしまったが、その文明の叡智のいくばくかは彼のお陰で後世のエジプトに残された(伝えられた)というわけだ。そのことが後にトート信仰のモデルになった、という噂。
(なお、「アトランティス」についての記述を残したプラトンは、アトランティス文明の話を書くとき、「ソロンという賢者がエジプトの神官から聞いた話によると・・・」という又聞きの形式をとっている)

・・・この伝説を見ていると、ヘルメス・トリスメギストスはとにかく「尋常でないほど頭が良い」ということを強調したいらしい。名前自体、「3重に偉大なヘルメス」という意味だ。
そんなヘルメス・トリスメギストスの叡智はタロットカードの絵札に秘められているという噂もある。タロットで彼に相当するカードは1番の魔術師のカード。意味は「始まり」「創造」「技術」・・・など。
ギリシャのヘルメス神もエジプトのトート神も、共に知識や記録(情報)の神。そしてそれを「伝える」という役割が共にある。今風に言えばどちらもデータ(メモリー)とその媒体の神様。
そして、ギリシャのヘルメス神が象徴的に持っている「ヘルメスの杖(カドケウスの杖)」のデザインは、二重螺旋を描く蛇と翼。翼は「情報伝達の速さ」の象徴。一方、エジプトのトート神は主に頭が朱鷺(くちばしがペンに似ているため)の姿で描かれるが、稀にヒヒの姿で表されることもある。ヒヒは、私たちの太古の姿とイメージが重なる。
ペン(文字)・・・知性 二重螺旋 速い情報伝達 ヒヒ・・・
そこでふと思った。ヘルメス・トートの信仰や「ヘルメス」伝説のイメージは、私たちが野生動物から知的生命体に移り変わっていった時の太古の記憶から来てるんじゃないかと。知性を獲得し、ひらめき、言葉を話し、学習速度と伝達速度がアップし、他の種をぶっちぎって独自の路線を進化してゆく体験はきっと神秘的なことだったのかも(意思疎通の媒体たる言語習得に必要な遺伝子の解析の結果、人類が言葉を習得したのはおよそ10万年前らしい)。しかも獲得された知性は次世代に向かって何度も「転生」する。二重螺旋を描くDNAによって。だから知性そのものは、賢者の石を持っているかのように「不老不死」ともいえる。
ヒヒのような動物的な生き物だった私たちは、ある時ヘルメスに象徴されるような「知性」をDNAに獲得し、ヒヒ(動物的本能がメインの生き物)からヒト(理性や自我に目覚めた生き物)になったようだ。それはまさしく【人間】の「創造」であり「始まり」ともいえる大事件。アダムとイブに禁断の知恵の実を食べるように囁いたのはヘルメスの杖に描かれた二重螺旋の蛇(=DNA)。その囁きを聴いた(読み取った?)二人は、エデンを追放される覚悟で、知性の進化を選んだ(知性の遺伝子をONにした)。悩むことのない本能による支配ではなく、知性による試行錯誤を選んだ。
DNAは生命というプログラムのソースデータのメディア(媒体)。まさに神格化されたヘルメスの領域。私たちのご先祖様のDNAに知性のデータを書き込んだ魔術師のような神のような何かこそ、ヘルメス伝説を作り出したイメージの大元か。「錬金術師ヘルメス」の到達した「生命の秘密」というのはDNAに関することだったのかもしれない。
(一部オカルト系オタクたちの間では、ヘルメスの杖が二重螺旋の蛇と翼を持つデザインなことに着想を得て、『人類は天使のDNAを受け継いだ』という人もいる。聖書だと蛇は禁断の知恵をもたらす悪魔の使いだが、悪魔自体、元は天使だったのが堕天使になったもの)

ヒトのDNAの器である染色体のうち、男女に共通する常染色体の数は全部で22対。ヘルメスの叡智が隠されたといわれているタロットカードの絵札は全部で22枚。
荒俣宏氏辺りが小説のネタにしそうな話。いつかこういうネタがアニメにされる日が来るかもしれない。

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2007.09.10

恋人は、誰よりもあなたのそばに?

古今東西、「恋人(結婚相手)が欲しい」とか、「あの人の気持ちが知りたい・振り向かせたい」といった理由で占い師に相談する人は多い。
そして興味深いことに、切ないまでに恋人や結婚相手を強く求めていながら、「実際に恋人を探すために行動する意欲はない」とか、気持ちを確かめたり振り向かせたりはしたいけど、「目の前にいるその相手と実際に交流する意欲はない」ということが占いで判明することも多い。さらに、以前占い依存症の記事でも述べたが、「コミュニケーションをとらずに異性と親密になりたい」という思いを持っている人や現実を無視して「自分が思い描く望み通りの展開を言って欲しい」という願望をむき出しにする人も多い。なぜだろう?

♡恋に役立つ占いの使い方
現在・未来を問わず、「幸せな恋のために、今何が出来るか。注意点は何か?」という発想がとても大事。
運命が恋人を与えてくれるのを何もせずに待つのではなく、自ら運を切り開く(開運の)前提で占いを使う。本当に相手の気持ちを確かめたいのなら、占い師にやってもらうのではなくあくまで自分で突き止める前提で占いをその応援ツールに使う。要するに「恋人を得るために・恋を実らせるために、真実をつかむために、自分は何が出来るか・どうあるべきか」という意識。あくまで「自分と向き合う」前提で占いを使うことが効果的。決して「現実と(自分と)向き合う代わりに願望通りのことを言ってもらう」とか「相手と(自分と)向き合う代わりに占いを使って済ませる」とか「占いさえすれば後は何もしなくても二人は結ばれる」となどと考えてはいけない。占い依存症があなたを手招きするから。

♡あなたの恋はどれ?
あくまで自分が動く。自分が考える。自分が相手と向き合う。自分で突き止める。「そんなことは出来ない・したくない」「それ位なら何のためにお金払って占いをしてるのか分からない」「ウソでもいいから気分の良くなること言って!」と感じるとすれば、それは生身の相手と交流する意欲がなく、実際に相手を知る意欲もなく、あの人の気持ちを確かめたりアピールして振り向かせたいわけでもない。そして、本当は「あの人」が欲しいわけでも結婚相手や恋人が欲しいわけではないのかもしれない。
もしそうだとすれば、「現実の恋」は望んでいない。
では本当は何を望んでいるかというと、「心の中だけで楽しむ恋」なのかもしれない。私の知るありがちな一つの具体例としては、本当に望んでいることが「あくまで自分の心の中で理想の展開をする恋の物語やイメージを密かに楽しむこと」や「恋に恋すること」だったりもする。ならば、心の中で楽しむ自分だけの「素敵な恋(物語)」に、占い師とはいえ他人にどうこう言わせる必要があるだろうか? 自分の物語の展開や結末を他人に保証してもらう必要があるだろうか? むしろ誰にも口出しさせず、自らも口に出さず、大いに楽しんでいいことではないだろうか? 誰かの保証や同意が得られないからといって、物語をやめる必要があるだろうか? 自由に設定や結末を決めて(又は決めなくても)いいことではないだろうか?(実際、自分の思い描く設定と異なる占い結果が出た時、『なぜお前如きが私の恋を邪魔をするのか』と本人が不思議な怒りを発するケースも多い) 現実の恋よりもこの手の望みを持つ時に限り、自分の恋人は、心の中に存在する。恋人は、誰よりも自分のそばで、常に自分と共にある。かの者とは、いつでもどこでも対話できるし、どんなことだって出来る。いつでもどこでも、何でも出来る。自分の物語やキャラクターを客観的に注意深く分析すると、その特徴があなたの隠れた願望や隠れた一面、隠れた可能性を教えて成長させてくれることだってある(例えば、どんな愛情のやりとりがあるかなど)。しかも生身の人間に対してはどうしても必要になる明確な意思表示や言語化したやり取りが、いらない。そして、後から生身の恋人が出来たとしても、「別れなければ二股になる」わけでもない(自分の一部なのだから)。
心に住む「あの人」を知らないうちについ投影した生身の相手(=ただのスクリーン)とコミュニケーションする気にならないのは、そのせいかも。愛する人は、「あのひと」であって、「あのヒト科の個体」ではないのだから。

もし愛する人が心の中の人ならば、生身の人類とは混同しないように注意したい。自分の恋人を間違える様なものだから。(同じく、生身の恋人が出来た時にも両者を混同しない注意は必要だ)
相手とほとんどコミュニケーションをとったことがない、コミュニケーションを取る機会がないなどの「相手のことをほとんど知らないのに惚れちゃった」ケースの恋は「心の中で楽しむ恋」や「心の恋物語」であることも比較的多い。分かりやすく極端に例えると、「行きつけの店の新人バイト」「宅急便のお兄さん」「取引先の社長」「外で見かけた受付のお姉さん」に惚れた場合など。
当たり外れを確認できない・確認する意志がない状況で占い師に相手の気持ちや性格を尋ねたい人もこの手のパターンの恋が多い。自分がどの恋を望んでいるかを見分ける特徴の目安はこの章の最初とこの記事の最初。

本当は生身の相手を必要としていないのにそれに気づかず(或いは知っててわざと)生身の人間と恋愛をしようとすると、うまく行かなかったり、時には自分を傷つけるのみならず相手を傷つけたり。相手を道具にする恋は、自分も道具にされる恋愛運を作り出すことがある。
「心の中だけで楽しむ恋」をする時、つい他人の手を借りてしまわなようご注意を。それは、他人を自分の精神世界に巻き込むだけでなく、他人を自分の心の世界へ侵入させることにもなるから。占い師や相談相手とて例外ではない。
心か現実か。イメージか生身か。今の自分がどのタイプの恋を望んでいるのか、或いは両方のタイプを別々に同時進行させたいのか。投影の押しつけではなく相手と向き合い本人の実際の人柄や魅力を理解する意欲が少しはあるかどうか。自分でよく見極めておきたい(因みに占いで相手の魅力を言語で教えてもらっても魅力理解の代用にはならない。話じゃなく実際に相手と向き合わないと魅力を理解できないから。それと、相手と向き合って確認しないと占い師の言った通りかどうか確認できない)。
最近一部で流行の「二次元萌え」も今回書いた「心の中に恋人がいる」心理と似てるかもしれない。

・・・本当は現実の恋を望んでいない。では何を望んでいるか、というもう一つの例は、自分が打ち込めるものや目標や張り合いが持てず、自分の生き方の世界を楽しく出来ず、それが見つからないままでもしか恋愛に走って虚しさを紛らわしていた、というケース。その場合の本当の望みは「自分が充実感を持てる何かを見つけ出すこと・手に入れること」だ。でもしか恋愛と似たような理由から自分の未来が想像できない不安のために「でもしか結婚」を考えている場合も、やはり相手を探すというよりは自分の充実できる生き方を自分の内面から探してみたほうがいい。

いずれにせよ、本当に本当の願いを叶えるためには、自分の内面に目を向けることから始まるのかもしれない。

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投影すれば、無機物だってスクリーンになる
連想と投影の魔力
占い依存症チェック

