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2007.08.05

予言とカタルシス願望2

※非科学的なお話です。「カタルシス願望」の説明はこちら。   ※お好みでBGMどうぞ(右クリック別窓)。

ジュセリーノの予言とカタルシス

「ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース」というブラジル人の男性がいる。普段は高校で語学の先生をしているが、「予言者」もやっている。なんでも、9歳の頃から身の回りのことに関する予知夢(未来の出来事を暗示する夢)を見るようになり、それがまたよく当たっていたのだそうだ(当たったとされる予言はこちら)。現在は予知夢を通して世界中の出来事を予言しており、予言の内容は公文書に記録しているらしい。夢のお告げに従って、各国の政治家に予言の内容を記した手紙を送ることもあるそうだ。ノーベル賞を受賞した元米国副大統領のアル・ゴア氏にも、何年も前に手紙を送ったことがあるという。そんな彼は今、ブラジルのみならず日本でも話題になっていて今年たま出版から彼の「予言」をまとめた本も出た。日本のテレビでも取り上げられた。
彼が予言する出来事で印象的なのは、世界中で巻き起こるらしい終末的な自然災害だ。特に、大地震の予言が注目されている。他には事故や犯罪、そして「人類滅亡」についての予言もあり、これまた人々の注目を引いている。その様子は20世紀に流行った終末予言系のパターンと似ている気がする。

注目される彼の予言に地震の予言がある、ということは、地震の夢を見ている、ということ。夢の世界では、地震は精神的な動揺とか、現状に対する不満や現状を変えたい(破壊したい)気持ちの象徴だったり、あるいはそれこそ「自信がゆらぐ」という意味にもなったりする。いかにもカタルシス願望の原因になりそうな心理の象徴だ。
そして、「集合無意識を覗き込む夢」ともいわれている予知夢で地震の夢を見るということは、カタルシス願望を持っているのは夢を見た本人のみならず、彼の夢(予言)に興味を持った多くの人々にとっても同じことかもしれない。まさに、「カタルシスを夢見る」。地震予言が特に注目される理由は、日本が地震国だという理由だけだろうか?世紀末を過ぎても予言が話題になるということは、「予言ビジネス」が儲かるということは、それだけまだ「予言」に需要があるということ。それだけカタルシス願望を持っている人がいるということか。その願望は、破壊的な予言に投影されるようだ。特に、「不満や鬱屈を抱えているけれど、その正体が具体的に何なのかハッキリしない」という状態でのカタルシス願望は、鬱屈の投影先が定まらず、結果鬱屈があらゆるものに投影されてしまい、「壊したいものがハッキリ分からないから、とりあえず手当たり次第に色んなものを壊してみよう」という無意識のイメージにつながって「世界中を壊して回る」ような終末予言系のネタに願望が投影されても不思議はないかも(なお、ジュセリーノはテロや犯罪の予言も沢山している。鬱屈がテロや犯罪にも繋がりうることは、言うまでもない)。また、「漠然とした閉塞感を打開したいけれど、閉塞感の正体が分からないので打開の方法が分からない。」「自力では閉塞感を打開出来ないと思われる」状態でのカタルシス願望の場合、願望の投影先が「神秘的なもの・謎めいたもの・人知を超えたもの」になることも多いのではないか。何か人の力を超えた不思議な力が自分でも正体の分からない鬱屈を捕まえてカタルシスを起こしてはくれまいか(自分の現状を変えてくれまいか)と期待する心理・・・
21世紀初頭。そんな状態でカタルシスを無意識に求めている人は、一体どれだけいるんだろう? 恐ろしげな予言の話を「怖い怖い」と言いつつ実は心のどこかで妙に楽しくなっちゃう心理は、誰にでもありうること。「カタルシス」は語源が示すように娯楽の側面があるのだ(日本の伝統的カタルシス法は怪談かも)。だからメディアはセンセーショナルに盛り上げる。本も売れる。世紀末をとうに過ぎたとしても。
古代ギリシャの観客は上演される悲劇に己の過去の悲しみや苦しみを投影し、追体験し、涙で悲しみを浄化した。それが「カタルシス」の起源だ。今では絶叫マシーンや怖い映画などで日常のストレスを解消するなどのカタルシスを遂げる人は多いが、終末系予言にカタルシス願望を投影する人の場合、実は「壊したいものが何か分からない」こと自体がストレスなので、予言に漠然と期待感を投影するだけではすっきりし足りない人も多い。その場合は壊すべき鬱屈の正体と理由をしっかり知ってはじめてカタルシスが完了する。多くの人は今までの終末ブームで漠然とした願望投影は出来ても、鬱屈の正体を知ることは出来なかった。ある予言でカタルシスが遂げられなければ、別の予言を「はしご」する。だから終末ブームは終わらない。壊したいのは自分の奥深くの鬱屈であって、外の「世界」にあるものじゃないと気付くまで。比喩的にいうなら、「自分の可能性を広げるために、それを妨げている内なる世界の殻を壊したい」といった感じだろうか(セカイ系アニメが流行るのもそういう風潮?)。
(それに気づけなかったオウムはとうとう暴走して、ハルマゲドンになぞらえたテロという形で終末系カタルシスをやってしまった?)

