予言とカタルシス願望1
※非科学的なお話です。 お好みでBGMどうぞ(右クリックで別窓)。
流行するカタルシス願望
カタルシス【katharsis(ギリシア)】(浄化・排泄の意)
1. 古代ギリシアの医学で、病的な体液を体外へ排出すること。瀉血(しゃけつ)。
2. アリストテレスは悲劇の目的をパトス(苦しみの感情)の浄化にあるとした。最も一般的な理解では、悲劇を見て涙をながしたり恐怖を味わったりすることで心の中のしこりを浄化するという意味。
3 .精神分析の用語。抑圧されて無意識の中にとどまっていた精神的外傷によるしこりを、言語・行為または情動として外部に表出することによって消散させようとする精神療法の技術。浄化法。
4. ジクムント・フロイトがこの語を採用したことから、カタルシスは代償行為によって得られる満足を指す心理用語としても用いられるようになった。
20世紀の日本。高度経済成長期~バブル崩壊を経て世紀末にかけて。ある有名なカタルシス願望が流行した。最初はマニアックな分野から発生したそれは、やがて漫画や小説や映画まで、それをイメージさせるような題材を使うものが流行った。それだけ需要があった。宗教の分野では、言うまでもない。
カタルシス願望。人々は、自分の内部にある鬱屈した「壊したいもの、消したいもの、水に流したいもの」を外の世界に投影し、それを破壊してすっきりしたくなる衝動に駆られることがあるようだ。どんな鬱屈なのかは、投影された「破壊したいもの」が象徴的に暗示している。
あの頃流行ったカタルシス願望の名前を、「終末ブーム(終末願望)」という。有名どころは五島勉の「ノストラダムスの大予言」。当時ベストセラーになり、何と翌年にはこれを原作とした文部省推薦の映画まで作られている。その後も、ノストラダムスの予言を焼き直したような終末予言系の本が世紀末までに沢山出た。世紀末が過ぎてしまった現在は、それに代わるものとして最近話題の「ジュセリーノの予言」などが挙げられるだろうか。あの頃からのカタルシス願望は、未だに十分には満たされていないようだ。経済の分野では既に一度「恐怖の大王」が降臨したと思うのだけど(バブル崩壊が人々のカタルシス願望を反映する出来事だったとしたら、バブル経済や当時の投機対象に投影されてたものは一体何だったんだろう?)、それだけじゃ願望成就として不十分なのか、その後には某宗教団体が自分たちの手で世間にカタルシス(カタストロフフィー)を起こそうとした事件まで起きた。そしたら破防法によって自分達がカタルシス(浄化)された。強いカタルシス願望が終末願望という形をとると、人は実際に「終末」を演出するような行動をとることがある。その例として「地下鉄サリン事件」のほか、海外の宗教団体が集団自殺をするニュースなどはこれまでに何度か報じられている。
・・・こういうのって、彼らだけでなく、テロリスト(特に自爆テロリスト)達にも通じる心理なのだろうか? 人は心の中で何かを強く思うと、意識的にだろうが無意識にだろうが、実際にそれを現実化させる(又はリアリティーを持たせる)傾向にある。人の運勢も同じ。心(無意識を含む)に強く思うものがあると、それが無意識の行動や運勢(現実)に反映されると言われている。
もしも多くの人が、カタルシスには恐ろしげな予言の「実現」が必要だと思ってしまったら・・・?
破壊と再生は表裏一体。カタルシスの役割として、カタルシス願望の条件として、「破壊の先には新たな希望(可能性)が開ける」というものがある。心が浄化されれば、きっと新しい気分で毎日が送れる。毎日が変わる。ノストラダムスの予言で言うなら「恐怖の大王が降って来た後、火星が平和のうちに統治するだろう」という部分がそれ。希望へと続く道を開くには、それを妨げ「通せんぼ」している何かを破壊しなければならない。一体、何が道を塞いでいるのだろう? 投影の対象は、何の象徴だろう?
(以下、私の勝手な空想。根拠は皆無)
カタルシス願望の一種である終末願望は、「世界」が「神経症」になって鬱屈が解放・治癒(浄化)されることを願うシンボリックな願望。それは、自分の鬱屈を解放したい願望を「世界」に投影して発生する。「神経症」は無意識層に抑圧された鬱屈の存在とその正体と原因に気付かせ(自覚させ)、抑圧からの解放と浄化を促すための心の現象。その症状は鬱屈の性質を象徴的に反映するいわば「心のサイン」(それを読み解くのが精神分析)。 そのサインは、体が不調を脳に知らせるために発する痛みや不快感と似ている。終末願望を強く抱く人々の中には、実は自分も神経症のような「鬱屈浄化を促す心の現象」を欲しがっている場合さえあるかもしれない。神経症は本人の顕在意識にとっては異常事態。無意識にとっては「待ち望んだ解放と癒しの時」。そのアンビバレントな気持ちが「終末」という異常事態とそれを待ち望む気持ち「終末願望」という独特の風潮を生んだのかもしれない。その願望が集合無意識規模で発生すれば、それは「終末ブーム」になるのかも。
次回はこの続きで最近流行の「ジュセリーノの予言」について書いてみようと思う。
予言とカタルシス願望2
聖火リレー騒動もカタルシス願望?
連想と投影の魔力
エコロジーと終末論
参照:広辞苑と大辞泉、ノストラダムス現象。
BGM:"Sadeness" by Enigma
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コメント
はじめてコメントさせていただきます。
先ほどはコメントどうもありがとうございます。
ジュセリーノ予言にはニラサワさんが関わられ、AYAさんはニラサワさんと旧知の仲ですよね。
私はAYAさんとは十和田で知り合い、瑞雲の頃の思い出のままなんですよ。
純粋に楽しんでいた頃の瑞雲は、ほんとうにすばらしい記録でした。
拙ブログには今も飾ってありますからね。
http://ufocolumn.blog2.fc2.com/blog-entry-20.html
またどうぞいらっしてください。
投稿: Okuhito | 2007.08.03 00:28
奥人さん、遊びに来ていただいてありがとうございました。
UFOみたいな雲、懐かしいです。私が占い師の道を歩みだす前の年でしたね・・・あの頃はまだ学生でした。
ブログ、時々見に行きます。
投稿: AYA | 2007.08.03 10:29
私の拙いブログにコメントをくださいまして、ありがとうございました。
クライシスとカタストロフの融合によるカタルシス…と言ってしまうと言葉遊びになりますか。
ともあれ現代の破滅願望を考えるには、「1999年に世界が滅亡しなかった」、そのために逃げ道を失い、「行き詰まりの真相と向き合わざるを得ない」という視点も必要かな、とおぼろげに考えています。
投稿: 暗之云@UnKnown | 2007.08.10 00:45
暗之云@UnKnownさん、コメントありがとうございます。
「向き合わざるを得ない」ことこそがある種のクライシスなんでしょうね。
けれども、どれだけ終末予言が当たって世界が破壊されても、そこに向き合って気付かなければ、自分は変われないし、カタルシス(心の浄化)は成されない。
内面を外の世界に投影する心理においては、外の世界に内面を知る手がかりが隠されている場合もありますが、結局は内面に目を向けなければそのことにも気付けないのでしょう。真実は自分のなかにあるのですから。
投稿: AYA | 2007.08.10 10:33