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2007.08.21

ハリケーンの目に現れた謎の数字2

※後半部分は占い師の囁き(たわ言)です。科学的根拠はありません。

海の向こうではハリケーンの季節。
さて、2005年にカリブやフロリダを襲った観測史上最低気圧記録の強烈なハリケーン「ウィルマ」。自然のイタズラか神秘の仕業か、そのレーダー画像の目の部分に「2」の数字が偶然現れた事件を覚えておられるだろうか? ※(画像、※動画) 当時、「見事なゴシック体だなあ」と感心していたのだが、浮かび上がった数字については余り意識を向けなかった。今更ながら「なんで2?」という疑問が湧いたので、今回はあえて電波に数字の方へフォーカスして遊んでみようと思う。
古代の世界では、数字に様々な象徴や意味を当てはめる考え方があった。数秘学(数字を使った占い)などはそこから作られたもの。古代に行われていた「数字に特定のシンボルを当てはめる作業」は、人間が無意識に抱く数に対するイメージを反映している、とも言われている。
ちょっと気になって、「2」が具体的にどんなシンボルを持っているのか調べてみたら、「2」のシンボルには、二極相対(二極分化)を前提としたシンボルが比較的多いことがわかった。以下は「2」に関する主なシンボルイメージ

女性 母性 月 知恵 陰陽 回転、渦 流動、海、水、アヒル、均衡(バランス)、目に見えないもの、「表」に対して「裏」、「文明(人工)」に対する「自然」、「顕在意識」に対する「潜在意識(心の裏側)」「合理性」に対して「非合理性」etc・・・

面白い偶然の一致が出た。ハリケーンは渦だし、回転するし、流動的だし、水や海とも縁が深い。また、ウィルマがハリケーンの最大規模を示す「カテゴリー5」になった2005年10月19日は丁度満月だった。偶然にも「2」は月のシンボルでもある。そして、くだんのレーダー画像が放映されたテレビ局はNBC2レーダー動画をみると、「2」が浮かび上がった時間は約2秒。
本当にイタズラではなく、全て偶然とのこと。

「ウィルマ」をはじめとして、2005年は今までのハリケーンの記録を塗り替えた巨大ハリケーンが多発した年だ。同じ年に発生した「カトリーナ」の惨状を覚えているだろうか? やがて、地球温暖化がハリケーンを大きくさせているのでは?」といわれるようにもなった()。今年の「ディーン」もそんな感じだ。
地球温暖化。偶然にも、「2」のシンボルイメージにある、「文明に対する自然」と「均衡(バランス)」の問題だ。
さらに、「2」が「文明に対する自然」と共に「顕在意識に対する潜在意識」というシンボルイメージを持っている所が面白い。潜在意識(無意識)は、人間の心の領域の中でも、文明が人工的には作れない「自然」の領域でもある。心の中で最も自然の領域の近い部分(又は自然界に属している部分)が「本能」と「無意識」だともいわれている。・・・昨今の自然環境と心の環境の現状は、似通っていまいか?
人間は「母なる自然」にも目を向けると共に、自分自身の心の領域にも目を向けた方が良い時期に来ているのかもしれない。「顕在意識に対する潜在意識」の「均衡(バランス)」・・・
巨大ハリケーンが発生するのは地球温暖化と因果関係があるからだとすれば、巨大ハリケーンは人類に対する自然界からの警告的なメッセージなのかも知れない。「自然に目を向けよ」。
ウィルマのレーダー画像が「2」に見えるのは、雲の様子から人の無意識がそのように見せているからだとすれば、それは「心の中の自然界」である無意識からのメッセージなのかもしれない。「心に目を向けよ」。
人間から見た自然と無意識(心)。どちらも、「合理性」を追求する余りにないがしろにしてきた「非合理」の部分だろう。精神世界系の人ならそれを「スピリチュアリティー」と表現するかも。
外界の自然と内なる自然である無意識(心)は、人が生まれた時からどこかで繋がっているのかもしれない。

文明と生命力の使い道
エコロジーと終末論

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2007.08.05

予言とカタルシス願望2

※非科学的なお話です。「カタルシス願望」の説明はこちら。   ※お好みでBGMどうぞ(右クリック別窓)。

ジュセリーノの予言とカタルシス

「ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース」というブラジル人の男性がいる。普段は高校で語学の先生をしているが、「予言者」もやっている。なんでも、9歳の頃から身の回りのことに関する予知夢(未来の出来事を暗示する夢)を見るようになり、それがまたよく当たっていたのだそうだ(当たったとされる予言はこちら)。現在は予知夢を通して世界中の出来事を予言しており、予言の内容は公文書に記録しているらしい。夢のお告げに従って、各国の政治家に予言の内容を記した手紙を送ることもあるそうだ。ノーベル賞を受賞した元米国副大統領のアル・ゴア氏にも、何年も前に手紙を送ったことがあるという。そんな彼は今、ブラジルのみならず日本でも話題になっていて今年たま出版から彼の「予言」をまとめた本も出た。日本のテレビでも取り上げられた。
彼が予言する出来事で印象的なのは、世界中で巻き起こるらしい終末的な自然災害だ。特に、大地震の予言が注目されている。他には事故や犯罪、そして「人類滅亡」についての予言もあり、これまた人々の注目を引いている。その様子は20世紀に流行った終末予言系のパターンと似ている気がする。

注目される彼の予言に地震の予言がある、ということは、地震の夢を見ている、ということ。夢の世界では、地震は精神的な動揺とか、現状に対する不満や現状を変えたい(破壊したい)気持ちの象徴だったり、あるいはそれこそ「自信がゆらぐ」という意味にもなったりする。いかにもカタルシス願望の原因になりそうな心理の象徴だ。
そして、「集合無意識を覗き込む夢」ともいわれている予知夢で地震の夢を見るということは、カタルシス願望を持っているのは夢を見た本人のみならず、彼の夢(予言)に興味を持った多くの人々にとっても同じことかもしれない。まさに、「カタルシスを夢見る」。地震予言が特に注目される理由は、日本が地震国だという理由だけだろうか?世紀末を過ぎても予言が話題になるということは、「予言ビジネス」が儲かるということは、それだけまだ「予言」に需要があるということ。それだけカタルシス願望を持っている人がいるということか。その願望は、破壊的な予言に投影されるようだ。特に、「不満や鬱屈を抱えているけれど、その正体が具体的に何なのかハッキリしない」という状態でのカタルシス願望は、鬱屈の投影先が定まらず、結果鬱屈があらゆるものに投影されてしまい、「壊したいものがハッキリ分からないから、とりあえず手当たり次第に色んなものを壊してみよう」という無意識のイメージにつながって「世界中を壊して回る」ような終末予言系のネタに願望が投影されても不思議はないかも(なお、ジュセリーノはテロや犯罪の予言も沢山している。鬱屈がテロや犯罪にも繋がりうることは、言うまでもない)。また、「漠然とした閉塞感を打開したいけれど、閉塞感の正体が分からないので打開の方法が分からない。」「自力では閉塞感を打開出来ないと思われる」状態でのカタルシス願望の場合、願望の投影先が「神秘的なもの・謎めいたもの・人知を超えたもの」になることも多いのではないか。何か人の力を超えた不思議な力が自分でも正体の分からない鬱屈を捕まえてカタルシスを起こしてはくれまいか(自分の現状を変えてくれまいか)と期待する心理・・・
21世紀初頭。そんな状態でカタルシスを無意識に求めている人は、一体どれだけいるんだろう? 恐ろしげな予言の話を「怖い怖い」と言いつつ実は心のどこかで妙に楽しくなっちゃう心理は、誰にでもありうること。「カタルシス」は語源が示すように娯楽の側面があるのだ(日本の伝統的カタルシス法は怪談かも)。だからメディアはセンセーショナルに盛り上げる。本も売れる。世紀末をとうに過ぎたとしても。
古代ギリシャの観客は上演される悲劇に己の過去の悲しみや苦しみを投影し、追体験し、涙で悲しみを浄化した。それが「カタルシス」の起源だ。今では絶叫マシーンや怖い映画などで日常のストレスを解消するなどのカタルシスを遂げる人は多いが、終末系予言にカタルシス願望を投影する人の場合、実は「壊したいものが何か分からない」こと自体がストレスなので、予言に漠然と期待感を投影するだけではすっきりし足りない人も多い。その場合は壊すべき鬱屈の正体と理由をしっかり知ってはじめてカタルシスが完了する。多くの人は今までの終末ブームで漠然とした願望投影は出来ても、鬱屈の正体を知ることは出来なかった。ある予言でカタルシスが遂げられなければ、別の予言を「はしご」する。だから終末ブームは終わらない。壊したいのは自分の奥深くの鬱屈であって、外の「世界」にあるものじゃないと気付くまで。比喩的にいうなら、「自分の可能性を広げるために、それを妨げている内なる世界の殻を壊したい」といった感じだろうか(セカイ系アニメが流行るのもそういう風潮?)。
(それに気づけなかったオウムはとうとう暴走して、ハルマゲドンになぞらえたテロという形で終末系カタルシスをやってしまった?)

予知夢を見るジュセリーノの予言の中でも特に人々の注目を引く予言に、
今年は人類が過ちに気付く最後の機会
という予言がある。これは、「予言に注目する人々が気付かずに見過ごしてきた自分の中の壊すべき『正体』に気付く機会だよ」と言いたいのかも(07年が最後の機会ではないだろうが)。まるで、自分の予言に『壊すべきもの』を投影させ、なおかつその正体に気付かせようとしているみたい(終末論で常套句の「悔い改めよ!」というセリフは、「見落としている鬱屈に気付け!」という無意識の表現だったりして)。
そう考えると、ジュセリーノには「未然に危機を注げる予言者」よりも人々にカタルシス(心の浄化)を与えるアリストテレス時代のギリシャ悲劇の作家のような役割がより強いと感じる。そして、ジュセリーノは無意識のうちに、「センセーショナルなコワい予言」という形で人々の心に破壊的な悲劇を上演し、感情移入させる。なおかつ鬱屈の正体に気付くことを促し、一部の人々には今まで叶わなかったカタルシス(心の浄化)を引き起こす手助けをする機能へ無意識になろうとしているのかも、と電波な妄想をしてみたい(私が面白いから)。