予知夢を見るジュセリーノの予言の中でも特に人々の注目を引く予言に、
今年は人類が過ちに気付く最後の機会
という予言がある。これは、「予言に注目する人々が気付かずに見過ごしてきた自分の中の壊すべき『正体』に気付く機会だよ」と言いたいのかも(07年が最後の機会ではないだろうが)。まるで、自分の予言に『壊すべきもの』を投影させ、なおかつその正体に気付かせようとしているみたい(終末論で常套句の「悔い改めよ!」というセリフは、「見落としている鬱屈に気付け!」という無意識の表現だったりして)。
そう考えると、ジュセリーノには「未然に危機を注げる予言者」よりも人々にカタルシス(心の浄化)を与えるアリストテレス時代のギリシャ悲劇の作家のような役割がより強いと感じる。そして、ジュセリーノは無意識のうちに、「センセーショナルなコワい予言」という形で人々の心に破壊的な悲劇を上演し、感情移入させる。なおかつ鬱屈の正体に気付くことを促し、一部の人々には今まで叶わなかったカタルシス(心の浄化)を引き起こす手助けをする機能へ無意識になろうとしているのかも、と電波な妄想をしてみたい(私が面白いから)。

カタルシスは「起きる」ものではなく無意識が「作り出す」もの。前回も書いたが、人は心の中で何かを強く望むと、意識的にだろうが無意識にだろうが、実際にそれを現実化させる(又はリアリティーを持たせる)傾向にある。人の運勢も同じで、心(無意識を含む)に強く思うものがあると、その影響が運勢という形で現実世界に反映される。多くの人々がカタルシスを強く思うなら、その思いは人々の無意識(或いは集合無意識)に記録されて、やがて彼らの運勢に何らかの形で「カタルシス」が現れる。それが起きる場所は個人の内面世界か、外の世界か? 彼らは真実どちらを望んでいるか気づくだろうか?
もしもジュセリーノの「予言の発表(悲劇の上演)自体」が人々のカタルシス願望を満たすのならば、人々はそこで満足して(己の壊すべき正体に気付いて)その先の「物理的な予言の実現(悲劇の実現)」までは望まなくなるだろう。カタルシス(心の浄化)が人々の運勢に現れるなら、「予言を聞きその中身を劇の観客のように疑似体験することを通して己の隠れた鬱屈の正体を知り、自らそれを壊す」という形式になる。だから外の世界で実際に予言の災いが降りかかるまでの運勢は作られない。疑似体験がうまく行けばいくほど、人々のカタルシスは心の中で完結するので、予言は当たらなくなる(ジュセリーノ曰く、予言を回避するには人々の精神的変化が必要だとか)。ジュセリーノが「カタルシスヒーラー(?)」または「カタルシス文化の発信者」の役割を持つならば、人々の心の中でカタルシスが進むにつれて予知夢を見なくなるかもしれない。あるいは、予言を外すようになるかも(的中率・信憑性と話題性は必ずしも比例しない)。
だから、予言は「予言」であるうちに本気で楽しめばいい。悲劇に感情移入するように。緊急避難用の水や乾パンも用意すれば臨場感UPで更にいいかも。不謹慎だといって遠慮する必要はない。心理学曰く、「カタルシスは代償行為によって得られる満足」なのだから。予言は予言のうちに楽しんですっきり満足すれば、「予言の実現」が単なる「予言」止まりで「代償」できるかも。暴力的な手段での鬱屈解放より、怪談感覚で予言を怖がって楽しむ手段の方がよほど健全。