カタルシスは「起きる」ものではなく無意識が「作り出す」もの。前回も書いたが、人は心の中で何かを強く望むと、意識的にだろうが無意識にだろうが、実際にそれを現実化させる(又はリアリティーを持たせる)傾向にある。人の運勢も同じで、心(無意識を含む)に強く思うものがあると、その影響が運勢という形で現実世界に反映される。多くの人々がカタルシスを強く思うなら、その思いは人々の無意識(或いは集合無意識)に記録されて、やがて彼らの運勢に何らかの形で「カタルシス」が現れる。それが起きる場所は個人の内面世界か、外の世界か? 彼らは真実どちらを望んでいるか気づくだろうか?
もしもジュセリーノの「予言の発表(悲劇の上演)自体」が人々のカタルシス願望を満たすのならば、人々はそこで満足して(己の壊すべき正体に気付いて)その先の「物理的な予言の実現(悲劇の実現)」までは望まなくなるだろう。カタルシス(心の浄化)が人々の運勢に現れるなら、「予言を聞きその中身を劇の観客のように疑似体験することを通して己の隠れた鬱屈の正体を知り、自らそれを壊す」という形式になる。だから外の世界で実際に予言の災いが降りかかるまでの運勢は作られない。疑似体験がうまく行けばいくほど、人々のカタルシスは心の中で完結するので、予言は当たらなくなる(ジュセリーノ曰く、予言を回避するには人々の精神的変化が必要だとか)。ジュセリーノが「カタルシスヒーラー(?)」または「カタルシス文化の発信者」の役割を持つならば、人々の心の中でカタルシスが進むにつれて予知夢を見なくなるかもしれない。あるいは、予言を外すようになるかも(的中率・信憑性と話題性は必ずしも比例しない)。
だから、予言は「予言」であるうちに本気で楽しめばいい。悲劇に感情移入するように。緊急避難用の水や乾パンも用意すれば臨場感UPで更にいいかも。不謹慎だといって遠慮する必要はない。心理学曰く、「カタルシスは代償行為によって得られる満足」なのだから。予言は予言のうちに楽しんですっきり満足すれば、「予言の実現」が単なる「予言」止まりで「代償」できるかも。暴力的な手段での鬱屈解放より、怪談感覚で予言を怖がって楽しむ手段の方がよほど健全。

また、もしも本当に予言的中を怖がっている人がいたら。その人は予言に自己の内なる不安感を投影している可能性が高い。予言が怖いのではなく、抑圧された内側の不安感を恐れている感じ。本当に恐れているものは何か、抑圧された不安感の正体は何か。それが分かれば何も怖くなくなりそう。

人の運勢は、人間ひとりひとりから発する。だから、「運は自分で作る」とも言う。無意識に隠れた鬱屈や閉塞感を投影してその真相を知り、そこからの解放を強く思えば(=カタルシスを強く思えば)、それは運勢に反映される。破壊と再生は表裏一体。カタルシスはゴールじゃない。そこから新たなスタートが始まるのだ。人々が終末系予言に投影する願望は、「人智を超えた力による(心の)世界の変革」。・・・ユング心理学の概念を借りると、その「人智を超えた力」は実は、自我(顕在意識)の次元を超えた無意識の中心に住んでいる「自己(セルフ)」と呼ばれる「おおもとの自分」の力かもしれない。「このおおもとの自分」と自我がつながって上手に連携が取れたとき、非常に運勢がよい状態になるようだ。自分の鬱屈の正体を知り、閉塞間の打開や鬱屈浄化を成功させる運勢を作ることも出来るのかもしれない。ユング心理学で「自己(セルフ)」と名付けられた「おおもとの自分」も「自我」も、同一人物、同一の生命体だ。頭と足みたいなもの。自分で自分を無視(抑圧)してしまえば、確かに鬱屈が生まれやすいだろう。


BGM:"While the Earth Sleeps" by Peter Gabriel and Deep Forest.

聖火リレー騒動もカタルシス願望?
連想と投影の魔力
エコロジーと終末論

自分の鬱屈やカタルシス願望について占いたい方はこちら

※「カタルシス願望」につながる無意識の鬱屈や閉塞感などは、以前に書いた記事の「生命力を代替する文明」と「自分の生命力が分からない・うまく引き出せない・使い道がわからない」といったこととも関係あるまいか?
終末ブーム時代に流行った漫画が、「水没するビル街(文明破壊のイメージ。水は無意識の象徴)」という絵柄を採用してるのが多いようなので、ふとそう思った。
カタストロフィを起こす終末予言のイメージだと、滅びるのは大概文明世界だけで、自然界は滅ばないようだ。

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2007.07.30

予言とカタルシス願望1

※非科学的なお話です。  お好みでBGMどうぞ(右クリックで別窓)。

流行するカタルシス願望

カタルシス【katharsis(ギリシア)】(浄化・排泄の意)
1. 古代ギリシアの医学で、病的な体液を体外へ排出すること。瀉血(しゃけつ)。
2. アリストテレスは悲劇の目的をパトス(苦しみの感情)の浄化にあるとした。最も一般的な理解では、悲劇を見て涙をながしたり恐怖を味わったりすることで心の中のしこりを浄化するという意味。
3 .精神分析の用語。抑圧されて無意識の中にとどまっていた精神的外傷によるしこりを、言語・行為または情動として外部に表出することによって消散させようとする精神療法の技術。浄化法。
4. ジクムント・フロイトがこの語を採用したことから、カタルシスは代償行為によって得られる満足を指す心理用語としても用いられるようになった。

20世紀の日本。高度経済成長期~バブル崩壊を経て世紀末にかけて。ある有名なカタルシス願望が流行した。最初はマニアックな分野から発生したそれは、やがて漫画や小説や映画まで、それをイメージさせるような題材を使うものが流行った。それだけ需要があった。宗教の分野では、言うまでもない。
カタルシス願望。人々は、自分の内部にある鬱屈した「壊したいもの、消したいもの、水に流したいもの」を外の世界に投影し、それを破壊してすっきりしたくなる衝動に駆られることがあるようだ。どんな鬱屈なのかは、投影された「破壊したいもの」が象徴的に暗示している。

あの頃流行ったカタルシス願望の名前を、「終末ブーム(終末願望)」という。有名どころは五島勉の「ノストラダムスの大予言」。当時ベストセラーになり、何と翌年にはこれを原作とした文部省推薦の映画まで作られている。その後も、ノストラダムスの予言を焼き直したような終末予言系の本が世紀末までに沢山出た。世紀末が過ぎてしまった現在は、それに代わるものとして最近話題の「ジュセリーノの予言」などが挙げられるだろうか。あの頃からのカタルシス願望は、未だに十分には満たされていないようだ。経済の分野では既に一度「恐怖の大王」が降臨したと思うのだけど(バブル崩壊が人々のカタルシス願望を反映する出来事だったとしたら、バブル経済や当時の投機対象に投影されてたものは一体何だったんだろう?)、それだけじゃ願望成就として不十分なのか、その後には某宗教団体が自分たちの手で世間にカタルシス(カタストロフフィー)を起こそうとした事件まで起きた。そしたら破防法によって自分達がカタルシス(浄化)された。強いカタルシス願望が終末願望という形をとると、人は実際に「終末」を演出するような行動をとることがある。その例として「地下鉄サリン事件」のほか、海外の宗教団体が集団自殺をするニュースなどはこれまでに何度か報じられている。
・・・こういうのって、彼らだけでなく、テロリスト(特に自爆テロリスト)達にも通じる心理なのだろうか? 人は心の中で何かを強く思うと、意識的にだろうが無意識にだろうが、実際にそれを現実化させる(又はリアリティーを持たせる)傾向にある。人の運勢も同じ。心(無意識を含む)に強く思うものがあると、それが無意識の行動や運勢(現実)に反映されると言われている。
もしも多くの人が、カタルシスには恐ろしげな予言の「実現」が必要だと思ってしまったら・・・? 

破壊と再生は表裏一体。カタルシスの役割として、カタルシス願望の条件として、「破壊の先には新たな希望(可能性)が開ける」というものがある。心が浄化されれば、きっと新しい気分で毎日が送れる。毎日が変わる。ノストラダムスの予言で言うなら「恐怖の大王が降って来た後、火星が平和のうちに統治するだろう」という部分がそれ。希望へと続く道を開くには、それを妨げ「通せんぼ」している何かを破壊しなければならない。一体、何が道を塞いでいるのだろう? 投影の対象は、何の象徴だろう?

(以下、私の勝手な空想。根拠は皆無)
カタルシス願望の一種である終末願望は、「世界」が「神経症」になって鬱屈が解放・治癒(浄化)されることを願うシンボリックな願望。それは、自分の鬱屈を解放したい願望を「世界」に投影して発生する。「神経症」は無意識層に抑圧された鬱屈の存在とその正体と原因に気付かせ(自覚させ)、抑圧からの解放と浄化を促すための心の現象。その症状は鬱屈の性質を象徴的に反映するいわば「心のサイン」(それを読み解くのが精神分析)。 そのサインは、体が不調を脳に知らせるために発する痛みや不快感と似ている。終末願望を強く抱く人々の中には、実は自分も神経症のような「鬱屈浄化を促す心の現象」を欲しがっている場合さえあるかもしれない。神経症は本人の顕在意識にとっては異常事態。無意識にとっては「待ち望んだ解放と癒しの時」。そのアンビバレントな気持ちが「終末」という異常事態とそれを待ち望む気持ち「終末願望」という独特の風潮を生んだのかもしれない。その願望が集合無意識規模で発生すれば、それは「終末ブーム」になるのかも。

次回はこの続きで最近流行の「ジュセリーノの予言」について書いてみようと思う。
予言とカタルシス願望2
聖火リレー騒動もカタルシス願望?
連想と投影の魔力
エコロジーと終末論

参照:広辞苑と大辞泉、ノストラダムス現象
BGM:"Sadeness" by Enigma

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2007.06.18

文明と生命力の使い道

BGM(右クリックで別窓)はこれがいいかな・・・

「生命力」と聞いて何を連想するだろうか? 若葉が芽吹く様子。健康を回復していく様子。破壊された自然環境が回復していく様子、生き物が厳しい環境でたくましく生きている様子、種族の進化etc・・・
生きているものには、必ず「生命力」と呼べる様な何かが潜在している。無論人間にも。
生命力は単に肉体的なものでなく、知恵、直感、分析力、判断力、気力、才能、素質、運、勇気・・・生きることを助ける力全て。

大昔、人間は野生動物だった。私達が当然知っている知識や技術もなく、生活は不便で大自然での生存は厳しい。その代わり、現代人よりもたくましい生命力を持っていた。「野生の勘」とでも言うべき生存本能から来る直感力も、今よりずっと優秀だった。
食べ物を得る、良い住処を得る、危険を回避する、敵に勝つ、体を回復させる、伴侶を見つけて子孫を生み育てる。人間も他の生き物同様、己の生命力をフルに発揮出来たとき、本能的に幸せを感じていた。野生動物だった頃、生命力の形態はとてもシンプルだった。だからって不自由しているとは思わなかったろう。

やがて人間は文明を作るようになった。農耕や牧畜のほか、様々な「職業」が都市部から生まれた。野生時代には必須の「本能的な直感力」は徐々に薄れ始め、一部の「素質」ある者達が宗教的指導者や占い師になってその本能的役割を負った(一部では迫害もされたが)。
収穫の安定を図る、家畜を増やす、家を繁栄させる、自分の仕事を成功させる。自分の仕事が他人を助ける。産業や交易で栄える。・・・領土を広げる。
時代が進むにつれ、生き方の種類が増えるにつれ、生命力の形が細分化していったが、どういう形であれ、自分の生命力が有効に発揮出来た時、ヒトは幸せだった。野生時代の本能がそれを知っていた。
当初。自分の生命力を更に効率よく発揮し、生命力の可能性を広げるために、人々は文明というツールを作った。強大な帝国が生まれ、学問と文化が華開いた。

現在。先進国と呼ばれるエリアにおいて、生活はとてもとても便利になった。生存が楽になった。その分、あまり生命力を使わなくても済むようになった。「本能的な直感力」は科学的根拠がないので存在を否定された。けれど最近になって、否定したはずが何故か不思議な魅力を持つようにもなっていった・・・
「生命力をあまり使わないことが前提の生き方」は、裏を返すと己の生命力を使って「本能的な幸せ」を作る機会も少ないということ。そういう発想がひらめきにくいってこと。人々が「豊かになったけど、何か心が満たされない」と訴え始めたのは、いつの頃からだろうか? ヒトの本能は、「幸せ」を感じているだろうか? 文明を「生命力を代替する」ような使い方をするということは、本能から見ると「(生命力が)文明を使うんじゃなくて、(生命力が)文明に使われている」ように見えるのかもしれない。使う機会の無い生命力は、抑圧されていく・・・
(占いの利用客で、『自分でなく占い師に叶えてもらう・解決してもらう・決めてもらう。』と最初から自分の生命力を使わず占い師に全てを代行させる前提の発想になってる人も多い。恐らく、宗教や精神世界の分野でも同じだろう。占い依存症は文明病なのかもしれない)
これは旅行記最終回でも少し書いたが、己の生命力を使わないでいると、、「うまく生命力が引き出せない」「自分の生命力が分からない・使い道が分からない」「どうしたら自分の生命力が使えるのか分からない」なんて事態も発生する。野生の時代なら、あまりに危険すぎる事態だ。「自分の生命力を見失った」んだから。しかし今は便利な世界。別にそれでも生存に支障はきたさないので、そんな事態が起きても気付きにくい。その代わり、いつの間にか生命力が抑圧され、いつの間にか本能的な違和感や不安感や閉塞感が無意識に積もって「心」の領域に反映される。
私が旅したチベット、インド、ネパール、雲南。現地の人達は日本人より生命力を使う。特に遊牧民の生命力は凄かった。苛酷な環境で、不便で、お風呂もなく、そう良い物も食べていない。けれど、皆いい表情を持っていた(参照)。訪れたどの場所でも皆様々な問題を抱えてはいるが、生命力を有効に発揮することで得られる最も基本的な幸せは知っているようだった(先進国でスローライフが流行ってるのは、彼らのような生き方を懐かしんでいるからか?)。

「私達も生命力のために文明を遠ざけて彼らのような生活をすべきだ」と言うつもりは全くない。ただ、己の生命力を自覚し、発揮し、有効に使いこなす発想はあってもいいと思う。有効活用していない生命力が、一体今どれだけあるんだろう。
文明の便利さを、「自分の生命力を省略」するために使うか、「自分固有の生命力をフルに活かす(生命力を後押しする)」ために使うかで、だいぶ違ってくる気がする。文明に自分の生命力を代替・省略させず、文明を「自分の生命力を活かし、生命力の可能性を広げるためのツール」として使いたいものだ。
どんな生命力の使い方をしようと、どのような生活形態をとろうと、どれだけ巣作りが発達しようと、私達はアリやミツバチやイルカやサル同様、野生動物の中で「ヒトという名前を持ったそういう種族」なだけだ。

ニートの様子カタルシス願望なども、ここで書いたような生命力の問題が関係してるのかも。

エコロジーと終末論

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2007.02.18

花粉症と鼻水の秘密

以前の記事を少し手直し。さて、今年早くも花粉症の症状が出始めた人もいる。
鼻水の症状は、インド医学でいうと、カパ(水)の領域。
花粉症には菜の花やブロッコリーなどの花野菜や、生ねぎ、シナモン、ユーカリ(アロマ)などが良いらしい。基本的には、症状が出る前の時期に前もって摂取する事で花粉症予防になる。私も毎年2月頃になると、よくブロッコリーを食べている。ピリ辛の味付けで炒めるとおいしい。シナモン入りのコーヒーも飲む。今年は少しだけマシな気がする。
「鼻水が良く出る」という現象。原因はいくつかあるが、その中に興味深いものを発見。
それは、鼻水を出す事で「脳を浮かべている頭の水の取替えをしている」というものだ。脳というのは、頭蓋骨の中に液体があり、その中に豆腐の様に浮かんでいるのだそうだ。液体が脳を守るクッションという事。その液体をプールの水のようにいれかえるということはどういう事かというと、脳が日々働いていると老廃物を出し、液体が汚れてくる。その汚れをきれいにして少しでも脳をリフレッシュさせるために、鼻から汚れた古い液体が出て来るのだそうだ。そう。鼻と脳は繋がっている。古代エジプトでミイラを作るときは、鼻から焼けた鉄の棒を突っ込んで脳を引きずり出していた。
花粉症の時期、丁度花粉で出てくる鼻水のドサクサにまぎれて、頭の中からも水が出ている人もいるらしい。普段頭をよく使う人、睡眠不足な人、ゲームをやりすぎな人、神経が疲れやすい人などはその可能性が高いという。花粉症の時期にかぎらず、普段頭を良く使う人でワケもなく薄い鼻水がジョジョダレる人は、頭をリラックスすると少しはマシになるかも?
脳を浮かべていた液体が鼻から出ていってしまったら脳は大丈夫なのかというと、ご心配なく。自動的に新しい液体が作られ、頭の中に満ちていくから。

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2006.12.17

ネット参拝は是か非か?

ネット参拝は是か非かという議論が起きているそうな。
私は個人的に「参拝」という行為はネットだろうが現場だろうが、人が昔からやってることに変わりない。と思っている(ビジネスの側面は別として)。
以下、記事より一部抜粋

全国約8万か所の神社を管理・指導する神社本庁(東京)は、「ネット上に神霊は存在しない」と、今年初めて自粛を求める通知を出した。 (中略)「神霊は神社という場所や空間に鎮座するもので、足を運んでもらうのが基本。(以下略)」

むしろ、こういうコメント自体が実は霊的というより却って即物的な考え方とも言える。「神霊」という限りなく精神的な存在に対して、車や電車や徒歩などを使い、物理的に「会いに行く」ことでしかつながりをイメージできないってことだから。

どんな場所に居ようと、参拝というのはあくまで精神の領域で行われる作業。であるから、本来時空の制限は全く受けない。制限を感じるのは、その人の意識がネットと現場の違いによって感覚や発想を制限しちゃっているため。
参拝が精神の作業である以上、神霊との回線接続は心の中で行うもの。この世に生まれて物理的な世界に慣れた意識がつながりをイメージしやすいようにツールとして発達したのが本来の「神社」の役割の一つ。
だから今の時代にイメージツールとして「ネット参拝」というものが追加されても全然おかしくはないと感じる。
むしろ即物的な発想からは遠ざかったほど。

そして、「神霊」という存在。あれは色んな意味を持った存在。神話に出てくる「神」は数ある意味のホンの一つに過ぎない。 ある時はこういう意味、またあるときは別の意味。
願掛けをする場合の神もまた、その数ある意味のひとつ。
願掛けの場合、よく鏡が御神体になってるアレ。実は・・・

続きは去年書いたお参りの秘密と願掛けのコツ でどうぞ。

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2006.11.01

散歩と黒猫

なんとなくもぞもぞそわそわして母校(校門なんて無い)に行きたくなったので、ちょいと行ってみた。

目的地にて。こやつの写真を撮るためにしゃがんだら、そのままするりとヒザに乗って来た。そして離れない。
Nekob

奴は私のヒザに乗り、当たり前のようにすとんと眠り込んだ。
昔、私がキャンパスに店広げてたときも(母校ではみんな当たり前のようにフリマとかやる)、よく猫が寄って来てたっけ… 母校は猫が結構住み着いているから。
一度なんか、ある人を占ってたらいきなり猫がカードを広げた上に飛び乗って来ちゃって、カードが見れない。何度もどかすのに絶対飛び乗ってしまう。何とか猫を抱きかかえてカードを読むと、意味ありげな悪いカードばかり、なんてこともあった。確かあの時飛び乗ってきた奴も、黒猫だったような・・・

奴は勝手に人のひざの上ですやすや眠っている。だいぶ長いことほっといたが、やがて重くなって来たので、ついに撤去。奴は「なーん」と言って去る。

…って上着に少しちびってるじゃん!

とんだ置き土産をトイレでつまみ洗い。 ゴシゴシしながら思う。学生時代の友達は皆卒業しちゃって、会える人はほとんどいなくなっちゃったなあ。みんなどうしてるだろう?

洗った後で熱いお茶を飲みたくなって食堂へ。もうすぐ閉まるところだったが、そこで偶然研究生になった懐かしい友達と再会。 久しぶりに手相を見たり濃い話しをする。ここんところ「占ってもらいたいな」と思っていたそうだ。 もしや黒猫のもたらした偶然?