また、もしも本当に予言的中を怖がっている人がいたら。その人は予言に自己の内なる不安感を投影している可能性が高い。予言が怖いのではなく、抑圧された内側の不安感を恐れている感じ。本当に恐れているものは何か、抑圧された不安感の正体は何か。それが分かれば何も怖くなくなりそう。

人の運勢は、人間ひとりひとりから発する。だから、「運は自分で作る」とも言う。無意識に隠れた鬱屈や閉塞感を投影してその真相を知り、そこからの解放を強く思えば(=カタルシスを強く思えば)、それは運勢に反映される。破壊と再生は表裏一体。カタルシスはゴールじゃない。そこから新たなスタートが始まるのだ。人々が終末系予言に投影する願望は、「人智を超えた力による(心の)世界の変革」。・・・ユング心理学の概念を借りると、その「人智を超えた力」は実は、自我(顕在意識)の次元を超えた無意識の中心に住んでいる「自己(セルフ)」と呼ばれる「おおもとの自分」の力かもしれない。「このおおもとの自分」と自我がつながって上手に連携が取れたとき、非常に運勢がよい状態になるようだ。自分の鬱屈の正体を知り、閉塞間の打開や鬱屈浄化を成功させる運勢を作ることも出来るのかもしれない。ユング心理学で「自己(セルフ)」と名付けられた「おおもとの自分」も「自我」も、同一人物、同一の生命体だ。頭と足みたいなもの。自分で自分を無視(抑圧)してしまえば、確かに鬱屈が生まれやすいだろう。


BGM:"While the Earth Sleeps" by Peter Gabriel and Deep Forest.

聖火リレー騒動もカタルシス願望?
連想と投影の魔力
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自分の鬱屈やカタルシス願望について占いたい方はこちら

※「カタルシス願望」につながる無意識の鬱屈や閉塞感などは、以前に書いた記事の「生命力を代替する文明」と「自分の生命力が分からない・うまく引き出せない・使い道がわからない」といったこととも関係あるまいか?
終末ブーム時代に流行った漫画が、「水没するビル街(文明破壊のイメージ。水は無意識の象徴)」という絵柄を採用してるのが多いようなので、ふとそう思った。
カタストロフィを起こす終末予言のイメージだと、滅びるのは大概文明世界だけで、自然界は滅ばないようだ。

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コメント

全く、同感です。私も実は全く同じ事を考えていました。カタストロフィーとカタルシス。。。同じだなって。
ただ、私の場合、現在、インドでインド哲学ヴェーダンタを勉強していて、もう少し違った角度からたま出版のBBSを楽しんで拝見しています。どちらにしても、地球温暖化が進み、年々ひどくなっていく異常気象というものは事実で、文明の創造、維持、破壊の繰り返しというのがこの世界の現実で、これは、永遠に続いていくのだと思います。そして、こういう世界を望んでいる魂たちが無数にいるということも事実だと思います。需要があるから供給があるのです。
そして、心理学的な面からのAYAさんのコメントへと繋がっていくのだと思います。

投稿: 山ねこ | 2007.08.06 15:14

>山ねこさん

始めまして。コメントありがとうございます。
文明社会。自然を省みずに遠ざける生き方と言うのは、
注意していないと人間自身が持っている自然界の側面(心と体、生命力など)を省みずに遠ざけてしまうことがあるのでしょう。
心(無意識を含む)も自然界の側面です。人の【魂】とも呼べるような心を文明の力で人工的には作れないからです。
それを省みずにいれば、いつかは鬱屈します。時には苦痛の伴う
警告を発します。カタルシスはそれを癒す手段の一つなのでしょう。終末論は大昔から世界各地にあるようなので、この手の手段は案外人間の本能なのかもしれません。

投稿: AYA | 2007.08.06 17:37

集合的無意識は存在します。人間一人一人のパワーは小さくても集まれば大きい物に・・・。未来は暗いですが、思いの強さで変わるでしょう。占い師も一種の預言者。どうか、迷える子羊達を安堵させてやって下さい。ところで、日本にも予知能力者が意外といるって知っていましたか?彼女達の意見も聞いてみられたらいかがでしょうか?勉強になるかもしれませんよ。

投稿: 七曜高耶 | 2007.08.07 12:50

>七曜高耶さん

コメントありがとうございます。予知夢を見る人は日本にもいますから、自分の予言を発表する人だって出てくるかもしれませんね。
そのとき興味深い予言をしていれば、このブログの記事にすることがある「かも」しれません。

投稿: AYA | 2007.08.08 01:23

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