母校はいろんな意味で今の私のルーツ。自分を再確認する場所。 たまに行くと、いい。

今年の文化祭も、きっと行く。

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2006.10.26

攻殻機動隊とオカルトの世界

※とっても非科学的な話です。
『攻殻機動隊』。昔大学の授業でこの作品群の存在を知った。そして最近になってテレビシリーズをやっと見た。最新作ではないものの、今見ても面白かった。気に入った登場人物はトグサとバトーかな。タチコマがアニメ声というのは以外だった。
このアニメ、マトリックスの監督が影響受けたというのがよくわかった。マトリックス同様、オカルトやグノーシスなど形而上学的なテーマや、ユング心理学のような要素も ある。
この「攻殻機動隊」という作品の中にも、そのうち占い師とか霊能者みたいなキャラクターを登場させたら面白いんじゃないかと思う。占い、特に易やタロットなど偶然性に頼る占いは、見た目はアナログだが実は非常にデジタルな頭の使い方をしているからだ。
全く電脳化していないにもかかわらず、占い師達は昔から人間の集合無意識の領域(サーバーのソース領域またはデータベース)や、その人が自分の現実を作る時の運勢というデータがしまわれている領域(ネットで言えば「個人HPのソース領域」)にアクセスし、相談内容をキーワードにした検索作業をして来た。その精度は占い師の腕次第。
そして検索結果は、カードや筮竹に反映される。さらに検索結果を分析して、相談内容のアドバイスとして何がふさわしいかを、解釈する。解釈も占い師の腕次第。
はたから見れば、「偶然出た結果が的を得ている」「シンクロニシティーだ」と見える。 何のことはない、人工的にシンクロニシティーを起こしているだけ。
丁度Googleのキーワード検索で「自分の調べたいことが検索結果の上位に入っている」のと同じ。 Googleがあなたの心を読んでわざわざ気を利かせたわけでも、超能力じみた力を持っているわけでもない。システムがそういう仕組みになっているだけ。占いも同じ。運勢や無意識の深い領域が便宜上そういう仕組みになってるだけ。
生存環境が厳しかった原始の時代、人間は生存のためにデジタルな頭の使い方をよくやっていた。
「今日はあっちに行けば獲物と出会いそうだ」「このキノコはおいしそうに見えるのに不吉」「何だかこの場所は危ない気がする」「一週間以内に雨が降る(止む)」などなど、無意識の領域で場所やモノの情報を検索し、その中に有効な情報があれば予感や直感といった、個人のゴーストの中でも深部の無意識領域から来る機能で認識する。昔はそんなことが得意な人達はシャーマンになったりしもしていた。
シャーマンの中には俗に古くから「幽霊」と呼ばれる強烈な印象や感情(または強い意志?)のために、死してなお意識(=ゴースト)や、或いは意識のデータの一部だけがその場に焼き付けられて残っている/さまよっている状態の者を感じ取れる人もいただろう。ゴーストを使って他人の意識をジャックする(乗り移らせる・祟らせる)ような黒魔術師だっていたかもしれない。自分が自由に身体を抜け出してゴーストとして活動できるシャーマンだっていたんじゃないかと思う。ゴーストになれば、幽体離脱も、集合無意識へのダイブも、お手の物。大昔なら、草薙素子はアマゾネスにして部族を支えるシャーマンだ(95年の『攻殻機動隊』のエンディングは日本のシャーマニズムである神道の祝詞が含まれている)。
もう少し時代が下ると、地位も財産も全て捨てて、一歩間違えれば攻性防壁のように脳神経が焼けたり廃人になるかもしれないほど危険で難しい修行(ある種のヨガなど。)を積んでまでデジタルな能力を高めようとるする人々も出てくる。
・・・・・・しかし今は、人間が生存のためにそんな原始的な能力を使わなくて済むよう便利な科学を発達させてきた時代なので、その能力を使ってる生き物の大部分は動物達くらいなものだ。多くの人間達はその力の使い方を忘れている。だからその力でアクセスできる領域が身近じゃない。だけどやっぱり興味があるし、面白そうにも見える今日この頃・・・・・・

例え人間が電脳化された時代でも、他人の意識をジャック出来る時代でも、ゴースト深部に鎮座する個人的無意識の、そのまた向こうに鎮座まします集合無意識を検索する方法は、皆知らないままなんだろうか?

SSSのオープニング、気に入った。

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2006.08.28

冥王星の事件を勝手に解釈

※長い上に怪しくてマニアックな話です。電波に見えるかもしれません(たぶんそうです)。免疫のない方はご注意下さい。


Solarsystem_2

BGM(右クリックで別窓)

占星術のやり方(手法)には何の影響もないと書いた冥王星の惑星降格事件。では、今回の事件そのものにはどのような意味やテーマが隠されているのだろう? ちょっと妄想を繰り広げてみた。

まず、冥王星が1930年に発見された時のこと。
人類が冥王星を発見したのと同じ年、この世に核兵器の理論(仮説)が誕生した。
同じ年、ドイツの占拠であのヒトラー率いるナチ党が躍進。多数の投票数を獲得。
そしてこの辺りから始まる時代の流れを見ると、1930年代の終わりには第2次世界大戦がある。
冥王星の占星術的意味には「死」「破壊」「究極」「極限」「極端」「原子力」といったものがある。また、「死と再生(生まれ変わり)」という意味もある。タロットカードなら、「(最後の)審判」に対応するという説もある。いわゆる「ハルマゲドン」ってやつだ(軌道が楕円なので、ハルマゲドンブームの1999年までは海王星よりも地球に近かった)。
そして、この冥王星「 Pluto」、ローマ神話では冥界(目に見えぬ死の世界)の王の名前。そしてプルトニュウムの語源でもある。 そんな由来で冥王星の意味には「原子力」がある。
ちなみに、当時冥王星の発見者(某国出身)が「冥王星を惑星にしろ」と学会でかなりごり押ししたそうだ。 そして76年後、今回は同じ国の研究者達が「惑星から降格させろ」と強く主張。
その某国とは、実は原子力兵器を最初に使った国。

次に、土星より外の惑星、「トランスサタニアン」と呼ばれている一連の惑星について。
トランスサタニアンは天王星、海王星、冥王星がそれに当たる。
占星術の世界において、トランスサタニアンとそれ以外の天体との違いは、土星までの天体の意味を私たちが普段生活している通常の意識(顕在意識)の領域としているのに対し、それ以降の惑星を無意識、潜在意識を司る意味を持つものとしていることにある。そのため、占星術の世界観では土星を境にしてその先を超自我的(=トランスパーソナル)な領域になっていると言える。土星を境に外にへ向かうにつれて、どんどん深い意識領域へと進む。
「変革」「覚醒」「革命」「発明」「独創的」といった意味のある天王星は個人の無意識を担当。
「幻想・幻覚」「夢」「霊感」「占い」「未来のビジョン」といった意味のある海王星は、個を超え個を飲み込んで更に大きい集合無意識を担当。時代の傾向・風潮も担当する。
そして先ほどの死に関する意味を持つ冥王星は、個を超え、集合無意識よりも大きく、それを飲み込んだ更にその先の、「肉体を持っては到達できない、私たちから見て究極的に深い深い意識の世界」を担当している。
これらの意識の領域はそれぞれ明確な線引きがされているのではなく、繋がりがある。ちょうど色のグラデーションのように移り変わってゆく感じ。
ちなみに、天王星が発見された1780年代はアメリカの独立やフランス革命の時代。発明の観点では熱気球で初の有人飛行に成功している。「人が初めて空を飛んだ」ともいえるだろうか?
海王星が発見された1840年代は、交霊術・交霊会がアメリカで生まれ、後にヨーロッパで大流行する。やがてその流れは19世紀末に知識人たちの間で西洋神秘主義を流行らせ近代西洋儀式魔術を生み出したり、明治の日本で「こっくりさん」になったりする。
「幻覚」という観点では、マリファナの精神に及ぼす作用が欧米で注目されていた。マリファナが主成分の薬も売られたり、パリではハシシを愛好するクラブも出来た。    

↓交霊術に使われる道具、「ウィジャボード」
Ouija

そして意識と無意識の境目になっている土星。
土星の占星術的意味には「厳格」「制限」「遅滞」「抑圧」「抑制」といったものがある。さて、土星の意味にもなっている「抑圧」「抑制」に焦点を当ててみたい。
意識していると苦痛を伴う記憶や思考や感情など、見たくないもの・認めたくないものを無意識的に意識から締め出し「除外」して、無意識の方へしまい込んでしまう(忘れてしまう)ことを、心理学用語で【抑圧】という。トラウマを負った人はしばしばそのトラウマ記憶を「抑圧」する。だから本人は抑圧したものを自覚したり認識したり出来ない。無意識領域に隠してしまったから。これを無意識ではなく、意識的に行うのが【抑制】。無意識にしまいこんだはずのものが、不意をついて意識領域へポロリと転げ出ることがあるからだ。

「抑圧」「抑制」を占星術の世界観+今回の事件に無理やりこじつけてみたい。
トランスサタニアンを「無意識領域」あるいは「顕在意識外」とすると、土星は「無意識下への抑圧」という象徴になることもイメージできる。
トランスサタニアンの発見はその抑圧によって無意識領域に隠されていたものが意識領域にあらわになった状態。あらわになった結果、発見された時代の人々の無意識下(=集合無意識下)に抑圧されていたものが噴出し、何世紀も続いた封建主義に抑圧されていた民衆の、民主主義への目覚めによる革命があり、死者(霊魂)との交流や目に見えない世界への興味がうまれ(キリスト教に抑圧されていたオカルトの開放)、やがてナチ党が大衆に指示され(集合無意識下に抑圧されていたコンプレックス/暗い衝動の解放)、世界大戦が起き、結果的にはホロコーストも核兵器の使用も起きた。今までの歴史上、類のない規模で人々の意識が変わり、冥王星発見当時から始まった流れでは歴史上類のない規模で人が死んだ。
もちろん、人類が発見する以前からトランスサタニアンは存在していて地球に影響を与えていたのだろうが、人類が顕在意識のレベルでその存在をしっかり確認したために、今まで潜在意識(無意識)レベルで存在していた天体の影響力が、顕在意識レベルでも表出した、という象徴的な出来事が起きた感じがする。まるで「抑圧に気付いた」ようなイメージ。「抑圧」も、それに初めて気付いたときが一番精神的影響も衝撃も大きい。Maiosei01

さて、抑圧していたものが噴出して良かった部分もあり、困った部分もある。困った部分は、また抑圧したくなるもの。しかし、一度意識領域にあらわになってしまったものは、無意識的に隠蔽する作業が出来ない。そのため、意図的に意識から締め出す作業を行おうとしても不思議はない。これは「抑圧」ではなく、「抑制」である。どちらも、意識と無意識の境目にある土星の持つ意味だ。
冥王星の惑星除外によって「冥王星」は教科書からも消え、特に興味のある人以外の一般大衆からは「忘れ」られてゆくだろう。この「忘れる」ことこそ、意識から締め出され、「除外」されるということでもある。除外されたものは、また無意識にしまいこまれ、「抑制」が完了する。冥王星は「抑制」された。

抑制され、意識から意図的に締め出されたもの。それが、あの死の星冥王星。
いまのところ、それが平和(核の締め出し等)を暗示するのか、それとも、目に見えない深遠なる意識の世界とのつながりを断ち切り、死から目をそむけて刹那的になる傾向を暗示するのか、・・・・・・いろいろと妄想は尽きない。人類最初の核使用をした某国に限って言えば、かの国の研究者達が冥王星降格を強く推したのは、かの国が「あのことを忘れたがっている(あの記憶を抑制したがっている)」という暗示なのかもしれない。
しかし、どんなに目を背けても、どんなに意識から締め出しても、冥王星はそこに存在し続ける。死と同じく、意識から締め出すことは出来ても、誰も消し去ることは出来ない。抑圧・抑制されたモノは、削除されずに再び向き合う日が来るまで無意識領域で保存されるのだから・・・・

以上が電車乗ってて手持ち無沙汰な時に浮かんだ妄想。

冥王星山羊座入りとあの方の運勢

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2006.05.24

占星術というもの

長いけど簡単に占星術について書いてみる。
占星術は最もポピュラーで歴史の古い占いの一つ。西洋占星術、インド占星術、宿曜占星術など、世界各地に古くから存在する。よく雑誌に載っている「○○座の運勢は~」というのも占星術から来ている。
占星術では、太陽系に存在する各惑星には一つ一つ意味がつけられている。例えば西洋占星術なら、火星は「怒り、情熱、勇気、行動力、戦い」といった具合。それら惑星の意味と、どの意味を持つ惑星同士がどんな角度のに配置されているか、で一つの占いが出来る。
ある人が生まれた瞬間、或いは特定の事件が起きた瞬間、各惑星が地球から見て黄道(地球からの見かけの太陽の通り道)のどの方向に見えているか。それを図に表したものがいわゆる「ホロスコープ」と呼ばれる天体配置図。宇宙に置ける各惑星の見える「方向」といっても、当然東西南北ではない。宇宙の方角は、星座によって
12等分される(ちなみに13星座占いなら13等分)。例えば、ホロスコープにおいて生まれた瞬間に太陽が牡羊座の方向にあった人は、いわゆる「牡羊座生まれの人」。ホロスコープは、出生地、生年月日、出生時間が特定できれば正確なものが作れる。
            ☆       ☆        ☆                
ここからは、ちょっと理論の話なので、興味ない人は読み飛ばしちゃって結構。
ホロスコープから見た各惑星の配置で、ある2つの惑星同士が120°の角度で配置されている場合、それは「トライン」といって、その2つの惑星から運勢に良い影響を貰っていると考えられる。「吉角」とも言う。例えばある人のホロスコープでは、先ほど意味をあげた火星と「美、愛、金銭、理想」という意味のある金星が120°の位置にあれば、「告白する勇気が強い」とか「自分の愛情を素直に表現したり、積極的なアプローチをすることで恋の成功を勝ち取りやすい」「恋人に対して情熱的な愛を惜しまない」といった解釈も出来る。「金銭管理や資産運用に優れている」とも解釈できる。
他方、惑星同士の角度が180°であった場合は「オポジション」といってトラインとは逆に「不調和な角度」ということになっている。「凶角」とも言う。火星と金星が180°なら、「恋人と喧嘩しやすい」とか「情熱的だが強引なアプローチや押し付けがましい愛情表現」、「無謀なことでお金儲けしたがる(ギャンブルやムリのある商売とか)」
といった解釈が可能。他にも、様々な惑星とその角度によっていろんな解釈が出来る。星座と惑星の組み合わせによる解釈も存在する。
            ☆       ☆        ☆              
さて、ここでちょっと疑問に思う人もいるかもしれない。
「生まれた瞬間の星の位置で自分の運命が決められてしまうなんて・・・」
「ホロスコープにたまたま180°の惑星配置が多かったばかりに、生まれた時から人生お先真っ暗?」

大丈夫。そこまで悲観する必要はない。運命が予め何もかも決まっていたら、人は自分の人生にも言動にも責任を持たない。占いも、役には立たない。
ただ、人を含めて地球上の生き物たちが惑星から影響を受けることは科学的にも証明されている。太陽と月が生き物にどれだけ影響を与えていることか。
けれども、太陽と月が生き物たちの人生や運命を支配することがあっただろうか? 人間は太陽と月の影響を見越して、柔軟に対応することができる。日差しの強い日は日焼け止めを塗る。健康な女性の月経周期は月の満ち欠けの周期と同調しているので、時期を計算して準備しておくことが出来る。月がおとめ座の方向にある時期は、髪の毛が素直に言うことをきいてくれやすいので、髪のセットに向いている。有名な話では、月が上弦や下弦の時には月の重力の関係で血行が弱まり、注意力が落ちるために事故が多い。新月や満月のときはその逆。

他の惑星の影響もそれと同じで、自分にどんな風に影響しそうであるかを推測しておけば、注意しておくことも出来るし、逆に影響を有効に利用することも出来る。占星術やホロスコープはそのために使うと考えた方がいい。
注意や対応次第では、凶角を持っていてたって問題を起こさずに済むし、悪い運を予防することも出来る。
頭がよければ、逆手に利用することだって出来るのかもしれない。例えば、「強引さに注意」と出ていたとする。しかし自分に恋している相手が「好きな人に強引なアプローチをされると弱い」人なら、逆手に利用できる。
そんな人をうまく見分けられないと悲惨だけど。強引なアプローチも限度を間違えればばストーカー扱いだけれど(※ストーカーは犯罪です)。

地球は太陽系がなければ存在し得ない。地球上の生き物は、太陽系と地球がなければ存在し得ない。人間も太陽系の全ての惑星が存在することで初めて成り立っている。どこか一つでも欠けてしまえば、もう現在のような姿や性質ではいられない(人体には各惑星や星座にに対応する場所がある)。
だから、人間は惑星の影響を受けて当たり前だ。けれども、人間は惑星の影響に対して対応できる。その目安として使われたのがホロスコープといったところ。

ちなみに、あの911テロが起きた瞬間のホロスコープ。惑星同士が互いに衝突しあう180°の凶角が目立つ。そのほかの凶角もある。
しかも月と火星が180°で、「やぶれかぶれになって破壊的、攻撃的なことをしやすい」「ヒステリック」と解釈可能。さらに、土星と冥王星の180°で「信じられないような恐ろしい災難」「秩序の崩壊」との解釈も一般的だ。
・・・テロの日取りを決めた黒幕の意図やいかに?

※冥王星の惑星降格についての記事は以下の2つです。
冥王星の惑星降格と占星術 冥王星の事件を勝手に解釈

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2006.04.01

最近描いたアヤシイ絵

妙なラブストーリーを書いている途中から、漠然とした不思議なイメージがあった。話を書き上げたあと、そのイメージを形にしたい衝動に突き動かされてちょっとしたアヤシゲな抽象画(ラブマンダラと命名)を描いてみたところ、その絵に描かれた色とりどりの陰陽マークが自分で描いたのにいつまでもに気になってじっと見ていたら、何とその絵で占い遊び(というか心理ゲーム)が出来ることを発見。
気になる色(好きな色/嫌いな色)のマークがそのときのゲーム参加者の状態を表すみたい。ある理論に基づくと、出来る遊び。

心理学者・精神科医のユングは患者にマンダラ状の模様を描かせることで患者の無意識を分析したという。仏教とは無関係ながら、この患者に描かせる模様のことをユングは便宜的に「マンダラ」と読んでいたそうだ。
あの絵も無意識に「~マンダラ」と名づけただけに、無意識の象徴が現れるのか。 ハート=心だし。

ユングの言う集合無意識が存在するなら、この遊びは私だけでなく、絵を見れば誰にでも出来る遊びなのかもしれない。 この遊びを通して、目にも見えず、さわることも出来ない集合無意識を「感じる」ことが出来るかもしれない。

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2005.11.27

ヒンドゥー数霊術

インドでは古来より、「ヒンドゥー数霊術」という占いがある。インド占星術やアーユルヴェーダとも深いつながりがある。さすが数学に強いといわれるインド。最近ちょっと勉強したら、これがなかなか面白い。
まず、自分の「運命数」というものを出す。西暦で自分の生年月日を書き出し、その数を全て合計する。次に、合計した数の1の位と10の位を足して一桁の数に変換する。例えば、2005年11月27日が誕生日ならば、

2+5+1+1+2+7=18 で、1+8=9 運命数は9となる。

次に、霊数というものを出す。これは、生まれ日の1の位と10の位を足して一桁の数に変換する。27日場合、
2+7=9 霊数9 守護神はハヌマン。

仮に29日生まれの場合は、2+9=11 これを更に1の位と10の位を足して一桁の数に変換する。
よって1+1=2 霊数2守護神はシバ神。

こうやって出た運命数と霊数をそれぞれ対応する惑星に当てはめる。
9は火星。2は月。


よって、ヒンドゥー数霊術によれば、2005年11月27日生まれの人は月と火星の性質をどこかに持っているということになる。特にメンタリティーは霊数に関係しているといわれているので、上記の人の場合は心に月の性質を持っているとも考えられる。運命数は実際の行動や世間・社会に向けた顔、および周囲から見たその人のイメージと関係しているので、内面的には月の性質、表面的には火星の性質を帯びた人というイメージ。
ちなみに、アーユルヴェーダでは月はカパ。火星はピッタ。数霊術の観点からこの人の性質の特徴を端的に言うと、情熱的で常に理想を持ち、それに向かって例え困難があろうとエネルギッシュに進む力があり、思いやりがある。でもちょっと気まぐれで流されやすく、優柔不断。怒りっぽい(あるいは怒ると普通の人より怖い)ところもある。そして感動しやすく情感豊か。今回転生した人生で学ぶべきことは忍耐と安定性。
とはいえ、人間は生きているうちにいろんな影響を受けたり、いろんな性質を獲得するので、占いでその人の全てを把握することなど到底ムリ。むしろ、本人が自分を見つめるためのちょっとした目安になるといった感じ。
※なお、仕事を持っていたり公式な立場にある人は仕事運を見るために「姓名数」というのも出すのだが、ここでは省略。

ヒンドゥー数霊術で興味深いのは、各数字に対応する太陽系の惑星のうち、ヒンドゥー数霊術の理論が生まれた当時(多分紀元前?)はまだ観測できなかった筈の土星以降の惑星が含まれていることだ。土星以降には少なくともあと二つ星があるだろうと当時既に考えられており、計都と羅ゴウという想像上の星を配置している。計都と羅ゴウ、この二つの星の概念を含めた宇宙観が、仏教とともに中国にわたって後の宿曜道になっていったそうだ。

参考文献:明窓出版株式会社 「ヒンドゥー数霊術」 ハリシュ・ジョハーリ著 大倉 悠訳

mayah

占いのご相談

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2005.11.01

ハリケーン「ウィルマ」の目に現れた謎の数字

米国のテレビ局NBC2で放映されたハリケーン「ウィルマ」の報道を見ていた視聴者数十人から、妙なものが見えるという連絡が寄せられた。その内容はというと、「ウィルマ」のレーダー画像、ハリケーンの目の部分に数字「2」の姿が見えるのだとか。 画像あり
テレビ局で画像をチェックしたところ、視聴者の指摘したものが確認できたというニュースでした。

・・・・・・これまた見事なゴシック体・・・

報道で流された「2」は動画だったが、静止画だったらもとっと多くの人が気付いたかもしれない。
それにしてもなぜ「2」なのか? 実はこの事件には奇妙な偶然の一致があった。そこから空想の翼を広げ、なぜ「2」だったのかを妄想してみた


※上のような事件と似たような話に、コロンボのイスラム学センターのMohamed Faizeen氏などが主張する「スリランカの西岸を襲った津波の映像がアラビア語の【アラー】そっくり」というのもあります。画像あり

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2005.06.13

お参りの秘密と願掛けのコツ

願掛け、願い事の本当の意味や仕組みを知っている人は多いようで少ないかもしれない。蓋を空けてみれば「当たり前」の事かもしれないけれど。
受験、恋愛、商売、縁談、健康。色んな願い事を携えて神社・仏閣にお参りしに行く人は今も多い。実は、願掛け願い事にはちょっとしたコツがある。
まずはイメージの持ち方。目的の実現を自分の代わりに神仏へ委託するというより、自分が目的の実現を神仏の前で意図する儀式と考えて。その際、あたかも「これからコンビニ行こう」と意図するのと同じくらい明確で実際的、主体的な意志を持ちながら目的を「意図」する。「願い事」というよりは「これから始めること」という発想だ。願い事がどんなに難しそうな事でも、「コンビに行こう」くらいのリラックスしたイマジネーションが○。
神仏に目的を「外注」「丸投げ」してはいけない。神社・仏閣はあなたの願望を請け負う外注業者ではなく、あなたの意図する方向に沿って運を強めてくれるのみ。「こうしてください」「こうなりますように」よりは自分が願望成就の主体となって「こうします」と意思表示する。
実際に願い(=目的)を叶えるのは自分自身だからだ。その意思表示に「神」が宿る。

もしもあなたが神社へ行き、神様の前でお参りをするとき。ご神体の鏡にはあなた自身が映っているはず。 

※この記事を読んでいる受験生諸君には、占い師からささやかな応援を送ります。

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2005.04.05

ファティマの予言と法王の死

第一次世界大戦たけなわの1917年、ポルトガルのファティマと言う村に聖母マリアの幻影が現れた。この現象は数回続き、3回目に幻影が現れた時、マリアから目撃者の子供ルシアを介してバチカンへ3つのメッセ-ジが託された。このメッセ-ジが後年「ファティマの予言」と呼ばれることとなった。そして最後の出現となった10月13日には10万人を超す大群衆の前に、ちょうど正午頃雲を割って7色の光を放射し、回転する銀色の太陽のような物体が出現したという。マリアが示した3つの予言のうち、2つは知られているものの、3つ目の予言についてはこれまで一切公表されていなかった。当時第3の予言を知ったローマ法王故ヨハネ・パウロ2世(最近亡くなった法王)は、あまりのショックに気絶したらしい。
現在でもファティマには巡礼者が訪れ、ファティマで起きた不思議な現象は奇跡が起きたとされている。このことは、トンデモ話だと「宇宙人の仕業だ」とか、「バチカンのでっち上げだ」とか、色々な説が飛び交っている。
しかし、最近になってバチカンは法王の亡くなる前に第3の予言を公表した。全容は「適切な解釈」を用意してから開示するといっている。ううん。じらす。
第3の予言の公表された内容はこちら
で、その予言に示されていた事件の真相がこっち

ダヴィンチコードのベストセラーと法王の死去が重なったので、こんな記事を紹介してみますた。
ダヴィンチコード読んでますが、なかなかテンポが良くて面白いです。

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2005.03.24

ダヴィンチ・コードって面白い?

テレビでも取り上げられた「ダヴィンチ・コード」。巷では売れているとのこと。私はまだ読んではいないが、ダヴィンチにまつわるミステリアスな話は聞いたことがある。それも、かなーりマニアックな話し。どうやら、以前聞いたその手の話をもとに書かれた小説が「ダヴィンチ・コードらしい」。以下は私が聞いたマニアックな話。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ村のレオナルド)は、イエス・キリストからマグダラのマリアにだけ受け継がれたキリスト教の秘儀(密教、あるいは秘教)の系譜を持つ秘密結社の一員で、彼自身も結社の一員としてマグダラのマリアが受け継いだ秘儀と同じものを受け継いでいた。そして、自分がその一員である事を示すために、同じ系譜を持つ者にしかわからない方法で自分の作品に暗号を残した。その一番有名な絵が「最後の晩餐」と「岩窟の聖母」。そして、マグダラのマリアがイエスから受け継いだもう一つの秘密。それが彼との間に生まれた子供だった。キリストの血を受けたといわれる「聖杯」は、キリストの血(遺伝子)を受けた彼の子孫を示している。というもの。この場合、十二使徒が受け継いだイエスの教え(密教に対して顕教)が権力を握って今のキリスト教というになった事らしい。
イエスの教えのうち、マグダラの系譜の方は教会当局から当然の様に異端とされ、秘密結社はフランスのプロヴァンス地方にこっそり隠れて存続していた・・・

以上が私の聞いた話。ここで、ある事が思い出される。
実は、タロットカードの大アルカナ(絵札)の最後のカードである「世界」のカードの絵のモデルは、「昇天するマグダラのマリア」といわれている。マグダラのマリアはイエスから授けられた秘儀の修行をして、いわゆる「悟り」のような状態になり、 神の英知に直接触れ、自らも神と同じレベルになった(神と合一した)ために、この世の領域を越えて 神の領域へステップアップしたことが「昇天(アセンション)」とされている。 神秘主義、或いは魔術をたしなむ者には抵抗が無い説だが、神と同レベルになるなんて 当事の教会が許すわけも無い。ここで妄想すると、ダヴィンチと同じルネサンス期に吹き荒れた魔女狩りの嵐 に火刑台に上った者達の中には、マグダラのマリアおよびダヴィンチと同じ秘儀を受け継いだ 者達がいたのだろうか。大半は「言いがかり」だったらしいけど。

なお、ノートルダム寺院にも「黒い聖母子像」という形でマグダラのマリアとその子供(=イエスの子) が奉られているそうだ。ノートルダムは古くからある場所の名前で、「我らの母神」 という意味。補足トリビアを言うと、 あの預言者ノストラダムスの一族は、彼の祖父の時代にノートルダム寺院で洗礼を受け、 キリスト教に改宗したユダヤ人だった。
ノストラダムスもまた、ダヴィンチ同様に、医学、占星術、料理、芸術など多岐にわたった才能の 持ち主だった。彼の出身地もプロヴァンス。そう、例の秘密結社が隠れていた地域。ただ、ダヴィンチが死んだ時ノストラダムスはまだ16歳なので、多分二人に面識はなかっただろう。某掲示板には、面白がってトンデモっぽく書いちゃったけど☆

※イエス自身はクムラン教団と呼ばれる秘密結社の一員だったという話もある。このクムラン教団では、現在の西洋系占いにも大きな影響を与えたカバラ(ユダヤ密教)や魔術の研究と実践をしていたそうな。まあ、イエスの逸話には彼が魔術を使えたかのような話もいっぱいあるけれど、もちろんキリスト教にはそんな前提は無い。全ては、「奇跡」という専売特許。

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2005.01.23

運勢の世界と「ご縁」

※これから電波な話をします。免疫のない方はご注意下さい。
運勢の世界では、その人が自分の本質的な生き方が出来ていて、その本人が有意義な生き方をしていると感じている場合。目に見えない無意識の世界で、例えるならオーラのようなその人独自の光のようなものが放射されるらしい。「あの人は今輝いている」という言い方はここから来た、という人もいる。その放射を感知した人の中に無意識レベルで「あ、今何か光った。あの人何だろう?」とオーラの主に関心を持った人が身近にいると、オーラ(?)の主と何らかの「縁」が作られやすくなるそうだ。それが対人運全般において、大きな意味のある出会いや結婚の運につながる場合もあるらしい。

お互い自分の本質的な生き方をしっかり持った上で、互いが相手の生き方に理解を持ち、「これなら共同生活を送ることが出来る」と思える結婚を選びたいものだ。

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2004.11.13

物騒な世界と人体の反応

ブッシュは再選し、アラファトはためらいつつもこの世から引退した。世界はこれからもきな臭くなるだろうか?
同時多発テロの前後、海の向こうでは結婚率や子孫繁栄にいそしむカップルが増えたのだと言う。
当時まだ学生だった私のもとには、「相手がいないにもかかわらず、まるで相手が目の前にいるかのような恋愛感情の高まり」や、もっと生々しい欲望をコントロールし切れず戸惑い悩む同年代のお客がいつもより多く来ていた。
「自分でもどうしてこうなったのかわからない」「今までこんなこと無かったのに・・・」とつぶやきながらためらいがちに悩みを打ち明ける学生達。中には勢いあまって衝動的に片思いの相手とその場限りの関係を持ってしまった女の子や、うっかりして「彼女が妊娠したかも・・・」と不安を打ち明けた男の子もいる。
私はといえば、テロの3日前から夢の中に、今まで見たことのある映画のラブシーンばかりが流れていた。
数十年前。今はヨレ気味のサラリーマンオヤジ達がまだ若造で、中にはプラカードなんか持って行進とかやってみていた頃。「LOVE&PEACE」「戦争じゃなくてセックスしよう」というノリが海の向うから生まれた。
やっぱり世界はきな臭かった。

いつもより多く失われる命を予感あるいは実感して、命を補おうとする本能のようなものが無意識に働くと、上に書いたような現象がおきるんだろうか。
それとも、人間の集合無意識がこれから失われる命を補おうとする傾向を見せ始めると、それに影響を受けた人達がああゆう現象を起こすのだろうか。
自分自身やその周りで、命を新しく生み出すことを連想させる現象が出始めたら、世界がきな臭くなる予兆なのだろうか? (もしくは天変地異の予兆だったりして。新潟の地震の前後も・・・)
そうならないことを祈るし、この記事がただの電波であることのほうが望ましい。


余談だが、ブッシュ大統領の家系。実は別の意味でかなりヤバうわなにをするはなwせdrftgyふじこlp;@:「」

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2004.06.24

占い師の見た夢の正体

今回見た夢その1
とても大きな大古い木が倒れた上に木が生えているのが脇に見える、緩やかな坂道を登っている。そうやっているうちに、暖炉に使うたきぎを集めようと思い立ち、乾燥した木の枝を一抱えほど集める。しかし、妙に枝集めが後ろめたくなって、枝を抱えながら倉庫のようなシャッターのある小屋に隠れて、父が来るまで迎えに来るのを待つ。が、なぜか警官に見つかって取調べを受けるはめになる、と言う夢。

車は経済状態。樹木は肉体と霊的な身体。たきぎは、ある意味では冬場の「蓄え」だし、冬は自分の心理を表す。
焚き火は「闇を照らす」ことから、「目に見えない世界との交流」を意味する。「父」は誰かに心配されてるということ。
無意識に誰か(父、又は自分を心配する身近な人)と霊的な交流をしようとしているのかも。たきぎは目に見えない(霊的?)蓄えや財産なのだろうか? また、焚き火にはシンクロニシティーを意味すると言われることもある。それから、「うしろめたい」と言う感情を「後悔」に近い系列の感情とすると、良い意味での人間関係の変化というところか。「待つ」というキーワードにも同じ意味があるし。しかし、少々受身な状態かも知れない。そのせいで不自由さや拘束を意味する「警官」が出て来たんだろう。「隠れる」も自由さ・マイペースを望む気持ちの象徴。また、警官には(社会的)責任と解釈することもある。「捕まる」のは重要なことを得る暗示でもある。
解釈をまとめると、自分の持つ目に見えない財産や蓄えを使って、目に見えない世界、多分集合無意識のレベルから、何かをしよう、誰かと交流しようとしているが、まだ自身がなくて受身に傾いているため、自分の持つ不可視の財産・蓄えをうまく使えず、不自由していると言うことか。自分次第では良いこと、嬉しいことが出来るみたいだが・・・

心当たりは十分ある。実は、ひょんなことから急に、占いとは違う全く新しい仕事をすることに決まった。それは、電話番を中心としたある人のスケジュール管理。何故か、理由のわからない興味を感じて、やってみることにした。
初めてのことなので、はっきり言って自信はない。大雑把な私が今から緊張さえしてる。いや、大雑把ゆえにそんなきちんとした仕事をすることに緊張しているんだろう。引き受けた後になって「気楽な占い師が多忙な人のスケジュール管理!?」と混乱し始めているし、何故かすごく重い責任のような気がする。 なんか意味もなく誰かに謝りたい。
だが、夢では「自分次第で有意義なものに出来る」といってるので、まあ、多分大丈夫なんだろう。むしろ積極的になって変化を楽しむことが出来ればと思う。無意識では既にそう思っていたらしい。

さらに、「父」の意味である、「誰かに心配されている」という暗示の心当たりはただ一つ。その人は私が学生時代に「将来は占い師になる」と言ったら両親より心配してくれた有難い人。当時、私は卒業したら占い師をやることへの不安や心配に無頓着だった。「え、そう?」てな感じ。現在まで、幸いにして占い師を選んで後悔したことはない。困る環境にもない(だから選んだ道だが)。今回の仕事は、その人から紹介されたものだ。多分、あの時からわざわざ心配してくれてたんだ! 申し訳ないような、情けないような(笑)。
仕事は、大好きなチベットに関係するもの。チベットに旅行した時、チベットの人々には大変お世話になった。子供の頃から、ある意味暗い永久凍土みたいだった私のココロを、いきなり純朴な笑顔で瞬間解凍して初夏みたいな気候にしてくれちゃった人達。その上、ご丁寧にもヤクに鍬を引かせて物凄い勢いで耕されてしまった。無論本人達にそんなつもりはなかっただろう。ただ、純朴でやさしく、人懐こかっただけだ。素で強力な癒し系キャラだっただけ。暖かく耕してくれたお陰で、凍土に埋まっていたらしい種から、何かが生えてきた。
よもや種から占い師が生えて来るとは本人も予想していなかった。しかもそのせいで、日本でもチベット人に心配され、世話を焼いて貰っている。
そう、心配して今回仕事を紹介してくれた人はチベット人。スケジュール管理の対象者もチベット人。給料の出所もチベット人。
・・・あなた達は、よってたかって私をどこまで耕す気ですか? し か も 今 回 は 肥 料 ま で !

今回見た夢その2
首の後ろから服の中に毛虫のような虫が入り込み、驚いて目が覚める。
毛虫は煩わしいこと、どうでもいいこと、とるに足らないことを表す。
「背中」はすぐに解決出来るトラブル。
心当たりは、あのときのチンピラ達
しかも、彼らが来たとき、隣の植え込みで大きな毛虫が葉っぱを食べていた。
チンピラ大明神。ご神体は「毛虫」・・・・・・・・・・・・確かに嫌われるよなぁ。

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2004.05.22

占い師の囁き裏話編

・・・・・今だから言える話。
あれはまだ私が学生時代の頃、自分の占いの腕がどこまで通用するのか知りたくて某駅前にて占いの露店を出し、道行く人を言い値で占っていた時のことです。
日本に出稼ぎに来ているアルゼンチン人の女性が占いをしに私の元へやって来ました。「一度アルゼンチンの家族の元へ帰りたいのだが、それはクリスマスにすべきか、それとも来年の3月にすべきか、どちらがよりふさわしいか占って欲しい」というのが彼女の話。私はカードを切って何枚か出すと、その中に棒の3のカードがありました。このカードは「協力者」「冒険」などと言った意味があります。他のカードの組み合わせから見て、私は「3月が良いと思います」と答えました。ついでに、棒の3のカードを見せたら彼女は納得して「ドウモアリガトウ」と幾ばくかの鑑定料を置いて行きました。そのときは、たったそれだけの事でした。

占いに出たその翌年の三月、もともと経済が不安定だったアルゼンチンでは財政が破綻し、アルゼンチン政府が発行していたお金は紙切れになってしまいました。(※この記事内容に対するクレームはアルゼンチン政府へどうぞ)
彼女の持っていた日本円がご家族の協力者になってることをこっそり祈りました。

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2004.01.23

予知味覚??

やれやれ。一段落ついた。
20日は太極拳だったんだけど、行く途中に何故かアーモンドのような香りと甘い味が急に口の中に広がるという現象があった。もちろん、何も食べてはおらず、近くにレストランも民家も無い畑の広がる道を太極拳しに自転車漕いでいた時。
そのときは別段大して気にもとめてなかったけど、その数時間後・・・

昼にラーメン食べたら中にスチールウールの繊維が入ってて、お店の人にそれを見せたら「お詫びに」と杏仁豆腐をもらった。

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2004.01.15

@縁と時空の不思議@

昨日ちょっと不思議に感じたことがあった。
昨日は太極拳をしに行った後、銀行で用事を済ませた。
そのあと、以前から気になっていた銀行の向かいの古びた看板の洋食屋へ思いきって入る。
ランチを食べてみた。ハンバーグにかかってたトマトソースが美味。食後にコーヒーがついてて、食事よりコーヒーがいける。で、コーヒー飲みながら店に置いてあった雑誌を気まぐれで手にとったら意外と面白かったので丸々一冊読んじゃった。
あ、もうこんな時間。早く電話鑑定待機しなきゃと、急いでお勘定済ましてチャリを漕いでいたら銀行に忘れ物していたことに気付き、銀行へ引き返す。
銀行で忘れ物を受け取るために係員を待っていたら、ある人が驚いて声をかけて来た。
「人違いだったら申し訳ないんだけど、あなた手相見てくれた人?」
顔をよく見ると、なんと、去年お花見の時期に地元の桜並木の下に腰掛けて花見客を相手に手相を見ていたとき占った二人組!
あの時は色々話が弾んで面白かったことを思い出す。「占いがんばってね」といってくれた人達だった。当時はまだメールやサイトを立ち上げていなかったのでまたいつか私の手相をやるために連絡先を知りたがっていたけれど、ろくに教えることも出来なかった。サイトを立ち上げてからは桜並木を通りがかる度に「あの二人どうしてるかな」といつも思っていた。つい一昨日さえも。
忘れ物を受け取り、その場が妙に盛り上がるなか二人に近況を伝え、HPの書いてある名刺を渡して別れた。
このことは、私が気まぐれをおこして銀行の向かいでランチを食べ、雑誌の記事に思わず見入り、銀行に忘れ物をしてそれに気付いて取りにもどらなければ起きなかった出来事。
もっと言うと、数日前キャッシュカードをなくしたと勘違いして銀行に届け出たらその日のうちにすんなり家で見つかり、手続きのために昨日は銀行へ行ったので、そもそも数日前変な勘違いをしなければ銀行には行かなかったし、忘れ物もしなかったのかも?
まあ、考え過ぎるとワケがわからなくなるのでこの辺にしておこう。
ともかく、二人に会えてなんかすごくうれしい。妙な「縁」を感じる出来事を経験したのはこれが初めてではないけれど、いつも思うのは、こんなことが起きるのは、きっと私の住む世界に何か秘密があるに違いないということ。
二人と出会う時空が縁によって出来上がったと考えてそれを「運命」と呼ぶ人もいるかもしれない。
でも、私は「あらかじめ全てが生まれる前から決められている」とか、「自分自身とは無関係に何者かが最初から最後までその人の人生を計画し、それに基づいてその人の時空と人生を作っていく」とは考えない。そうやって世界が作られているとも思わない。
その人の「運命が決められている」ということは、「運命を決めたものがいる」ことを意味する。
自分の人生をあらかじめ決めた者がおり、プログラム通りの事しか起きなければ自分が良い方向へ行く努力や工夫は意味を成さないし、誰も自分に責任を持たないし、ましてや占いを利用する意味がない。最初から何でも決まってたらアドバイスは必要ないから(運命論は「マトリックス」の世界観と似てる)。

だから昨日の出来事は、もっと違う「何か」が隠れてるんじゃないかと思う。なんかものすごい秘密が。
世界のほんとうの秘密が知りたいので、これからも占いを続ける。

未来予測と平行世界の検索

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2004.01.13

不思議な話 ~韮○さん~

※これから大変怪しく、マニアックな話を書くのでご注意ください。

あれは数年前、レンタカーで東北を家族旅行したときのこと。秋田県鹿角市には「日本のピラミッド」とマニアの間で囁かれる黒又山(通称クロマンタ)というきれいな二等辺三角形 の山がある。
その日は十和田湖、奥入瀬を巡った後、その黒又山の麓にある「大湯環状列石」という縄文遺跡に立ち寄り、宿の玉川温泉に帰るというルート。
玉川温泉に帰る途中、黒又山付近。そこで、ある事件が起こった(プロジェ○トX風)。当時88歳になる祖父が空に妙な物を発見。思わず愛用のカメラでそれを撮影。その妙な物とは何のことはない、ただの雲だった。問題はその形が余りにも不思議だったこと。円盤状の雲が何段にも重なって、まるでUFOみたいだったことから、車内がマニアックに盛り上がった。しかもその雲、どんどんこっちへ近づいて来る。
祖父が「88年間生きてきたがこんな雲は見たことがない。」と写真を撮りまくる。母も私も写真を撮る。
唯一、父だけが呆れる。 Zuiun1_2
結局この雲、三時間ほど車について来たあげく、玉川温泉付近の山中で山の向こうへ消えていった。
その他の写真はこちら→
それから1ヵ月後。た○出版の関係者と母が友人であったため、まだ本社が早稲田にあった頃件の雲の写真を持って母と遊びに行った。
そしたら写真を見た母の友人Dさんが興味を示し、なんと手元にあった電話一本でTVタックル超常現象スペシャルでお馴染みの、まだ編集長だった韮○さんをその場へ呼びつけてしまった。面白い写真があるから、と。
韮○さん、雲の写真を見て目を輝かせ、目撃した場所、日時、撮影したカメラ機種等を事細かに私や母に尋ねた。やはり彼にもUFOに見えたらしい。テレビでしか知らなかった彼だが、非常に実直な印象を受けた。Dさんは、「彼はとても真面目でいい人なんだけど、TVに出て彼の発言が面白おかしく編集されてしまっているため、どんどんイメージが実際とは離れていってしまう」とぼやいた。彼自身、自分のやっていること、言いたいことの本当の所を分かった欲しいというようなことをチョロっと言っていた。
韮○さんは各地のUFO目撃情報をチェックしており、時には日本国内はもとより旧ソ連や南米などにも足を運んでいる。UFOに関する書籍をいくつか翻訳も手がけている。その日は彼からも色々面白い話が聞けた。
彼曰く、「海外ではUFOが着陸したという情報があるが、日本ではまだ着陸したという情報が入っていない」とのこと。彼に、冗談めかして「UFO着陸したら教えてね」と言われてしまった。
その後、あの写真はめぐり巡って某雑誌の読者コーナーに載り、今は家のどこかで眠っている。
あの写真のお陰でネットその他での知り合いも増え、その中のある人のサイトにはスキャナで取り込まれた写真の画像がサイトの片隅でひっそりと息をしている。

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